普通なら誰も進んで踏み入ろうとはしない暗がり。
そこに不自然な影が一つ。
獲物を発見した獣のような眼光が走る。然し、そこに猛々しいオーラは無く。寧ろ妖艶で怪怪とした雰囲気が漂う。

メルト「あら、可愛い子……」

どこからともなく彼女の背後にぴたりと距離を詰めると、誰でも肝を冷やすようなトーンで、耳元で囁くのだ。

ミーナ「みゃあああ!?」

突然耳元で聞こえた声に飛び上がり、恐る恐る振り返る。

ミーナ「だ、だれ……?」

メルト「ふふ、反応も可愛いのね」

ころころと笑っては、相手の表情を伺い、恐々としたそれを感じ取ると、次は優しく微笑む。然し暗闇であるため、ハッキリとは視認できないだろう。

メルト「知りたいの?なら、もっとこっちへいらっしゃい?傷つけるような真似はしないわ……」

後ろを振り返ったが、暗闇のためよく見えない。

ミーナ(念の為変化して姿を確認……?でもそっちの方が危ないかな……?)

数秒考えた後、そのままの姿でメルトに近付くことにした。

接近する存在を認識すると、脅かさないように穏やかに迎え入れる準備をすると、先程よりも色気を増したトーンで催促する。

メルト「大丈夫……もっと近づいてきて良いのよ」

不思議な魅力に取り憑かれ、いつの間にか警戒心は無くなっていた。

ミーナ「ねぇ、誰なの?どこにいるの……?」

相手の正体が知りたくて再度声をかける。

小さな手持ちの燭台に火を灯すと、ようやくその顔を現す。警戒されないよう、翼はコンパクトに畳んで見えないようにする。

メルト「私の名前はメルト。……ねぇ、私のことを教えたら、あなたのことも教えて?」

今度は子供のように好奇心のこもった声で、名前は何と言うの?と彼女に問いかける。どうやら、情報の等価交換を持ちかけているらしい。

ミーナ「私?私はミーナ。あなたのこと、メルって呼んでもいい?」

何の疑いも無く正直に答えるミーナは、目の前で明かりがついたというのに自分の耳を隠すのを忘れていた。
それくらい彼女のことが気になっているのだろう。

メルト「ミーナ、良い名前ね……ええ、呼びやすいように呼んでもらって構わないわ」

警戒心の解れた顔をしばらく見つめると、緩やかな挙動で再び至近距離に詰め、ニコリとする。

メルト「綺麗なお耳……舐めてしまいたいくらい」

平然と自身の欲望を口にしてしまったのに気がついて、コホンと咳払いをすると、垂れ落ちそうになった涎を啜る。

ミーナ「にゃっ!?」

警戒心は既に解けているとはいえ、予想外の言葉にびくっとする。

メルト「失礼……癖が出てしまって」

戻した涎の代わりに上から垂れる汗。だが、これ以上ミーナに繕うのは難しいと思って、諦めて小さな溜息をつく。

メルト「でも、バレたら仕方がないわね……」

今まで和やかに保っていた表情が徐々に歪んでいく。まずは口角から。

メルト「ねぇ、ミーナちゃん。突然だけど、何かお願いごと……あったりする?」

もう抑えきれないといった様子で、微かに頬を紅潮させると、また眼を光らせる。

ミーナ「お願いごと……?」

しばらく考えるが何も思いつかない様子。

ミーナ「メルちゃん……?」

ふと、メルトの様子が先程までと違うことに気付く。

メルト「……え、もしかして無いの?」

今までそんな純粋な者達には干渉しなかったため、多少の動揺を露わにする。
瑞々しい女児を前にして、思わず押し倒してしまいそうになる衝動を抑え、代わりに小刻みに手が震える。

メルト「そうねぇ……何でもいいのよ?これが食べたい、あれが欲しい、だとか。──もし良ければ、私が叶えてあげるから」

欲望と理性の間で揺れ、ギリギリの所で後者を維持できているようだ。あくまで“優しいお姉さん”として振る舞うことに尽力し、とにかくにこやかにする。

ミーナ「食べたいもの……?うーん……だったらお腹いっぱいごはんが食べたいなぁ……」

普段から質素な生活をしている彼女には、贅沢なんて思いつかなかった。
食べたいものと聞かれ、そう答えると思わずお腹が鳴ってしまう。

メルト「……よぉし」

相手から正直な願望が漏れたと捉えた途端、目の色を変えて、ニタッと不純に顔を綻ばせるのだ。

メルト「お姉ちゃんが、ご馳走を用意してあげる」

驚かないでね、と一声かけてから、指をパチンと鳴らすと、眼前には黒い椅子と机、そこに掛けられたテーブル掛け、二三個の燭台が一気に、魔法の如くいきなり出現した。

メルト「……ミーナちゃん、いいかしら」

相手の承認の一言を求めて、他の声色とは打って変わって、真剣な、念を押した調子になる。

ミーナ「わあっ……!うん!いいよっ!」

目の前の出来事に目を輝かせ、これから出現するであろう食事にワクワクしながら元気よくそう答える。

メルト「──わかった」

一瞬、赤い目に一等星のような輝きを灯すと、その両手に魔力を集中させ、テーブルへと放出する。
まず、宙に浮いた食器がカタとそこに落ちると、次は料理である。

メルト「謌代′鬲泌鴨縺ィ蠑墓鋤縺ォ鬥ウ襍ー繧堤畑諢上○繧──」

聴こえない程度の音量で呪文を詠唱すると、それぞれの皿には確かな重量が伝わる。全て猫が食べても安全な食材と調味料で料理されたものである。
オマケに、ミーナの真上にエプロンを出現させ、綺麗に頭から通すと、メルトは一息つく。

ミーナ「わぁ!!すっごい!!ねぇメルちゃん!食べてもいい?」

目の前の料理を見ながら無意識にしっぽを揺らしている。
そして「早く食べたい」と言うように期待に満ちた瞳でメルを見た。

メルト「ええ、席について、たくさん食べてね」

疲労が顔に出ないよう耐えながら、最大限の笑みと共に、椅子を引いて手招きする。

メルト「たくさん、たくさんよ……」

何か含みのある雰囲気で繰り返すが、彼女は興奮していて意図に気づかないだろうという算段のもとである。

ミーナ「うん!食べる食べる!!」

彼女の意図にはもちろん気付くはずもなく、椅子に座り片っ端から料理を片付ける。
普段近くの家から魚を貰ってくる程度の生活しかしていなかったため、こんなにたくさん、しかも豪華な料理は初めてだった。

メルト「すごいじゃない、美味しそうに食べてもらえて、私も嬉しいわ」

口に入れる速度からミーナの腹の具合を確認しながら、片付いた皿を消滅させると、その都度何かをぶつぶつ呟いては、また新しい料理をそこに出現させるのである。

メルト「いい?腹八分目になったら私にそう言うのよ」

また念を押す。含みのある発言だと取られないように、「満腹だと苦しくなっちゃうでしょう?あなたを心配して言っているのだけど」と付け加える。

ミーナ「メルちゃん!いっぱい料理食べさせてくれてありがとー!大満足だよー!」

メルトに言われた通り腹八分目でそう伝える。
口の周りをぺろっと舐め、とても満足そうだ。

メルト「ふふっ、良い子」

髪をひととおり撫でると、続けて言う。

メルト「ねぇ、デザートを出してあげましょうか?これは別腹よ」

何も気にしないで、ぜひ食べてほしいの、と少しお茶目な様子で舌を出す。

ミーナ「デザート!?うんっ!食べる!!」

髪を撫でられ嬉しそうに目を細めた後、デザートという言葉にまた目を輝かせる。

メルト「最後の料理だから、たんと味わってお食べ」

再び神経を集中させると、平になった台の上、魔力を放射する。何か思惑がありそうに、ニヤケながら。

メルト「逕伜袖縺ォ蟆鷹上ョ蟐夊脈繧呈キキ縺懊%縺薙↓蟄伜惠縺輔○繧──」

長めの詠唱文を唱え終わると、そこには猫に害のない量のケーキが出された。これはデザートであり、“メインディッシュ”であるのだと、思わず口走りそうになるが抑える。

ミーナ「いただきまーす!」

何の疑いも無く、ケーキを口に運ぶ。

ミーナ「あまーい!おいしーい!」

それは頬が落ちるほどの美味しさで、ニコニコしながらあっという間に平らげてしまった。

メルト「はい!ごちそうさまね」

最後の皿を消滅させると、ふぅ、と一息ついて、ミーナの背後から肩に手を置く。

メルト「いっぱい食べられたわね……急に動くと腹痛で苦しくなってしまうわ、少し休んでいきなさい」

ミーナ「うにゃあ……(なんか頭がぽわぽわする……)」

満足気な様子で口の周りをぺろりと舐める。
そしてメルトの言う通り少し休んでいくことにした。

メルト「ベッドを用意しましょう」

再びパチンと鳴らすと、テーブルと椅子は消え、言った通りの代物が姿を現した。それは一人で使うには些か面積が広く、所謂“ダブルベッド”と呼称しても過言ではない物なのだが。

メルト「寝返り打ちづらいでしょうからね」

言い訳がましく早口でそう言うと、背中を柔く押して、ミーナを寝床へと誘う。その片手には、彼女に対する深い慈しみが表れる一方、どこか凄まじく不健全な一手として映ることも、有り得てしまう。

メルト「辺りを暗くしておくわ。橋の下とはいえ、ここまで明るくては安心できないでしょう」

そうして影は濃さを増していく。勿論怖がられないようにじっくりと時間をかけるのであるが、然し確実に、ミーナの足元まで、安息の闇は迫っている。
遠距離から見ると、その二人は捉えられない。一種の結界のようなものを張り、外部からは認識されないようになっている。“計画”は完璧に遂行されてきているのだ。

メルト(哀れな子、何も気づいていないのね……)

早くもふらふらとし始めるミーナに、つい行為に至ってしまおうと足が勝手に動こうとするが、無理矢理に自制を効かせ。

ミーナ「メルちゃんありがとぉ……」

少しふらふらした足取りでベッドに向かいぼふんと倒れ込む。
彼女を包み込む柔らかいベッドは、彼女を眠りの世界へ誘おうとしていた。



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