渡り鳥が旅立つその日まで


「なぁもう食っていい?」

だらしなくソファに凭れ掛かった男は目の前に座る私にそうお伺いを立ててきた。「どうぞ」と告げると、テーブルに置かれたピザを大きく切り分け、それを口の中にしまい込む。もぐもぐと思春期男子のように大きな口を開けて食べるその仕草に、こちらが胸やけしそうになる。私が頼んだちょっといい赤ワインを堪能している間にも、甚爾はビールとピザを交互に口に放り込んでいった。その有様はまるで高性能の掃除機みたいだ。


「お前食わねぇの?」
「食べるよ」
「ふーん」
「残しといてね」
「気が向いたらな」

これはあまり期待できないなと、ピザの隣に置かれたバーニャカウダを口に運ぶ。ピザがあと一切れ、というところで、ようやく甚爾の動く手が止まった。どうやら気が向いてくれたらしい。口休めか、私の食べていたバーニャカウダに手を伸ばし、「よくこんなただの野菜食えんな」と悪態を吐く。


「いいんだよ、飲むときには食べない主義なの」
「太るからか?」
「うっさい、甚爾」
「おっぱい小さくならねぇ程度にしとけよ」
「大きなお世話」


笑いながら残った一枚のピザに手を伸ばす。「おー食え食え」と甚爾は届いたばかりの子羊のローストを骨の部分を持ってがっつく。たまにすごく育ちがいいところを見せながらも、甚爾は大概無作法に食事を取る。さっきだってピザの取り分けの時には音も立てなかった。にも拘らず、甚爾の前に置かれたカトラリーには一度も触れていない。


「甚爾って本当に好きなように生きてるよね」
「あ?」
「たまに羨ましくなる」
「なに言ってんだよ」
「好きなもの食べて好きなことして、生きてるなぁって」
「そうでもねぇよ」


言葉を飲み込むように甚爾はビールを煽る。甚爾のことは、名前と連絡先すら知らない私にこれ以上甚爾へ掛ける言葉は見つからなかった。けどそれでいいと思った。この男には深く関わってはいけない。甚爾は、手綱なんてつけさせてくれない。行くところが無くなったら私のところへ来て、次の居場所が決まったら居なくなる。それを今まで何度も繰り返してきた。


「なんだよ」
「ううん、たくさん食べなね」
「こういう店は慣れねぇんだよな。早くなまえの家行こうぜ」
「はいはい、あと一杯飲んだらね」
「そんなん家でもいいだろ」


誘惑するように甚爾の指先が私の手の甲を撫でた。家に帰って待っていることを想像して、心臓が早鐘を鳴らす。私が少しずつ食べていたバーニャカウダを食べつくした甚爾が、子供のように「早くしろよ」と私を急かす。


「ごはん代くらいは楽しませてくれるんでしょうね?」
「意識がぶっ飛ぶまで楽しませてやるよ」

残っていたワインを一気に煽れば、喉が熱くなった。
鞄を持って席を立った。早く帰ろう。二人になれるところに行こう。たくさんたくさん愛してもらおう。渡り鳥が旅立つその日まで。