Step.1


「佐野くん!髪黒く染めてきてって何度言ったら分かるんですか」
「別にいーじゃん、髪色くらい」
「よくないから言ってるんです」
「誰にも迷惑かけてねぇのに?」
「……規則ですから」

 同じクラスの佐野くんは、校則違反常習者。今日は珍しく朝から学校に来ていると思ったら、相変わらずの髪色に制服すらきちんと着れていない始末。しかもナントカっていう暴走族?チーム?の総長らしく、生徒どころか先生も声を掛けられないから、いつも佐野くんの指導は私にお鉢が回ってくる。私だって怖くないわけじゃないのになぁ。


「なまえサン、悪い。マイキーまたなんかした?」
「龍宮寺くん、」
「あ、ケンチン。ケンチンからも言ってやってよ」
「オマエはとりあえず制服くらいちゃんと着ろ」
「え〜〜めんどくさ〜〜」

めんどくさいと言いながらも、佐野くんは素直に龍宮寺くんの言うことを聞いて制服に袖を通す。そして、そんな佐野くんのボタンを龍宮寺くんは一つずつ留めていった。まるでお母さんみたいに。


「あの、ありがとうございます」
「んや、オレの方こそごめんな。コイツの相手させちまって」
「いえ、慣れました」
「そう言ってくれっと助かるわ」

ニカッと笑う姿はとても中学生には見えないけれど、その笑顔で私は何度も救われてきた。
きっと龍宮寺くんは覚えていないだろうけど、塾帰りの私が不良に絡まれたときも、怖い人に連れていかれそうになった時も、必ず助けてくれたのはこの人だった。私の初恋の人で、今も密かに想っている。だから、こんな風に気軽に話せるだけで幸せだった。


「おいマイキー、早く行かないと遅刻すんぞ」
「ヤベェ!」
「ほら急げ」
「うぇ〜……」

龍宮寺くんに背中を押されて校舎に向かって走り出す佐野くんは、そのまま教室まで一直線。もうすぐ予鈴が鳴るという時間なのに、相変わらずギリギリ登校だ。私もそろそろ教室に向かわないと、と、風紀委員と書かれた腕章を外してポケットに突っ込み教室を目指した。


* * *

放課後になると、生徒たちはそれぞれ部活に行ったり帰宅したり。でも、私はこのあと生徒会の仕事があるからまだ帰れない。生徒が誰も居なくなったので教室の窓の施錠を確認して、生徒会室へ向かおうという時、窓の外に龍宮寺くんの姿が見えた。佐野くんを待っているのだろうか、二つ分の鞄を持っている姿が離れたこの場所からでも分かった。


「……何見てんの?」
「ひゃあっ!?」

突然耳元で声が聞こえたものだから大きな声で驚いてしまった。振り返るとそこにはニヤリと笑った佐野くんがいた。


「さ、佐野くん!驚かさないで!!」
「ビクッとして超ウケるんだけど」
「龍宮寺くん待ってるよ」
「あ〜なるほど。ケンチンのこと見てたのか」
「べ、別にそういうんじゃないし」
「ふぅん」

佐野くんは面白そうな顔をしながら私の隣に立って同じように窓から下を見下ろした。どうせまた意地悪なことを言われると身構えていると、佐野くんは窓に寄り掛かってこちらを見た。整ったキレイな顔に影が掛かって、悔しいくらいカッコいいと思ってしまう自分が嫌になる。


「…好きなの?」
「え?」
「ケンチンのこと」
「……なんの話?」
「誤魔化しても無駄だって分かってんだろ」

佐野くんはやっぱり鋭いし容赦がない。どうして気づかれたのだろうと焦る気持ちもあるけれど、それよりも否定する方が辛かった。好きだよ、大好きだよ。本当は言いたいのに言えない言葉を飲み込んで、私は静かに首を横に振った。佐野くんはそんな私の髪を一束掴んで、「ケンチンはダメ」と言った。別に期待していたわけじゃない。付き合えるとか、好きになって貰えるとか。ただ、見てるだけでいいのに。


「…なんでそんなこと佐野くんに言われなきゃいけないの?」
「オレのほうがケンチンのこと知ってるから…?」
「はぁ?」
「だって、イインチョー処女だろ?」
「な、なに?急に」
「ケンチン、処女はダメなんだって」

佐野くんは私の髪を掴んだままグッと顔を近づけてくる。吐息がかかるくらいの距離に、思わず目を瞑ってしまった。心臓は痛いくらいで、今にも口から飛び出してきそうだ。「こんなんで動揺するとかやっぱ処女じゃん」と額と額をくっつけられ、佐野くんの髪が私の顔に掛かる。甘い佐野くんの匂いが鼻いっぱいに広がった。「オレが練習台になってやろうか?」と佐野くんが言った。
一瞬、この人は何を言ってるんだ?と思った。けれど、その言葉を咀嚼すれば、それでもいいと思った。別に処女なんて大事に取っておくものでもないと思ってるし、待ってたって何も始まらない。それにこんなこと他の誰かに頼めることでもない。それなら可能性が少しでもある方に進むほうがいい…。


「…よろしくお願いします」

私はそう言って目を閉じた。
佐野くんは「りょーかい」と小さく笑って、ゆっくりと唇を重ねてきた。これが私のファーストキスだった。こうして私たちは誰にも言えない秘密を共有することになった。