「ねえ、聞いてる?」
正直言うと上の空だった。
なんだか最近は何もかもがどうでもいいような気がして、上の空になることが多い。
「絶対聞いてなかったでしょ」
そう聞いてきた彼女の名前は香織。野川香織。話相手になっている自分は、岸田拓哉。
「ごめん、もう一回」
「もう」
自分の歳は40を過ぎたくらい。彼女はまだ30にもなってない。
「ずっとこのまま一緒に居てくれるの?」
「ああ、もちろん。約束だろ」
彼女の声が少し不安気な感じに聞こえたのは気のせいではない。あまり敏感ではない自分にもそうと分かる彼女の声だった。
「なんかさ」
「ん?どした?」
「縛っているみたいで、悪いよ」
「俺はそうしたいからしてるだけ。一緒に居たいから居る。変に気を回すなよ」
「だって…私のせいで」
「もう、言うんじゃない」
「私…私…、幸せになれるかな…」
「ああ、大丈夫だ。俺がいる」
「うん…うん、そうだよね」
そう言うと彼女は涙を流しはじめた。
香織の涙を見るとどうしようもなく辛くなり、胸が締め付けられるような圧迫感を感じる。
けどそれは強迫観念的なものではなく、もっとこう何かすごく大切なもの、例えるならガラス玉のような、大切に抱えてないと手から滑り落ちて壊れてしまいそうな、陳腐な言葉で言うと愛しさのようなものだと思う。
「泣くなよ」
「うん」
「おまえさ、夢あったろ」
「うん」
「生きてなきゃ叶わないからな」
「うん」
「頑張って生きろよ」
「うん」
「色々考えたけど、やっぱりこうするのが一番かもな」
「うん?何?」
「香織、結婚しようか」
彼女はなぜかずっと泣いていた。
ひとしきり泣くとヒックヒック言いながらこう言った。
「お願い、もう一回言って。今日だけは私の本当の名前で」
「ああ、『美春』、おまえと結婚する。ずっと一緒だ」
「涼子も千佳もずっと一緒」
「ああ、ずっと一緒だ」
それからまた彼女はずっと泣いていた。
この涙には20年の想いが詰まっている。自分の心にそう呟きながら俺は一晩中彼女を抱きしめていた。
話は20年前までさかのぼる
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