おあずけ


最初は自分の勘違いだろうと思っていた。
よく目が合うわりに、すぐに逸らされることとか、たまにくれるのがわたしの好きな味の新作だったりとか、そういうことが積み重なったらあれ?ってなるのは当然だと思う。

疑いが確信に変わったのは、わたしが憂太に触れたときの態度だった。憂太の服についていた猫の毛が気になってなんの断りもなく触れた一瞬、彼はビクッと反応した後、わたしの顔を見ずに「すみません」と謝った。その時背けられた彼の頬が赤らんでいた。

自分はどうなのか、と言えば答えは簡単だった。
目が合うのはわたしも憂太を見ていたからで、貰ったものをよく覚えていたのは嬉しかったからで、猫の毛が付いていたのに気づいたのもまた同じ理由。好きだから。


両思いと分かったからと言って、わたしと憂太が付き合うわけではなかった。距離は変わらなかった。どちらも『好き』と言葉にすることはなかったから。だって、わたしたちは呪術師なのだから。きっと、これからもその距離は縮まることはないのだろう。


▽▽▽


そんなある日、任務で彼氏彼女を演じなければいけなくなった。場所が結婚式場だったからだ。窓による調査では、実像が確認できなかったため、情報収集と現状確認が目的だった。わたしと二人での結婚式場の任務を憂太はどう思ったかはわからない。わたしはと言えば、複雑だった。絶対になれない彼女に擬似とはいえなれる喜びと、付き合えもしないのに恋人同士のフリをしなければならないという悲しみと。


「ちょっと緊張しますね」
「うん」
「なまえちゃんの彼氏さんに悪いなぁ」
「居ないから安心して」
「そっかぁ。よかった」


心臓の深い部分がじくじくと熟んだ。彼氏が居ると思われていたことで落ち込み、彼氏が居ないことに対し「良かったぁ」と言われたせいだ。熟れすぎた果実は、地面に落ちるだけだ。


「どうしたの?なまえちゃん」
「ううん、なんでもない。行こうか、憂太」
「うん」

憂太の腕に自分の腕を絡ませて歩き出す。相手の呪霊をおびき出すためには、手順が大事だ。今まで呪霊の被害にあった人間から得られた情報を元にすると、1に恋人同士が、2にウエディングドレスを試着しする。ここまでは分かっている。ただ、ウエディングドレスを試着した人間が全員被害にあっているかと言われたら、そうではない。最後に何かトリガーがあるはずだ。式場の人間に話して、ウエディングドレスを試着させて貰えることにはなっているのでそこへ向かう。

通された部屋でスタッフさんにウエディングドレスを着せてもらった。「まずはAラインのドレスから」の言葉通り、鏡に映る私が着ているのはよく見る裾が拡がったドレスだった。自分なのに自分じゃない姿にほわほわしていると、「旦那さんお呼びしますね」とスタッフさんが憂太を呼びに行った。


「なまえちゃん着れた?」
「着れた。でも肩だしてるから恥ずかしい」
「え〜そんなに気にしなくていいのに。入るね」


待って、の言葉を発する前に、無遠慮にカーテンが開かれる。どんな顔をして憂太と向き合えばいいのか分からない。そんな私の胸の内なんか知らない憂太は、目を輝かせて「可愛いね」と口を開いた。照れ臭いなんて言葉じゃ足りない。今すぐどこかに隠れてしまいたい。


「なまえちゃん、本当に花嫁さんみたいだね」
「もう結婚できるし、私は」
「あーそっか。16歳」
「憂太は誕生日いつだっけ?」
「……今日」
「……なんて?」
「今日誕生日なんだぁ」
「もっと早く言いなよ!」
「こういうのって自己申告するものかな?」
「言われなきゃ誰もわかんないじゃない」
「そっかぁ。でも、誕生日になまえちゃんのウエディングドレス姿見れたからもうプレゼント貰ったみたいなものだよ」
「バカ!」


今度こそ溶けて消えてしまいたいくらいの恥ずかしさに襲われた。だだっ広い試着室の中には隠れる場所なんかないのに。世の中の婚約した恋人たちは、こんな恥ずかしい思いを経験しているのだろうか。それとも大人になったら、こういうやり取りも平気になるのかな。

春みたいなほわほわした空気はどこか居心地が悪い。私たちの本来の目的は、呪霊討伐なのだから。どこか毒気を抜かれてしまっていては、いざという時に反応が遅れてしまう。

「…そういえば、全然呪霊の気配しないね」
「だね」
「なにか他にあるのかな。手順が」
「憂太もタキシード着てみるとか?」
「うーん、報告では着てなかったんだよね」


私の自分だけ恥ずかしい思いをしてなるものかという性根の悪さと、タキシード姿の憂太と並んで写真撮って欲しいっていう浅はかな考えは、憂太によって却下されてしまう。嘘でもいいから、写真はなくてもいいから、タキシード姿の憂太と並んでみたかったなぁ。


「なまえちゃん、ドレスも可愛いけど白無垢も着てみない?」
「え」
「白無垢似合うと思うんだよね」


憂太が『白無垢』の言葉を発した瞬間に、呪霊の気配がした。真希曰く、呪力感知がザルな憂太は気づかない様子で私の着ているウエディングドレスのスカート部分に手を伸ばして、「レースすごいね」と言って笑っている。


「憂太、」
「あ、ごめん」
「違う、後ろに呪霊の気配がする」
「なまえちゃん、帳お願いします」
「分かった!」


憂太に促されて、帳を下ろし、近くにいた人たちの避難誘導をしながら補助監督へ連絡を取る。近くで待機していた、補助監督に後を任せ、憂太の元へ急いで戻った。時間にして10分はかかっていなかったと思う。けど、戻った私が見た景色は先ほどと何も変わらない景色だった。


「呪霊は?」
「祓ったよ」
「え?もう?」
「なまえちゃんにウエディングドレス姿で戦わせられないからちょっと頑張った」
「憂太〜〜〜」


感じていた呪霊の気配は、特級相当だったはず。だから、逃げられたという答えが返ってくるかと思いきや、憂太は「祓った」という。しかも「ウエディングドレス姿で戦わせられない」ってどれだけ頑張ったんだろう。無事な憂太を見て、へなへなとその場に座り込んでしまった。それなりに現場はこなしていたつもりだ。憂太と一緒に任務へ赴いたのも初めてじゃない。けど、こんなにあっさりと任務が終わるのは初体験で、さっきまで感じていた呪霊の気配の重さの分だけ、肩の力も腰の力も抜けてしまった。


「大丈夫?」と憂太が私の元に駆け寄ってくる。いつも通りの憂太の力ない笑顔に、こっちまで笑顔になった。里香ちゃんを解呪して4級になったものの、やっぱり憂太は強い。


「なまえちゃん可愛かったからドレス汚れなくてよかったぁ」
「そんなん気にしなくていいのに」
「ダメだよ、僕が気にする」

文句を言いたいのに、唇に力が入って二の句が継げない。憂太が私に手を差し出して「立てる?」と問う。引っ張って貰って立ち上がると、私の着ているドレスのスカートをポンポンと叩いた。憂太に守られた白。


「着替えてご飯食べに行こう?」
「うん!」
「あーあ、憂太のタキシード見損なった」
「いつか見られるよ」
「え?」
「あ、えっと、なまえちゃんの隣に立ちたいとかそういう意味じゃなくて、えっと」
「…違うの?」
「……違くない、です」


分かりにくい憂太の言葉に思わず突っ込んでしまえば、「違くない」という言葉が返ってくる。顔をぽりぽり搔きながら、憂太は唇を強く結んだ。私も同じ気持ちだよ。次にウエディングドレスを着る時も、憂太と一緒がいい。だから、その日までこの服はおあずけ。