珈琲が飲めなくとも

「なんだお前しか居ねぇのか」

午後一の授業、演習場を訪れた日下部先生はネクタイを緩めながらそう言った。憂太は海外、真希ちゃんと狗巻くんは任務。パンダくんは知らないけど、居ないところを見ると学長がらみで留守なんだろうなってことは容易に想像できる。

「急いで来て損したわ」と演習場の床に寝転がる日下部先生。その傍らに寄って、「授業はー?」と腕を引っ張ってみる。元々やる気のない先生は、「素振りでもしてろよ」と私に対しぶっきらぼうな言葉を投げかける。


「先生寝るの?」
「あ?悪いか?」
「悪いよー!私の演習は?」
「知るかよ、んなこと」
「サイテー」
「そもそもお前を不釣り合いな任務に派遣したりしねぇよ」
「なにそれ。優しいのか冷たいのかわかんない」
「いいんだよ、そこそこで。そこそこが一番」

すっかりやる気の感じられない日下部先生を動かすのは無理と判断して、私も先生から少し離れてゴロンと横になる。演習場の冷たい床が心地いい。目に入るのは天井だけで、こんな穏やかな午後を過ごすのはいつぶりだろうと物思いにふける。



「なまえ、今なら呪術師ならないって手もあるぞ」
「やめて何になるのー?」
「俺が知るか」

言いだしたのは先生なのに、その答えはどこか曖昧。けど、そんなところが日下部先生っぽくて私は好き。ゴロゴロと床を転がって、日下部先生にぴったりくっついてみる。「近ぇよ」と言いながらも、離れるなんてめんどくさいことはしない。そういうところも私は「らしいな」って思うようになっちゃったよ。



「先生って彼女いる?」
「居るように見えんのか?」
「見えない」
「こんにゃろ」

仰向けからうつ伏せ姿になった日下部先生が、私の脇腹をくすぐる。まるで心までくすぐられてるみたい。嬉しくて幸せで、でもやっぱりくすぐったい。


「呪術師ならなかったら、先生との縁切れちゃうじゃん」
「んなもん切れ切れ」
「やだよ、私先生のこと好きだから」


ゴロゴロと私と反対側の方向に転がっていく日下部先生。私の「好き」の意味が伝わったようだ。こういう時に、日下部先生は聞かなかったことにしたり誤魔化したりすることをしない。任務の時は曖昧なことばっかりするのに。


「なまえ、お前、俺だぞ?」
「うん。分かってるよ。え?偽物の日下部先生いるの?」
「いねぇけどよ。彼女も居ねぇけどよ」
「ならなにが問題?」
「問題がねぇと思ってるなまえが問題だっての…」
「なら問題外?」


私の問いかけに「ん〜〜」と顎を指先で撫でながら考える素振りを見せる日下部先生。真摯に向き合ってくれているんだなって、そう思わせてくれる日下部先生が私はやっぱり大好き。大好きだから、困らせたい。困らせたいけど嫌われたくない。「問題外」の言葉を突き付けられたくない私は、卑怯な言葉を口にする。


「今はまだただの生徒でいいんで、卒業したら、返事ください」
「お〜〜うん、わかった」

立ち上がり傍らの木刀を手にする。卒業までのあと数年、自分に出来ることは後悔のないようにしたい。もし日下部先生に「やっぱりお前のことは生徒としか見れない」なんて言葉を言わせないためにも。


「日下部先生、相手してくださいよ」
「仕方ねぇな」
「シン陰、私も使えるようになったらデートね」
「おいおい、んな甘くねぇよ」

真剣と真剣が交わるとき、生まれるものなんて何もないのかもしれない。卒業までに私の気持ちが変わるかもしれない。卒業までに日下部先生に彼女が出来るかもしれない。けど、今はもしもの時を考える暇があるのなら、己を磨いて、少しでも先生の居る場所に近づきたい。ただそう願った。17歳の私は。

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