限界社畜のレクイエム


「ハルちゃ〜〜〜ん!」

玄関の方からオレを呼ぶ大きな声が聞こえてきて、なまえの帰宅を知る。「どこ?」「いない」の声と同時にバタンバタンとドアが閉じる音が聞こえる。廊下を歩く音もして、リビングに顔を出したかと思うとまた消えて……どうやらあちこち探し回っているらしい。バスタブの中でまだかまだかとなまえを待つが一向に現れる気配がない。相変わらず鈍いヤツと諦め、なまえを呼ぼうとしたその時、バスルームの扉が開いた。

「こんなとこにいた…」
「気づくの遅すぎんだろ」
「だって〜〜」
「もういいからとっとと閉めろ」
「え、やだ。わたしも入る」

そう言ってなまえは着ていた服をぽいぽいと脱ぎ捨てる。
どこに恥じらいを置いて来た?と聞きたくなるほど早く全裸になったなまえは、そのままバスルームの中に入り込んできた。相変わらず行動が理解不能。
バスタブの中からそんな理解不能なオンナを眺めた。
メイクを落として、髪を洗って、身体を洗う。
見慣れているはずの身体なのに、仕草や行動が違うだけでいつもよりなまえが艶っぽく見えた。何年一緒に居ても、こうして新しい発見がある。
それが嬉しいような恥ずかしいような複雑な気分で、オレはまだ少ししか入っていない湯に浸かりなおす。

「ハルちゃん、ちょっとそっち寄って」

そそくさと全身を洗い終わったなまえは、遠慮もなくバスタブの中にも入り込んでくる。一人分の体積が増え、お湯が大きく波打った。その勢いのまま向かい合わせになるような形で座り込んだなまえを腕の中へ引き寄せ、抱きしめられる形で収まった。
甘えるように凭れ掛かってくるなまえ。こういう時は、落ち込んでるか疲れたか、何かがあった時だ。
理解不能だと思っていても、一緒に居ればその言動はなんとなく理解できてしまう。やっかいなことに。

「なまえ、オマエなんかあったろ」

肩に顔を埋めてくるその髪に手櫛を通して問いかけるも、無言。さっきまでの図々しさどこにやったんだよと問いかけたくなるほどしおらしくなっている。この状態のなまえの扱いには正直あまり自信がなかった。というか苦手であると言ってもいいかもしれない。何をすればいいのか分からないの。ただ黙って背中でも摩ってやればいいのか、それとも頭を撫でたり髪を指で鋤いてやる方がいいのか、どう接すれば正解なのかわからない。


「……ハルちゃん」
「ん?」
「ハルちゃんはお仕事で嫌なことあったりしないの?」
「そりゃあんだろ」
「そういう時どうする?」
「あー、アレだ。なまえに甘える」
「嘘だ〜甘えられたことないよ〜?」
「オレは甘えてるつもりなんだよ」

ケラケラとオレのことを笑ってくるなまえの頬を軽く引っ張って笑うのをやめさせると、なまえは「いひゃい〜〜」って言いながらオレの顔を見る。
きっと会社で嫌なことあったんだろうなって容易に察することが出来て、けどそこにオレが口を挟んだところでなまえの辛さは分かってやれないから、こうして一緒に笑ってくだらない時間を過ごすしかない。もどかしい。本当は仕事なんか辞めちまえって言ってやりたいし、なまえのこといじめる上司なんてぶっ飛ばしてやりたい。
そんなふうに思っていることを口にしても結局意味はないから、何も言えない。言葉にした途端それは全部ただの言葉になって、本当に伝えたいことが伝わらないのが怖かった。


「なまえ〜」
「なに?」
「逆上せそう」
「え?ハルちゃん大丈夫?」
「大丈夫じゃねぇからちゅーして?なまえから」
「それ逆上せてるのと関係ないじゃん」

ふふ、って笑いながらもなまえは顔だけこちらを向いて、ちゅ、と触れるだけのキスをくれた。足りない、もっと、となまえの後頭部を抑えて、何度も唇を重ねた。柔らかくて温かいその唇の隙間から舌を捻じ込めば、応えるように絡まってきて息をする暇さえ与えてくれなかった。お互い酸素不足になりかけてやっと離れた唇からはどちらのものかも分からなくなった唾液が流れ落ちる。それを舐め取ってまた吸い付いて、繰り返した。


「ハルちゃ……」
「あっつ」

もう既に冷たくなっている髪をかき上げて、なまえを見れば頬が紅く染まっていた。このままじゃ本当に逆上せそうだ。
ぽわぽわと蕩けそうな表情のなまえを肩に担げば「続きは?」と煽るような言葉が降ってくる。こんな状態のまま風呂場でヤッて、なまえが風邪を引いたら元も子もない。理性をフル活用させてなまえの誘惑を断ち切るとそのままバスルームを後にした。