同じクラスの竜胆くん


 竜胆くんの家に初めて行った日の事を私はよく覚えている。
 大きくてキレイなデザイナーズハウスは灰谷竜胆というオトコを体言しているような風貌でそこに立っていた。普通の家とは違った作りのそれは存在感を放ってその場に立っていて、それはまるで学校に居るときの竜胆くんのようだった。
 
 正直なところ、灰谷竜胆というオトコのことをその頃の私はよく思っては居なかった。連れている女をよく変えていたし、喧嘩っ早くて学校もサボりがち。ただ時折屋上で見かける竜胆くんはよく空を眺めて、その竜胆くんのことは少しだけ嫌いじゃなかった。
 竜胆くんに泣かされた女の子はたくさんいたと思う。
 陰口のように竜胆くんには届かない場所で「灰谷竜胆」の名前は人々へと知れ渡っていった。その内の何人か竜胆くんに突っかかっていくこともあったけれど、三年になる頃には「灰谷兄弟を選んだ女が悪い」に変わっていた。
 その頃夢見がちだった私は、そんな女の子たちを見ていたにも関わらず「私は違う」と信じきっていた。けれどその反面、竜胆くんは私の手に負えるオトコではないということもどこかで理解していた。だから極力近づかない、そう勝手に決めて自分を守っていたんだ、私は。
 
 どちらかと言えば優等生だった私と、不良のレッテルを貼られた竜胆くんとの共通点はなかった。ただ、一度だけ隣の席になっただけ。竜胆くんは学校に来ても寝ているばかりで、きっと私が隣だったことすら知らなかったと思うけど。
 
 
 竜胆くんの家に初めて行った日は、梅雨の間の貴重な晴れの日だった。朝から家で嫌な事があった私は、いつものように屋上に行った。そこには授業をサボっていた竜胆くんも居て、私に気づいた竜胆くんが「すっげぇ顔してんな?」と言って私の顔に掛かった髪に触れたのだった。逃げるように避けるように一歩後ずさって気づく後悔。竜胆くんは私になんか興味ないと思っていたのに「一緒にサボる?」と言って私に笑いかけた。私がさっきしてしまった出来事なんてまるで大したことでもなさそうに。
 
 
「行かないよ」
「だよな〜」
「竜胆くんはまたサボり?」
「そ。こんなに晴れてんのに学校いるなんて勿体なくね?」
「…やっぱり私も行く」
「は? さっき行かねぇって」
「行く。カバン取って来る」
 
 
 それから二人で学校抜け出して、けど外出てすぐ雨が降ってきちゃって。竜胆くんが「ウチ来る?」って言うから二人で強くなってくる雨の中走って竜胆くんの家に向かった。二人とも竜胆くんの家に着いた頃にはびしょ濡れで、竜胆くんの家でシャワーと服を借りた。
 ベッドの上で並んで座っていると、竜胆くんが寄りかかってきた。背中に添えられた竜胆くんの手は私を支えてくれていて、ゆっくりと崩れ落ちるようにベッドに押し倒された。
 
 
「竜胆くん、」
「ん?」
「ま、待って」
「ヤダ」
 
 竜胆くんの前髪が私の顔に触れてなんだかくすぐったくて、目を閉じた。唇に触れる暖かい感触も、素肌に触れる自分のものでは手のひらの感触も全部始めて。「なまえ、」と耳元で名前を呼ばれてずっと閉じていた目を開けた。私の目の前には竜胆くんが居て。「自分だけは違う」って思ってたはずなのに私はあっけなく竜胆くんに落ちた。頭で考えるより先に感情が動いた。もっと竜胆くんのことを知りたいと。もっと竜胆くんの深いところに潜りたいと。
 
 私が灰谷竜胆に抱いていた感情は「無関心」ではないと、この日私は竜胆くんに抱かれて初めて気がついた。
 
 
 ▽▽▽
 
 
「オレのこと好き? 嫌い?」
 
 竜胆くんに抱かれた次の日、学校の屋上で昼休みに会った竜胆くんは開口一番そう言った。正直に「わかんない」と答えた。本当に分からなかったのか、竜胆くんに「好き」と言って煙たがられるのがイヤだったのか今ではもう分からない。
 私と竜胆くんの関係は『恋人』ではなく『セフレ』でもなく、『ただ昨日成り行きでセックスした』というだけ。そこに好きとか嫌いとかはなくて、ただ気持ちよかったかどうだったかだったような気がしていた。
 
 
「好きって言われたらどーしようかと思ったわ」
「…なんで?」
「縛られんの嫌いっつーか」
「ふーん」
 
 
 それは竜胆くんなりの牽制だったのかもしれない。当然、後ろめたい気持ちが欠片もないわけではなかった私は背徳感で竜胆くんの顔が見れなくなってしまった。耳に当たる日差しがやけに暑くて、理由をつけて屋上から逃げ出したかった。チラッと竜胆くんを見れば、私になんか興味なさ気に昼食のパンを頬張っている。
 
 
「竜胆くんはいつもあんなことしてるの?」
「や、家に連れてったのはお前が初めて」
「そっか、」
「兄貴はよく女連れてきてるけど、オレはめんどくさくなるの嫌だから」
「ふーん」
「また来る?」
「わかんない」
「なんでだよ」
「そんな風に言われて行く〜なんて言えないでしょ」
 
 
 私の答えが不服だったのか、竜胆くんは私のお弁当箱の中から卵焼きを一つ摘むと自分の口に放り込んだ。嫌がらせのつもりらしい。「ん、んまいな」といつもと変わらない態度の竜胆くんに酷くイライラしたのを覚えてる。卵焼きを取られたからじゃない。彼女になれないからじゃない。私とどうなりたいのかという竜胆くんの意図が見えないことがイヤだった。
 
 
「あー早く梅雨おわんねーかな」
「夏オトコっぽいもんね、竜胆くん」
「そーか?」
「夏! 海! みたいな?」
「なまえの中でどんなイメージなんだよ、オレ」
 
 買って来たパンを全部食べ終わった竜胆くんはくしゃくしゃっとゴミを一つに纏めて、ゴミ箱にそれを放り投げた。キレイな放物線を描いてゴミ箱に入ったのを確認して、私の脚を枕にして横になる竜胆くんは綺麗に染まった金色の髪が陽の光を受けていつもより明るく見えた。そのまま目を瞑った竜胆くんは「午後の授業は出っから時間になったら起こして」と言葉を吐いた。
 
 
「まだお弁当食べてる途中なんだけど」
「いーだろ別に」
「いいけど」
「おやすみ」
 
 
 私の気持ちなどお構いなしなこのオトコをどうしてやろう。そう思った時点で私の負けは確定したようなものだった。されるがまま、流されるまま。抗おうとしても、私の意志とは関係なく身体が動いてしまう。無邪気に私の膝の上で目を瞑るこのオトコを愛おしいと思ってしまった。耳が暑いのは日差しのせいなんかじゃなかった。全部全部、この灰谷竜胆と言うオトコのせいだ。