伏黒甚爾は私の青春の全てだった。

第一印象は、耳障りのいい声が心地いいということ。
恋人としての点数は落第点。好きと言ってくれたことは一度もなかったし、キスはいつもタバコ臭かったし、いつもお金がないって言っては私からお金を借りていくし。どうしてこんな人を?と自分でも思った。友人たちにも硝子にも「とっとと別れろ」と苦言を呈されていた。それでも一緒に居たのは、私が甚爾さんが居ないと生きていけないほど甚爾さんを好きになってしまったから。

好きで好きで、大好きで。
だから、利用されていたと知ったときは、そこに愛なんか本当になかったと知ったときには、私も死んでやろうと思った。私が彼に流した情報で死人が出たと分かったときは殺して欲しかった。たくさんの人が見ている前で、死刑にして欲しかった。


夜蛾先生も悟も傑も、誰も私のことを責めなかった。責めてよと私が懇願しても、だ。傷ついた顔しながらも、責めなかった。それが余計に辛かった。

言い訳のような慰めの言葉をいくつも並べられた。
騙されていただけだから、まだ子供だから、呪術師として失うのは惜しい、もう終わったことだ。責められて、殺されたほうが楽だった。ただ私が愚かだっただけじゃないか。


結果、私の罪は不問になった。
私に誰も罪を科さなかった代わりに、私は自分で自分に罪を科した。学校に、高専に残り、教師になる道を選んだのだ。自分のような間違いをおこす生徒をこれ以上生み出さないために。


なのに、どうしてだろう。
私の心の中にはずっと甚爾さんが居て、好きという気持ちが消えてはくれなかった。どんなにみんなと笑いあっても、甚爾さんと過ごした日々を思って泣いた。傑が居なくなった日も、悟が「俺も教師になる」と言った日も。愚かな私は10年経っても愚かなままだった。

もう恋に恋する年齢でもないのに。


過去の残穢




「なまえさ、来年度の入学者名簿見た?」
「見たも何も二人しかいなかったでしょう?」
「ふーん、ならいいけど」
「ちょっとそんな言い方されたら気になるんだけど」
「伏黒恵」
「……何が言いたいの」
「いや、平気なのかと思ってさ」


それは高専の入学式を間近に控えたエイプリルフールだった。悟が私に甚爾さんの話を持ち出すのは初めてだったからびっくりしたのを覚えている。同期会ではないけれど、硝子と悟と私、職場が同じ三人で飲むことは卒業以来の慣習になっていた。

大概飲み過ぎの硝子と甘いものオンリーの悟に挟まれて加減が分からなくなるのはいつものこと。飲み過ぎになるか飲み足りなくなるかのどちらかだった。まぁ、いつも飲み過ぎになるのが常なのだけれど。


「名前言うのも嫌なんだけど、僕は」
「甚爾さんのこと?」
「普通に名前だすねぇ」
「別に悟に気使う必要感じないし」
「まぁあの頃のなまえ見てたら心配になるよ」
「硝子〜〜〜」

隣に座る硝子に抱き着く。悟は「態度が違いすぎる」ってぼやいてたけど当たり前。硝子は私と甚爾さんとのことを全てとは言えないまでも、そのほとんどを知っているのだから。自分はそんなにまだ甚爾さんに囚われているように見えるのだろうか。あれ以来誰かと付き合うということはないし、恋愛とは程遠い場所で生きてきた。それでももう10年経っているのだ。心の傷は時間が癒してくれるとまでは言わない。けれどもう美化された過去に惑わされる齢でもない。


「大丈夫でしょ?」
「ならいい」
「硝子〜〜」
「ひっつくな。酒がまずくなる」
「僕なら空いてるよ」
「悟はいらん」


ガヤガヤ、という擬音語が適切だろう。居酒屋と呼ばれる騒がしい場所においても騒ぎ過ぎたかもしれないと思えるほど楽しい時間だった。きっとそんな日々が、穏やかな日常が続くと思っていた。あの頃の私たちは。
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