Step.16


階下から物音がして目が覚めた。
辺りはもう真っ暗。そういえば、玄関の鍵閉めたっけ?不安になってもそもそと身体に巻き付いた腕を剥がそうとするけれど、それはビクともしない。それどころか更にぎゅうっと力を入れて抱きしめてくるものだから身動きすらできない状態になってしまう。

「ちょ、ちょっと!離して!」
「やだ、さむい」

ふわりとした甘い声と共に首筋に顔を埋められてちゅ、と音を立てて吸い付かれる。抵抗する手は佐野くんの手に捕らえられ指を絡められて握られる。しかもお互いに裸のままだ。こんなところ家族に見られたりしたら言い訳どころの騒ぎではない。それにさっきあんなことをしてしまったあとだし……思い出すとお腹の奥の方がきゅんとした。そんな私の様子を知ってか知らずか首に回した手を頬に移動させて優しく口付けられる。
あぁ駄目だ、流されてしまいそうだなんて思った時だった。ガタンという音と同時に階段を昇って来る音が聞こえた。

「佐野くん、服着て!」
「え〜」
「誰か2階に上がってきてる」
「ん〜」

焦っている私とは逆に佐野くんは呑気なものだ。二人とも裸でいるよりは私だけでも服を来ていれば作れる言い訳もあるだろうと、佐野くんの手が緩んでいる隙に腕の中を抜け出した。
あーーもう!なんで制服ってこんなに着にくいんだろう。ボタンを締めながら焦れったくなってしまった。
やっとのことで服を整え終わるとちょうど部屋の前で足音が止まる。トントンとドアがノックされ「なまえいる?」と声を掛けられる。母だ。
なるべく部屋の中が見えないようにドアから部屋の外に出た。

「誰かきてるの?」
「え?なんで?」
「なんでって靴が2つあったわよ?」
「あ、あのえっと」
「もしかして彼氏……?紹介してよ」
「そんなんじゃ」

答える前に背後にあったドアが開いた。慌てて振り返るとそこにはいつの間にか服を着ていつものようにニコニコしている佐野くんがいた。私はその姿を見るなり固まってしまう。母は驚いた様子もなく、あらあらといった顔で微笑んでいた。

「どうも、なまえの彼氏です」
「やっぱり彼氏なんじゃない!」
「佐野万次郎です」
「佐野くん、娘をよろしくね」
「こちらこそ」


母は私の方に向き直ると「今日、ハンバーグなんだけど佐野くんもどうかしら?」なんて言ってくる。どうやら第一印象は好感触なようだ。まぁ、兄がアレだったから今更佐野くんで動揺することもないのだろう。
私が返事に困っていると、横から佐野くんが答えてくれた。

「せっかくだけど妹がメシ作って待ってるんで」
「そうなの?残念だわ」
「また今度誘ってください」

佐野くんがこんな風に礼儀正しく話してるのを始めてみた。普段は先生にすら敬語も使わないのに。つまりいつもはわざとってことになるんだよね。
そうこうするうちに母は「また来てね」と言って階段を降りていく。母の姿が見えなくなると同時に佐野くんはホッとしたように肩の力を抜いた。その瞬間を見逃さず脇腹に手刀を入れると彼は痛い!と叫んで悶絶していた。

「猫かぶり!ていうか彼氏ってなに?」
「ならなんて言えばよかったんだよ?」
「ただのクラスメート?」
「ただのクラスメート、家に呼ぶの?オマエ」
「う……」


それを言われると言い返せない。
私と佐野くんの関係はがなにかなんて私も教えて欲しいくらいだ。ただ、ただのクラスメートではないし、彼氏でもないことは確かで。
うーん、と顎に手を当てて悩んでいると、その手を掴まれて引き寄せられキスされた。唇が離れ、私の目に映った佐野くんはいたずらっ子みたいに笑っていた。

「そういえば今日来た人たちにも佐野くんの彼女って言われたなぁ」
「ヤなの?」
「そうじゃないけど……」
「なら付き合う?オレたち」
「え……」

一瞬にして空気が変わったような気がした。
今までだって何度かこんなことあった。佐野くんが私に好きだっていったり、本当の彼女みたいに扱われたり。それでも私たちの間には明確なものはなにもなくて。けど、佐野くんが今言った言葉が、冗談ではないことだけは分かった。こんな真剣な佐野くんをはじめて見たから。でも私はそれにすぐに答えることが出来なかった。


「佐野くん、私のこと好きじゃないじゃない」
「好きだけど?」
「私は……」
「まだケンチンが好き?」

なんで今、龍宮寺くんの名前が出てくるんだろう。疑問に思って、考えて、そういえば佐野くんに龍宮寺くんのことはもう諦めるってことを伝えるのを忘れていたことを思い出した。つまり、佐野くんは私がまだ龍宮寺くんのことを好きだと思っているんだろう。それでいて「付き合う?」って言ってきた意図もなんとなく分かってしまった。

私は何も言わず、無言で佐野くんをみつめた。
すると今度はぎゅっと抱きしめられた。それはまるですがりつくようで。さっきまでの余裕たっぷりな様子とは大違い。なんだかいたたまれなくなって彼の背中に腕を回す。ぽんぽんっと子供をあやすようにして頭を撫でた。


「なまえ、すき」

佐野くんは小さな声でぽつりと言った。
私にだけ聞こえるような小さな声。もうその言葉を疑うことなんか私には出来ない。真っ直ぐな瞳が私を捕える。きっとずっと前から、多分、初めて身体を許した時にはもう私の中に小さな恋心は芽生えていた。だから、龍宮寺くんとエマちゃんが両片思いって知ってもそこまで傷つかなかったし、逆に佐野くんに嘘を吐かれているかもって不安にもなったんだと思う。結局、私は自分が思っていたよりもずっと佐野くんのことが好きだったのだと気付かされただけだった。それこそ自分の感情に気づいてないふりをして見ないようにしてきたくらい。それがこの気持ちの正体だ。言いたいことはたくさんある。けど、今一番伝えたい言葉はたった一つだけだった。

「私も好き……」

小さくて掠れた声で返事をする。佐野くんは目を見開いて私をみつめると嬉しそうにはにかんで笑った。