バラの花束を買う親分 03
ローマにて国際会議が開かれることとなり、その準備に追われてあれ以降スペインと会う機会が減った。今回の会議にはスペインも参加することが決まっており、こちらが忙しい理由はわかっているので、珍しくスペインがこちらの予定を事前に確認してくるという奇跡を起こしている。お陰で無理な日は断ることが出来ているのだが、出来るなら普段からしろよとも思う。会議は二日間行われ、どの国も一泊はするのでこちらからいくつかホテルを推奨するが、実際どこに宿泊するかは各国で決める。スペインもホテルを決めたようで泊りに来ないかと打診されているが、そんな余裕があるのかはわからなかったので、当日まで保留にしていた。
「オラ!ロマーノ!」
会議の資料が行き届いているか最終チェックをしていると、肩を掴まれた。覚えのある訛りの声がして、驚いて振り返る。
「スペイン?早いな、珍しい」
「会議始まる前に来るのなんか当たり前やん」
「遅刻常習犯がよく言うぜ」
呆れつつ、ハグをして挨拶を交わす。久しぶりにスペインの匂いに包まれて、ほっと息をついた。数秒して体を離し、改めてスペインを見る。ハグをする前から気にはなっていたのだが、今日はスペインが少しおかしい。スペインが着ている、糊のきいたチャコールグレーのスーツは見覚えがなく、しっかり体にフィットして、綺麗にスペインの体のラインを見せていた。
「お前……そのスーツ、どうした?」
いつもはいつ買ったのかわからないヨレヨレのスーツを着て、髪の毛も寝ぐせがついた寝起き状態で会議に参加しているぐらいなのだ。なのに今日は寝ぐせもついていない。
「これええやろ〜新しく買ってん」
「オーダーメイドか?」
「え、そんなことまでわかるん?流石やなあ」
どうやら本当にわざわざオーダーメイドをして、新しくスーツを仕立てたらしい。あのスペインが。信じられなくて、頭のてっぺんから足のつま先まで、何度も往復してスペインを見る。
「なあ、どない?似合ってる?」
期待するような眼差しでこちらを見るスペインに、どう返そうか迷った。オーダーして作ったものが似合ってないはずがない。腹が立つぐらい似合っている。しかし素直に褒めるのは癪だな……と思ってしまう。これが自分のいけないところだった。
「スペイン兄ちゃん!?珍しく早いね。チャオ〜!」
言い淀んでいると、会議室にヴェネチアーノが戻ってきた。さっきまでここにいたが、別室で会議する上司と打ち合わせを任せていたのだ。以前じゃがいも野郎とケンカ紛いのことをしていた時、ヴェネチアーノはすっかり落ち込んでいたが、どうやら仲直りをしたようで、最近はずっと上機嫌だ。腹が立つので聞いていないが見ていればすぐわかった。
戻ってきたヴェネチアーノはスペインがいることに驚きつつ、こちらに走ってきてさっそくスペインとハグをしている。
「オラ!イタちゃん!」
「あれ?スペイン兄ちゃん、スーツ新調したの?すっごく似合ってるね〜かっこいい!」
スペインが応える暇もなく、べた褒めしながらスーツを撫でるヴェネチアーノに、ぎょっと目を見開いた。さっきまでの俺たちの会話を聞いていたのかと思うようなタイミングの悪さだ。スペインも嬉しそうに顔を赤くして、照れている。
「嬉しいわあ。やっぱ高いだけあって、いつものとは全然違うわ」
照れくさそうに頬を掻くスペインは本当に嬉しそうで、オーダーメイドのスーツが誰のために用意されたものかを知った。好きな相手が開催国だから張り切ってオシャレしてきたのだろうし、遅刻もせず開始前にやってきたのだろう。
どうした、なんて愚問だった。聞くまでもなく、好きな相手の為だったのだ。
和やかに話しているスペインとヴェネチアーノを置いて、自席についた。ヴェネチアーノが席に帰ってこないので、会議が始まるまでに挨拶に来る律儀な国とのやり取りは、俺になってしまった。普段なら弟に押し付けることだが、さっきの空間にいるよりかはずっとマシに思えた。
挨拶をしていると会議開始時刻となり、珍しく全員揃ってのスタートとなった。順調に進んでいたのは最初だけで、途中からはアメリカがめちゃくちゃな案を出し、当然の如くイギリスがダメ出し、それに対してフランスがケチをつけ、殴り合いが始まる。
「いい加減にしろ貴様ら!」
いつものじゃがいも野郎の怒声が響いたところで、今日の会議の終了を意味していた。じゃがいも野郎がキレると説教タイムが始まり、会議を続けるどころではなくなる。ペンを放って、大騒ぎしている連中をぼんやり眺めた。
開催国としてはあいつらを止めなければならないのかもしれないが、間に入った瞬間に吹っ飛ばされる予感がする。弟も早々に諦めているので、傍観に徹するのみだ。上司たちの会議が終わる頃合いに終了すればいい。
上司が一緒の会合ならきちんとするが、国同士の会議などこんなものだ。上司たちも俺たちの会議には何も期待していない。上司たちと同じ議題を、一応俺たちも議論しておけというだけのこと。
踊る会議を見続けたところで、時計が五時を指した。上司たちの会議終了予定時刻だ。手元にあるパソコンを操作して、大音量でアラーム音を鳴らした。今まで大騒ぎしていた連中も殴り合いを止め、部屋中の視線がこちらに集まる。皆が注目していることを確認した後、アラーム音を止めて大きく息を吸った。
「終了時刻になったから一日目の会議はこれにて終了。解散」
言い切った後、パソコンを閉じた。じゃがいも野郎が何か言っているのは聞こえたが無視して立ち上がる。まだ会議は終わってないだのなんだの言ってるが、やる気がない面々は喜んで議場を飛び出していって既に部屋にはいない。俺も部屋の片付けをヴェネチアーノに託し、部屋を出た。違う部屋で会議している上司に一応、会議の報告をするためだ。
違う部屋で会議している上司たちは予定時刻を過ぎても終わらず、それから一時間してようやく会議が終了した。上司に何も決まらなかった旨を報告したところ、だろうなという表情で「お疲れ」と労われたので、本日の仕事は終了である。
時刻は六時を過ぎたところで、何か買って帰るか外で食べて帰るか迷いながら歩いていると、会議場の出入り口付近にあるソファに、スペインが座っていた。ぼんやりとして外を眺めているスペインはこちらに気付いていない。見える横顔はどこか物悲しそうで、もしかしたら弟に振られた後なのかもしれないと思うと、バツが悪かった。
じゃがいも野郎と付き合っていることを口封じさせて、スペインは真実を知らないまま振られ続けているのだ。そう思うと無視して通り過ぎることも出来ない。
「……お前、何してんだ」
かなり近付いても気付かなかったスペインは、声をかけられたことにびくっと大袈裟に反応して、こちらに振り返った。
「ロマーノ!」
目を丸めて固まっていたスペインは、ハッと我に返った様子で慌てて立ち上がった。
「ようやっと仕事終わったんやね。お疲れさん」
「おう。で?お前は何してたんだよ」
「ロマーノ待っててん」
想像通りだったので、さして驚きもしない。弟に振られて、俺で気を紛らわせようとしているのだろう。いつものことだ、そんなことは気にしないし、俺だってスペインといられるのだからある意味ラッキーでもある。
「なんか食べに行こや」
それでも、今日はダメだった。
「……明日も会議だしやめとく」
まさか断られると思っていなかったのか、スペインは目を見開いて固まっている。しばらく固まったままだったので、今度こそ無視して隣を通り過ぎようとしたが、そんな俺の腕をスペインが慌てて掴んできた。
「ま、待ってや。遅くならんうちに解散したらええやん。最悪俺のホテルで食べてそのまま泊っても……ホテル、すぐそこやし……」
「…………」
「や、やましいことは考えてないで!ほんまに!」
訳の分からないことを言ってあたふたしているスペインをぼんやりと見つめる。スペインが言葉を紡げば紡ぐほど、頭が冷え切っていくのがわかった。
どれだけ願われても、今スペインが身に纏っているスーツは、ヴェネチアーノの為に用意されたものだ。俺と会う時は見た目なんて無頓着だった男が、愛しい相手にはそれだけ変わることが出来る。
これはバカみたいな嫉妬だ。自分との差に愕然として、今日はもう自分を繕うことも出来そうになかった。こんな状態でスペインと飯なんか食いに行ったって、自分が辛くなるだけだ。一刻も早くひとりになりたかった。
「明日でいいじゃねえか」
「もちろん明日も行くで!」
当然のように話しているが、そんなことは初耳だった。もし俺が他の誰かと予定を組んでたらどうするもりなのだろう。悲しいかな、もちろん友達など全然いないので、予定などないのだが。
「それに俺、お前に聞きたいこともあるし……」
「聞きたいこと?」
言い淀んだスペインに聞き返すと、こくりと頷いた。
「何だよ」
「……結局、好きな相手教えてもらってない」
己の耳を疑った。まさかスペインは俺の好きな人を聞きたいが為に、わざわざ一時間も待っていたのか。何がそこまでスペインを駆り立てるのか。子供を誰にも奪われたくない気持ちなのだろうか。自分には到底わかりえない感情だ。
「なんでそんなに知りたがるんだよ」
「それは……知っておきたいねん」
「はあ?知ってどうすんだよ。俺の邪魔でもすんのか?」
「邪魔……せえへん、とは言われへんかな」
言葉もなかった。気まずそうにしているスペインを見るに、冗談で言っているわけではなさそうだ。俺が好きな相手を教えたら、スペインは本気で邪魔しようと考えてるのかもしれない。
「……お前、そんなに俺のことが嫌いだったのか?」
「ええっ!?そんな訳ないやん!むしろ……」
中途半端に言葉を止めたスペインは、何か迷っているようだった。そして何故か頬が赤い。
急に黙りこんだスペインは、小さく唸り声を上げながら途方に暮れている。相変わらず腕を掴まれているので、放って帰る訳にもいかず、スペインが話し出すのを根気よく待った。振りほどけそうなほど力は入ってなかったが、スペインが俺の恋路を邪魔する理由が気になったのだ。
「……ロマーノには、その、もっとええやつがおるんとちゃうかなあ……って」
やっと絞り出された言葉は、耳を疑うようなものだった。今の好きな相手より、もっといい相手がいると思うから邪魔をする。つまりスペインは、俺の好きな相手が誰か、もうわかっているのではないのか。
そう思った瞬間、さあっと音を立てて頭から血が下がったのがわかった。
(スペインは俺の好意に気付いていた?)
いつから……思い返してみても、スペインがおかしくなったのは、数か月前から急に俺たちの家に通い始めた時だ。あれは前の欧州会議の後から始まった。
(二人で飲んだ時、好きな人の話をした時から気付かれていた?あの鈍感なスペインが?)
信じられなかったが、実際前の会議からスペインはずっとおかしかった。弟に会う訳でもないのにイタリアに通ったり、弟がいるのにナポリに逃げた俺を追いかけてきたり、ちゃんとアポを取るようになったり……それは普通のことなのだが、スペインからすると異変ではあった。
(俺の好意に気付いていたのに、こんなに好きな相手を聞きたがった理由はなんだ?)
考えて、至る結論などひとつしかない。スペインは俺に告白させて、もっと他に良い相手がいるはずだと振るつもりなんだ。きっとそうに違いない。そう思うと今までの行動に説明がつく。スペインはさっさと俺を振って、目を覚まさせたかった。親分が子分に恋をするわけがないだろう、と。
「……ロマーノ?」
急に黙り込んだ俺をおかしく思ったのか、スペインが顔を覗き込んできた。心配そうなその表情に、くっと口角が持ち上がる。
惨めだ。俺はスペインが傷つかないようにと弟とじゃがいも野郎のことを口封じして、少しでもスペインが笑っていられればいいと思っていたのに。最初から諦めていた想いだったから、誰にも言わず、殺すつもりだったのに。その本人が、こんなにも俺を惨めな思いにさせなくてもいいだろう。
「……いいぜ、教えてやっても」
そう答えて、スペインの手を振り払った。驚いたようにこちらを見るスペインを、鋭く睨みつける。涙が浮かんでいなければいいと願いながら。
「とにかく、うるせーやつだ。今も昔も……何かにつけて。昔一緒に住んでた時も、俺を構ってきて……うるさくて、空気が読めない、どうしようもないやつ」
幼い頃、俺に構ってきたスペインを思い出して、慌てて顔を伏せた。涙が滲んで視界が歪んでしまった。声が震えないように呼吸を整えて、言葉を続ける。
「鈍感で、悪気はないのに残酷で、むかつくとこも嫌いなとこもあんのに、それでも……」
どうせ今回俺に告白させようとしたことも、スペインに悪気はないのだろう。俺の為を思って、と言うに違いない。それが一番残酷なことだとしても、俺はそんなスペインの気持ちを、嫌いになりきれなかった。
顔を上げると、スペインは驚愕した様子で俺を見つめていた。泣いていたせいかもしれないし、本当に告白されるとは思っていなかったのかもしれない。信じられないものを見た時のような表情のスペインがバカらしくて、ふっと息をついて笑った。その拍子に、涙が頬を滑り落ちていく。
「これでわかっただろ……じゃあな、アホスペイン」
その言葉を残して、俺は会場を走って後にした。入り口を出たところに停まっていたタクシーに乗り込むと、スペインが慌てた様子で追いかけてきたのを見たが、すぐに視界から消した。もうあいつの顔を見ていたくなかった。
家に帰っても誰もいなかった。バカ弟はじゃがいも野郎のホテルにでも行ってるのだろう。それを良いことに、夕飯も食べずにリビングのソファに寝転がって、ひとりでわんわん泣いた。数百年、胸に留めていたスペインの恋心を流すように涙は止まらなくて、顔を押し当てていたクッションはきっとひどい有様になっている。
そんなひどい泣き様だったので、チャイムが鳴っていることにも、しばらく気が付かなかった。時計を見るともう八時前だ。来客の予定はないし、ヴェネチアーノが帰ってきても鍵を持っているから、わざわざチャイムを鳴らすはずがない。誰かは知らないがこんなひどい状態で出れるはずもなく、居留守を決め込もうとクッションに顔を埋めた瞬間、またチャイムが鳴った。何度も、何度も。
根気よく無視をした。しかしそれを上回る勢いで、チャイムが鳴らされまくる。次第にただ連打しているだけとなっていた。うるさいし、いつかチャイムのボタンが壊れるのではないか、と思うほどの勢いだ。
失恋して傷心中で、ひとりで号泣しているというのにそれを邪魔されることに腹が立ち、舌打ちをして立ち上がった。顔はひどい状態だろうが、知ったことか。ここまでしつこいと二、三文句を言わなければ気が済まない。
ドンドンと激しく足音を立てながら玄関まで行き、ドアスコープも確認せず、チェーンだけつけてドアを開いた。
「どちら様だコンチクショー!」
チェーンのギリギリまで開かれたドアが、ガンっと音を立てた。僅かに開いたドアの隙間から、もう見たくないと思っていたスペインが、顔を覗かせる。想像通りの相手を、強く睨みつけた。
「俺やで!」
「おかえりやがれバカ野郎」
「ああん待って」
すぐドアを閉めようとしたのに、スペインはドアの隙間に足を滑り込ませてきた。傍から見たら相当怪しいが、そんなことを気にしている様子はない。よく見ると、スペインの息は少し荒く、頬には汗が流れた跡があった。
「まだ閉めんとって!というかちゃんとドアスコープ見てから開けなあかんやん!」
「うるせー!説教すんなハゲ!」
この期に及んでまだ下らない説教を続けようものなら、足の骨を折ってでもドアを閉めてやる。そう思っていると、スペインは「ちゃうねん」と言いながら、今度は手を突っ込んできた。
「話しに来たんや!……いや、説得や説得!」
「説得……?」
意味が分からず首を傾げる。謝罪に来ただとか、振りに来ただとかならまだわかるが、説得される謂れはない。
「とにかく開けてや。ちゃんと話したいねん」
切実そうに訴えてくるスペインの目は、必死そうに見えた。だからといって、簡単に絆されてやるわけにはいかない。もう振られたようなものなのに、更にきちんと言葉にして振られるなんて、絶対に嫌だ。
「俺は話したいことなんかねえよ」
ドアを引いて閉めようと思ったが、スペインが必死に抵抗してドアを開こうとする。力だけでは完全に負けてしまうし、このままやり合っててもいつかドアを壊されてしまいそうだ。
「ほんならここでデカい声で話すで!誰に聞かれるかわからん。それでもええんか!?」
脅しのようなことを言ってきたスペインを睨みつける。説得の内容はよくわからないが、想像するに俺の好きな相手のことで間違いないのだろう。大声で振られる姿を近所の人たちに見られるのは困る。これからここで生活出来なくなってしまう。
ドアの隙間でせめぎ合いながら、しばらく迷った。けれどスペインの勢いはすごく、ドアを閉めたら本当にドアの前で大声を出しそうな気がしたので、仕方なくスペインに従うことにした。
「……わかった。でもすぐ帰れよ」
鍵を閉められないか不安そうにしてるスペインを他所に、一度ドアを閉めてから、チェーン外してスペインを家に招き入れた。玄関で立ちっぱなしも嫌なので、何も言わずにリビングに向かうと、スペインも何も言わずに後を着いてくる。
ソファに腰かけ、さっき散々涙を染み込ませたクッションを腹に抱いた。スペインも俺の隣に座って、こちらを伺うように覗き込んでくるが、意地でも目は合わせない。
「ロマーノ……泣いてたん?」
「触るな」
頬に伸びた手を振り払った。睨みつけると、スペインは悲しそうに目を伏せる。そうやって同情を誘うような顔をしたって、絆されてはやらない。また顔を逸らして、スペインを拒絶した。
「さっさと話せよ」
早く帰ってほしい。突き放すような口調だった。
「あんな……泣いてるとこほんま申し訳ないけど、それでもあかん。絶対にあかん。それだけは認められへん」
「は?何が?」
意味が分からずスペインを見ると、がっと力を込めて両肩を掴まれた。無理矢理向き合わされるような形になり、抵抗したがスペインには敵わなかった。
「お前の好きな相手の話や!」
どうやらスペインは、俺がスペインを好きでいることすら認められないらしい。そんなことを言う為だけに、わざわざ後を追って家まで来たというのか。そんなのは、振られるよりずっと辛い。
「なんだよ、それ……」
「そりゃ俺に口出す権利なんてないってわかってるで。わかってるけど、でも……!」
「だったら……!」
また涙が滲んできた。それが怒りからなのか、悲しさからなのかはわからなかったが、怒鳴り返そうと思った瞬間。スペインがそれをも遮って「でもあかん!」と叫んだ。
「アメリカは絶対にあかん!」
大声で言われた言葉が、耳を通り過ぎていく。聞き間違いだろうかと思い、何度か頭で反芻してみたが、想像していた相手の名前と違って、考えれば考えるほど混乱して固まってしまった。
「…………アメリカ」
呆然と口にしたその全く無関係の国名に、スペインは「せや!」と自信満々に頷いた。
「そりゃあいつにもいいところがあるのは俺も知ってるで?せやけどあかんわ。絶対ロマーノのこと幸せにしてくれへんやん!あいつと付き合ったらカロリー爆弾食わされてデブーノになってまうで!それにお前もだんだんHAHAHA!って笑い方になっていくんやで!嫌やろ?」
「……それは」
「あとあいつはロマーノの為にパスタなんか作ってくれんよ!分厚い生地のピザしか出してくれへんで!嫌やろ?冷静になり!お前も体重計乗ってメーター壊れるようになりたないやろ?な?」
顔を近付けながら偏見を力説してくるスペインを、ぼんやりと見上げる。心の底からぶん殴りたいと思うのだが、バレていなかったという安堵感に包まれて、一気に体の力が抜けてしまった。されるがままになりながら、なんでこんなヤツが好きなんだろうと改めて思う。
「……嫌だな」
「やろ?アメリカだけはやめとき!なっ!イギリスはもっとあかんで!ポルトガルはもっともっとあかん!」
次々と名前を上げているスペインを見ていると、どんどん笑いがこみあげてきて、クッションを抱えて大声で笑った。最初はびっくりした顔をしていたスペインも、次第に「レアや」と言って嬉しそうに笑った。
俺は嬉しくて笑っている訳ではない。バカらしくて、笑うしかなかっただけだ。あれだけヒントを与えて気付かないということは、よほど恋愛対象として見られていないのだろう。最初から自分を可能性のひとつに含めていない。振られてはいないけれど、振られたようなものだ。バカらしくて、もう苦しくもならない。
「はあ……久しぶりにこんな笑ったぞコンチクショー」
「親分とおったら、絶対ロマーノのこと幸せにしたるで」
「へーへーどうもありがとうございます」
嘘つき。そうは言えなかった。実際スペインは、俺を幸せにしているつもりだろうから。
「ロマーノにはアメリカよりもっと、ええ人がおると思うねんよなあ……こう、もっと、身近に……」
少しだけ言い辛そうにしながら、スペインはそんなことを提案してくる。そりゃあ俺の立場からしてみれば、アメリカよりいいと感じる人なんてごまんといるだろう。しかし身近、というのが引っかかった。
「身近に?ヴェネチアーノか?」
「い、いや……確かにイタちゃんはかわええしええ子やと思うで?二人が揃ったら大きなった今でも楽園やんなあ……。でも、兄弟やん?」
国における兄弟や家族なんて気にする必要があるのかはわからないが、確かに同じような顔をしてるヤツとイチャつく趣味はない。そもそもあんなバカ弟こっちから願い下げだ。
地理を頭に思い浮かべてみる。イタリアに隣り合ってるところならスイスとフランスとオーストリアあたりだろうか。スイスにはラブラブの妹がいるからないとして、残る二国。
「まさか、フランス……?」
「ええっ、ちゃうよ!あいつは友達やけど、絶対に大事な子の恋人になんかさせたないわあ……」
「ならオーストリアか?俺の近くってそれぐらいしかいねえじゃねえか」
「オーストリアはなあ……ええやつやけど、口うるさいし、お前には合わんのとちゃうかなあ……」
あれやこれやと名前を上げても、否定の連続だ。本気で他に良い相手がいると思っているのだろうか。適当に言ったのを追及されて、慌てて取り繕っているようにも見える。
「じゃあ誰だよ!いねえよもう!」
「おるやん!地理は隣り合ってないけど、歴史的にお前に近いやつが!」
「なんだ。そういうのかよ」
身近だと言うから、てっきり家が近い相手かと思っていたが、どうやら違うらしい。しかしそうなると過去を遡らなければならない。自慢ではないがほとんどスペインの家で守られていたようなものなので、あまり他国と交流が深かった訳ではない。相手を絞るのはそう難しくないはずだ。
弟とオーストリアは違うし、じゃがいも兄弟は嫌だし、眉毛野郎なら俺が泣くし、変態髭野郎も違うとなると、あとはスペインに支配されていた時に共にいた国ぐらいだ。そこまできて、ハッと気が付く。
「ベルギーか!」
「ちゃ、ちゃうよ〜!ベルギーはほんまに、文句のつけようもないぐらいええ子やけど……ええ子やけど……!オランダがセットでついてくんねんで!」
「いいじゃん。オランダ嫌いじゃねえし」
スペインはオランダに嫌われているから色々思うところはあるだろうが、俺は別に嫌われていないし俺も嫌いではない。ぶっきらぼうな物言いで誤解されやすいが、金銭面だけしっかりすれば付き合っていくには悪い相手ではないのだ。
「オランダもあかん!ルクセンブルクもあかん!ポルトガルはもっとあかん!」
「そいつは二回目だ」
どれだけポルトガルを遠ざけたいのだろうと思いつつ、また頭を捻らせる。正直もう他に思いつく国はあまりない。アジア圏とは特に過去から深い交流もないし、新大陸方面なんて全く関係ない。東欧方面も特にこれといった国はあまり思い浮かばない。いい加減考えるのが面倒くさくなってきたところで、またしても閃いた。
「まさか……」
「ま、まさか……!」
何かを期待するようなスペインの目が、部屋の明かりに反射してきらっと光ったように見えた。
「トルコ!」
「ちゃんわ!なんでやねん!」
「だよな」
流石にこれは違うと思っていたし、そうだと言われても戸惑う。あんなに必死で守ってくれたのは何だったのかと問い詰めなければならなくなる。
「もういいや、誰でも」
これ以上考える気にもならず、答えが見つかる気もしなくて、そう言いながら立ち上がった。
「ええ……考えてくれへんの?」
「悪いけど、もっと良いやつがいるって言われたって、そう簡単に違う誰かを好きになれる訳でもないしな」
「それはそうやけど……」
散々泣いて、バカみたいに大笑いしたら少し気分がスッキリした。スペインのスーツを見ても、もう傷つかない。これだけ玉砕して、可能性もないと言われてしまえば、当然かもしれないけれど。
「おい、飯食ったのか?」
「食べてへん……そういえばお腹すいたなあ」
「なら飯作ってやる。言っとくけどパスタしかないからな」
「ええ!ロマーノ珍しく優しいやん!」
「作らねーぞコノヤロー!」
着たままだったスーツのジャケットをスペインに投げつけると、それを難なくとキャッチして、ソファにかけていた。スペインも同じようにジャケットを脱ぎ、それをソファにかけている。
「俺も手伝うわ。サラダでも作ろか」
隣に並んで顔を覗き込んできたスペインが、そっと俺の目元を指で撫でた。きっと赤く腫れているに違いない。そこを何度か指がなぞりながら、スペインがそっと目を細めた。慈しむような、労わるような、愛情しか感じない眼差しだ。見ていられなくて、その手を振り払った。
「さっさと作れよ」
「はいは〜い」
パスタを取り出していた手が震えていたことに、気付かれてなければいい。耳が赤いことにも。言い訳が出来ないから。