Corona.after story8
 予期せぬ惨劇に見舞われ、レイチェルは翌朝すぐ館を発った。夫のいない寝室で一人惨めにベッドへ潜り、時折様子を見に来る同じ館に住む心優しい次男を、裏切った二人に重ね疎ましく思う。そんな自分の醜さが嫌で仕方がなかった。
 式から一週間程経つと、レイチェルのもとにナマエから手紙が届いた。一体どんな言葉が書かれているのだろうか。読まずに捨てようとするが、嘲りが書かれているとは到底思えず、レイチェルは封を開けた。
 "生きるために、わたしを恨みなさい"
 言葉にすると強い口調だった。しかしそれが、レイチェルの身体を思ってのことであると容易に理解出来た。
 ナマエは結ばれない悲しみに心と身体を病み死んでいった。そうさせないため、レイチェルには自分への恨みを糧に生きろと言う。
 母と義娘として接していた時の優しさが垣間見えるその言葉に、レイチェルは長い溜息を吐いた。
 あなたを恨むなんてこと出来ないわ。
 晴れやかな気持ちでレイチェルは神に祈りを捧げた。
 どうか二人の未来に幸あらんことを──





 ヴィンセントは眉根を寄せ、珍しく床に下ろした両足を小刻みに震わせていた。やけに時計の振り子が煩く、それなのに大して時間は過ぎていない。焦りと不安が綯い交ぜになり発狂しそうな時間を一人で過ごすのはあまりにも辛く、この場にいないシエルを心底恨む。
 何もこんな時期に合わせて、遠方の領地に足を運ぶことはないだろう。要らない気を回されても迷惑なだけだ。
 ヴィンセントの感情がシエルへの苛立ちのみに変わろうとしていた時、唐突にその声は響いた。
「お産まれに...!あっ!旦那様!」
 知らせに来たメイドを押しのけて、ヴィンセントは寝室へと駆け込んだ。元気に泣く赤子と、その頬を指先でなぞるナマエの姿に、ヴィンセントは感極まり年甲斐も無く大泣きする。ふぇ、と発したのを最後に赤子は泣くのをやめた。
「ナマエ、ナマエ...!」
「泣きすぎですよ。子が驚いているではありませんか」
「シエル様を通り越して、旦那様によく似ておいでですね」
 穏やかに笑うナマエの額に滲む汗を拭きながらメイドが言うと、ナマエは笑みを濃くした。
「いいえ、とても父親に似ているわ」
 メイドたちがあちこちへの連絡や、片付けに追われ部屋を後にすると、ヴィンセントは青白いナマエの頬を優しく撫でた。瞳を閉じ擦り寄ってくる姿に、感謝の思いが溢れ出る。
「ありがとう。頑張ってくれたね」
「お礼を言うのは、この子にですよ。こんなに小さいのに、無事に産まれてきてくれた」
「...そうだね。ありがとう。俺たちの子供として産まれてきてくれて」
 未だにめそめそしながら、ヴィンセントが小さな紅葉に手を伸ばせば小指が握られた。それを見てもう片方の手にナマエも小指を握らせる。
「どうか、あなたを幸せにさせてね」
 にこり、とまだ産まれてまもない赤子が頬を緩めた。嘘みたいな出来事に二人は顔を見合わせ笑い合う。
 ヴィンセントは愛しい二つの存在をまとめて抱き、額にそれぞれキスを送った。必ず幸せにすると誓を刻むように、深い深い愛を込めて──

end.

あとがき



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