バラの花束を買う親分 04

結局弟は帰ってこず、結局スペインはホテルに帰るのがめんどくさいと騒ぎ始め、結局俺はスペインを家に泊めることとなった。スーツは昨日のものをそのまま着て、シャツは前に大きいサイズのものを間違って買ってしまった時のをプレゼントした。本当は売ってやろうかと思ったのだが、代わりに朝食を作ると言うので、それでチャラになった。
今日の会議は朝からなので、あまりのんびりしている暇もなく、さっさと朝食を済ませて二人で会場に入った。会議は昨日と変わらず大乱闘が始まり、何事も問題なく午前は終了した。昼の休憩を挟んでから、午後は二日間の会議の結果を纏めるだけとなる。纏められるような結果は何も出ていないが、一応流れだけならそれで終了だ。
昼食を取るべく皆思い思いに集まって会議室を出て行く。いつもなら俺は大体スペインと行動を共にしているが、今日はスペインに捕まる前に急いでアメリカに声をかけた。
「アメリカさ……アメリカ、お疲れ。一緒にランチに行かないか?」
つい癖で様をつけてしまいそうになったのを何とか堪え、出来るだけいつも通りを装ってそう声をかけた。声をかけられたアメリカ本人も、部屋にまだ残っていた他のやつらも、一様に驚きで固まっていた。当然だ。普段の俺なら、イギリスとアメリカ辺りには絶対に自分から近付かない。
「美味しいお店に連れてってくれるならいいんだぞ!」
アメリカが固まっていたのは一瞬で、すぐ我に返って大きな声を上げた。流石大国だなあと少し感心する。予測外の出来事も、こうやってすぐ切り返すことが出来るのだ。
「よかった。お前と行きたい店があったんだ。さっそく行こうぜ」
アメリカの広い背中を叩き、隣に並んで歩き出す。その際会議室に目線を送ると、スペインは立ち上がろうとしていたのか、中腰の状態のまま固まっている。こちらを信じられないと驚愕の様子で眺めているスペインに、見えるように笑って手を振って、会議室を後にした。
言わば、これはやり返しだ。どうやらスペインは俺がアメリカを好きだと勘違いしているみたいだし、なおかつそのアメリカとくっつくのを嫌がっている。なら思う存分、スペインのいる前でアメリカにくっついてやろう。そして少しはスペインが苦しめばいいのだ。好きな相手に違う誰かを好きになるよう提案されて、どれだけ虚しい気持ちになるか。どうせあいつは知らない。そんな悲しさをわかれとは言わなくとも、少しぐらい八つ当たりだってしたくなる。アメリカには悪いと思うが、少しだけ利用させてもらうことにした。
「珍しいね。君が俺をランチに誘うなんてさ」
店に向かっている途中で、アメリカがそんなことを言った。疑っている様子ではなかったが、どういうつもりか知りたがっているのが、言葉の裏に隠れているのには気がついた。
「面白いもんが見られるからな」
ぼかしてそう答えると、アメリカは首を傾げて顔を覗き込んでくる。
「何のことだい?」
「アメリカ様は気にしなくていいんだよコンチクショー」
どうせ今教えなくとも、もう少しすればわかるだろう。昼食を終えて会議室に戻った時、スペインがどんな顔をするか見ものだ。
「それで、何を食べに行くんだい?」
「パスタ」
「やっぱりか。ハンバーガーも食べたいんだぞ」
ハンバーガーが、ではなく、ハンバーガーも、なところにアメリカの食欲の凄さが現れている。出稼ぎをして一緒に住んでいた時のことを思い出した。あの頃から見ているだけでこちらの腹が満たされるような食いぶりだった。最も、あの頃は仕事が忙しくて満足に食事が出来ないことの方が多かったみたいだが。
「そう言うなよ。今から行く店、カルボナーラが絶品なんだからな」
にやりと笑って言うと、アメリカは目を輝かせて笑った。それは無茶ぶりされてなんとかカルボナーラを作り出した時の、初めてそれを食べた時の表情によく似ていた。
「それは楽しみなんだぞ!」



昼食を終えて会議室に戻ると、部屋にいた全員の視線が俺とアメリカに向けられた。時にスペインの形相は凄まじい。親の仇でも見ているような目つきで、主にアメリカを睨みつけている。アメリカはそんな視線も気にせず、帰りに買ったハンバーガーを口いっぱいに頬張りながら、俺に手を振って自席へと戻った。俺も席に戻ろうとした時、カツカツと革靴の底を鳴らしながら近づいてくる足音がした。それには気付いていたが、振り返らず自席を目指す。
「ロマーノ!」
席のイスを引こうとしていた俺の腕を力強く掴み、スペインは俺を引っ張って会議室の隅まで移動した。されるがままになりながら、口元がゆるまないよう必死に済ました表情を取り繕っている。そんな俺たちを周りは注視していたが、スペインは気にしていないようだった。
「昨日のこと忘れたん!?アメリカはあかんって言うたやん!わかったって言うてたやん!」
なるべく小さな声で話そうとしているようだが、興奮しているせいかスペインの声は普通に大きかった。俺の両肩を掴んで訴えかけてくるスペインに、今度こそニヤッと口角を上げて笑う。
「嫌だなとは言ったが、Siと言った覚えはねえぞ。俺は」
「屁理屈やそんなん〜!」
わあわあと喚いているスペインを尻目に、会議室の全体を見やった。さっきまで何事だと俺たち見ていたやつらも、いつものじゃれ合いかと今や興味を失くし、皆思い思いに過ごしている。ヴェネチアーノとじゃがいも野郎も、友達では絶対ありえない距離で、仲睦まじく隣に座ってイチャついている。二人から少し離れたところで、日本が携帯をバカップルに向けて真顔で立っている。よくわからない距離感だが、それでもあの三人はずっと仲が良いのだから不思議だ。
「今日もイチャイチャしてるな、あの二人。ええなあ」
いつの間にか騒ぐのをやめたスペインが、俺と同じ場所を見ながらそう言った。ぎょっとスペインを見ると、細められた彩度の高い緑の目が、羨むようにバカップルを見つめている。いいなと言うぐらいだから、相当羨ましいのだろう。
どうやってスペインの気を逸らそうかと頭をフル回転させている間に、またスペインは口を開いた。
「まあ付き合ってたらあれぐらい普通やんな。微笑ましいわ」
「普通な訳ねえって今お前なんて言った?」
何だか信じがたい言葉が聞こえた気がした。優しい笑みを浮かべて二人を見いていたスペインに問いかけると、スペインはきょとんとした表情で首を傾げた。
「え?微笑ましいなあって」
「その前」
「付き合ってたらあれぐらい普通やんな?」
「普通じゃねえ!って違う!付き合ってる!?」
どうしてスペインからそんな言葉が出てくるのか。スペインは知らないはずだ、二人の関係を。今の言葉のニュアンスだと恋愛として付き合っていると間違いなく理解しているように思えた。
「ロマーノ、知らんかったん?イタちゃんとドイツのこと」
「いや、知ってる。お前より先に……」
「そうなん?」
頭の中が混乱してきた。一体いつからスペインはバカップルのことを知っていたのだろう。付き合っていると知ったうえで、普段通りの態度を取っていたというのだろうか。けれどずっと俺たちの家に通っていた時も、落ち込んでいる様など全く見せなかった。スペインは普段陽気で明るいせいか、気分が沈んだ時はすぐにわかる。失恋したなら、もっと落ち込むはずだ。それを避けるためにずっと黙っていたのに。
「なんでお前がそれを知ってるんだ?」
「フランスから聞いたで。やっとくっついた〜って」
「あの髭野郎!」
「え、え?どうしたん?」
会議が始まる前からイギリスにちょっかいをかけて、胸倉を掴まれているフランスを睨みつける。そもそもあの口の軽そうな髭野郎に告げ口をしたのは誰なのか。おそらく黙っていられなくなって、バカップルのどちらかが洩らした可能性が高い。
「お前、大丈夫なのか?」
スペインの顔を伺いみる。意味が分からない様子できょとんと首を傾げている姿は、落ち込んでいるようには見えない。そもそもここ数ヶ月、落ち込んでいる素振りすら見せなかった。杞憂だったのだろうか。
「何が?」
「ああいうの見てたら、流石のお前でも辛くないか?」
いくら自分の気持ちにすら鈍感なスペインでも、好きな相手が違う誰かと付き合って、なおかつイチャついてる姿を見るなんて、辛くなるだろう。俺なら辛すぎて正気ではいられない。少なくともその二人が揃う会議なんて憂鬱すぎて行きたくない。けれど目の前のスペインは普段と変わらない様子に見える。
「それは、独り身には周りの幸せを目の当たりにすんのは辛いんとちゃうか、ってこと?」
「いや……当たらずとも遠からず……」
全く見当違いという訳ではないが、当たっている訳でもない。イチャついてるカップルを見てやっかむ気持ちはわかるし、見ていて虚しくなってくるのもわかる。けれど今言いたいのは、好きで止まないヴェネチアーノが違う男と付き合ったことに心を痛めていないのか、ということだ。ニュアンスで察してほしいが、それが出来ないのがスペインという男だ。
仕方なく耳元に顔を近付けて、周りに聞こえないような声で話すことにする。周りに聞かせるのは、流石にスペインがかわいそうだ。
「だから、好きなやつが他のやつとイチャついてるのを見るのは辛くないのかって聞いてんだよ」
「えー……それは辛いわ」
想像したのか、途端にスペインは悲しそうに眉を下げた。想像どころか今目の前でイチャついてるのだが、そこはどうなのだろう。
「だろ?だから大丈夫なのかって聞いてんだ」
「今は別に……さっきは辛かったけど」
「さっき?今も現在進行形でイチャついてんぞ」
周りに人なんかいないと思っているのか、二人の世界を作り出すバカップルを指さした。けれどスペインはあまりピンときていないようで、片眉を上げて首を傾げる。
「うん?せやな?」
「だから大丈夫なのかよ」
「んん……?どうい……う……………………」
首を捻って考えていたスペインは、急に黙り込んで固まった。視線の先はバカップルに固定されていて、動かない。顔の前で手を振ってみたが、瞬きすらしていない。急なことに戸惑いつつ、スペインの視線を遮るように前に回り込んで顔を覗き込む。
「おい、どうした?」
「……待って、ほんまに待って」
片手を俺の肩に置きつつ、もう片方の手でスペインは己の頭を抱えた。急にひどい頭痛でも起こったのだろうかと、本格的に心配になってくる。
「大丈夫か?スペイ……」
「もしかしてロマーノ、俺がイタちゃんのこと好きやと思っとる?」
俺の言葉を遮るように、スペインがそう言った。全く声を抑えないものだから、今のスペインの声はきっと会議室中に聞こえたことだろう。普段の声が大きいし、何よりスペインの声はよく通る。
慌てて辺りを見回すと、やはり聞かれていたようで、今まで騒いでいた面々が口を閉ざしてこちらを見ていた。バカップルの二人も、ぽかんと口を開けてしっかりこっちを見ている。それにさあっと血の気が引いた。いくらスペインの恋が叶わなくとも、こんな形で本人に好意を知られるなんてあんまりだ。
「お、おい、こんな……」
「恋愛的な意味で好きやと思っとる?」
場所を変えようと提案しようとした俺の言葉を、またしてもスペインは遮った。顔を上げたスペインは真剣な面持ちで、真っ直ぐ俺を見ている。むしろ周りなんて見えていないんじゃないかと思うほどだ。
「い、いいのかよそんなデカい声で……本人だっていんのに……」
「答えてや、どうなん」
もしかして俺の声なんて聞こえてないんじゃないかと思うほど、スペインは一方的だった。ちらっとまた会議室に目をやったが、やはりみんなこちらに注目して、俺たちのやり取りを見ている。ヴェネチアーノは焦っているし、じゃがいも野郎はいまいち流れがわからないのか、訝し気な表情だ。みんな何かしらの表情でこちらを見ている中、にやにやとするアメリカとフランスだけが目障りだった。
「……どうって、そうなんだろ?」
言っていいのか迷ったが、答えなければスペインは俺を開放しないだろう。仕方なく、小さな声で答えた。
「そうって?」
「だから……バカ弟が好きなんだろ、ハゲ」
会議室がざわっと騒がしくなった。こちらに向いていた視線が分散して、スペインとバカップルを交互に見ているやつがほとんどだ。それもそうだろう。公開告白をしたようなもので、しかもその相手にはすでに恋人がいるのだから。これぞ修羅場。
黙り込んだスペインは、顔を伏せて今どんな表情をしているのかわからない。だから場所を変えるべきだと言おうとしたのに、スペインが遮るからこんなことになった。けれど自分が一切悪くないとも思わない。こんな状況を招いた一端を、俺も握っているからだ。
「スペイ……」
「ちゃうわーーー!」
会議中に響き渡るような大声に、途端に耳を塞いだ。鼓膜が破れるかと思った。顔を上げたスペインは珍しく目を吊り上げ、肩を怒らせている。怒りの視線は真っ直ぐこちらを睨みつけ、間違いなく俺に怒っているのだということだけはわかった。苛立った様子で、スペインは耳を塞いでいる俺の手を払い、逃げられないよう両肩を手で掴まれる。
「イタちゃんは確かに好きやしかわええし天使やと思ってんで?せやけどそういう好きやない!俺が好きなんは違うヤツや!あと親分はハゲてない!」
一気に捲し立てたスペインの言葉に、目を見開いて固まった。聞き間違いでなければ、スペインの好きなやつはヴェネチアーノではなく、違う相手だという。頭が真っ白になった。そんな訳がないと否定したいが、本人もいる大勢の前で告白紛いな、そんなリスキーなことをするだろうか。それをして、何の意味がある。
スペインの好きな相手は、他にいる。これが事実なように思えてならない。
「だってさ。ロマーノ〜誰だと思う?」
声がした方へ顔を向けると、イギリスに殴られただろう赤くなった頬を摩っているフランスが、にやにやしてこちらを見ていた。フランスはどうやら、スペインの好きな相手を知っているらしい。そういえば前に、好きな相手が男なんだろうとスペインに言った時、フランスかプロイセンから聞いたのかと言われた。ということは、この二人は除外でいいのだろうか。
そう考えていると、午後の会議を始めるために設定していたアラームが鳴った。自席へ着くべく、肩を掴んでいたスペインの手を払う。思ったより簡単に外れたことに驚きつつ、逃げるように自席へ向かった。
午後の会議が始まっても、俺の頭の中はスペインの好きな相手のことでいっぱいで、いつも以上に会議に身が入っていなかった。会議を犠牲にしてまで考えても、スペインの好きな相手が絞れない。
除外にした悪友の二人だが、それでも可能性は高いと思う。スペインはよくあの二人と休日に飲んでいるし、何かあった時、スペインが頼りにしやすい二人でもあるはずだ。それぐらい気心の知れた相手なら、何かの拍子に気持ちが変わったということは、大いにあり得る。
何かと逆らえないような様子のポルトガルだって怪しい。深い因縁はあったが、ここ最近やっと和解して話す姿を見せるようになったイギリスだっているし、かつて婚姻関係にあったオーストリアだって十分ありえた。誰かなんて、もう全然わからない。
もしかしたらアメリカかもしれない。あれだけアメリカとの仲を否定するのは、自分が好きだから好きになるなという牽制だったのかも。そうなら随分ひどいことをした。見せつけるようにランチに誘い、二人きりで楽しく帰ってきたのだから。それを見て絶対に良い気はしないだろう。
わからない、わからないと悩んでいる間に時間は経ち、会議を終了するアラームが部屋に鳴り響いた。



「HEY!ロマーノ」
会議が終わった直後、席から動かない俺にアメリカが声をかけてきた。そちらを見る俺の目つきは、きっと死んだ魚のような目をしていたことだろう。
「確かに面白いことが起こったね」
「おもしろくねーよ……」
怒鳴り返す元気もない。頭を使いすぎた。机に上体を預けて寝そべる。そんな俺の背を、アメリカが比較的優しく叩いた。
「なんならディナーも行くかい?話を聞いてやるんだぞ!なんたって俺はヒーローだからね!」
「あかん!」
俺が答えるよりも先に、違う場所から声が上がった。顔を向けると、フランスに絡まれていたスペインが慌てた様子で走り寄って来る。そして俺とアメリカの間に入り込み、自らが壁となって俺を守ろうとしているようだ。
「ランチ一緒に行ってたやん!ディナーまでロマーノとらんとってや!」
「君も一緒に来ればいいじゃないか」
「二人で行きたいんや!邪魔せんとって!膝カックンすんで!」
「……俺の周りでぎゃーぎゃー騒ぐな」
ただでさえ疲れているのに、騒いでいる声が頭に響いて煩わしい。主にうるさいスペインを睨みつけると、スペインは口を閉ざしてこちらに近づき、逃がさないように俺の肩に手を置いてきた。
「俺はロマーノに話したいことがあんねん。せやから今回は遠慮したってや、アメリカ」
「話ってなんだよ」
アメリカが答える前にスペインを見上げて聞くと、途端にスペインは慌てだした。
「そ、それは……ここでは、ちょっと……」
「好きな相手の話かい?」
「えっと……その話をしたい、かも……いや、す、する……?」
「どっちだよ」
頬を赤らめながらもじもじしだしたスペインは、いくら好きな相手だといっても中々気持ち悪かった。大の男がもじもじしててかわいいはずがない。それこそ弟なんかは別格だろうが、スペインは体格もよく実に男らしい体つきなのだ。もじもじはキモイ。
この反応を見るに、話したいことというのは、十中八九好きな相手の話だろう。どういう心変わりがあったのかはわからないが、ついに俺に言う気になったらしい。正直未だにヴェネチアーノ以外なんて信じられないが、それが真実だ。受け止められるだろうか。
「いや、俺は今すぐにでも言いたいねんで?でもまだ早い気もするし……」
「早い?」
「でもずっと今のままって訳にも……」
またもじもじしだしたスペインにいい加減苛立ち、軽く足を蹴った。スペインは痛いと声を上げて、俺から一歩離れる。
「わけわかんねーけどそれなら行く」
「ほんま!」
善は急げと立ち上がってアメリカを見た。一応ディナーに誘われていたのに、それを蹴って後からきたスペインを優先するのだ。一言くらい何か言わなければならない。
「悪いな。っつーことでこいつに奢られてくるわ」
「え……?いや、奢るけどな……?」
どこか切ない表情で俺を見つめるスペインを無視する。スペインから誘ってきたのだから、奢るのなんて当然だ。
そんな俺たちのやり取りを見てなのか、アメリカはにやにやと笑っている。よくわからない笑みに首を傾げると、アメリカはぽんっと軽く俺の肩を叩いた。
「いいさ。その代わり、全部終わったらまたご飯食べに行くんだぞ!」
「終わったら?何が?」
またしても意味が分からず問い返すが、それにアメリカは答えない。ただ意味ありげにスペインに視線をやった後、何事もなかったように走り去ってイギリスとカナダの輪の中に突撃しに行った。どこにいても騒がしいやつだなと呆れていると、スペインは隣でため息をついた。
「アメリカ……余計なことを……」
「なんだって?」
「いや……ほな、行こか」
きちんと聞き取りきれなかったが、スペインは気を取り直したように笑って、俺の手を取った。手を繋がれたことにドキッと心臓が音を立てる。今更この男の挙動に動揺するなんてと、心の中で舌打ちした。
どうしようか迷ったが、ひとまず俺の手を引くスペインに着いて行く。エレベーターまでは繋がれた手を振りほどかないでおくことにした。



スペインは今夜自国へ帰る予定らしく、空港まで一本でいける駅の近くのバルで飲むこととなった。とにかく話せればどこでもよかったので、店をパッと決めて中に入る。まだ五時を過ぎた程度の早い時刻だったので、店は全く混雑していなかった。
「で、誰なんだ。お前の好きな相手は」
「いきなりやなあ……」
酒しか届いていない状態で、軽く乾杯をしただけだったが、あまり時間に猶予がないのだから仕方がない。もったいつけるなと軽く睨みつけた。
「ヴェネチアーノじゃねーとか信じられねー」
「まだ言うてんの。ほんまにちゃうて……むしろそれやったら今頃ドイツにケンカ売ってるわ」
頼んだ赤ワインにちびちびと口をつけながら、スペインは苦笑した。確かに情熱的なスペインのことだ。好きな相手が違う誰かに取られそうになったなら、決闘でも申し込みそうな気はする。今時そんな時代遅れなことは流石にしないだろうが、ケンカぐらいなら売るかもしれない。ありえないことではなかった。
「なら……フランス?」
「あいつは友達やん」
「じゃあポルトガル?」
「えっ!?絶対ありえへんやろ!なんでポルトガルが出てくるん!?びっくりするわ〜……」
顔を青くしながら慌てて首を横に振るスペインは、本気で困惑している様子だった。そもそもポルトガルが候補に挙がってくること自体、理解できないといった様子だ。周りから見ればほどほどに仲良くやってるように見えるのだが、やっぱり本人たちがどう思ってるかはわからないものだ。
「じゃあ誰なんだよ」
「えー……そんなわからんもん?めっちゃわかりやすいと思うねんけど……むしろお前以外、みんな知っとんのちゃうか」
「は?嘘だろ?」
驚きの言葉に固まっている隙に、頼んでいた料理が次々やってきた。店員が去るまで、今日参加していた会議のメンバーのことを思い出してみる。フランスがやけに物知り顔だとは思っていたが、あいつはスペイン本人から聞かされていたから、特別知っているのだと思っていた。しかしそういえば、さっきアメリカも意味ありげにスペインを見ていた気がする。あれは好きな相手のことを知ってて、ああやってにやけていたのか。あのスペインと大して仲良くもないアメリカが気付いてるってことは、本当にわかりやすい相手なのだろう。
「確認したことはないけど……なんかそんな気ぃするわ。それぐらいわかりやすい相手やねん。ほんまに」
少し照れた様子で言うスペインに、やっぱりヴェネチアーノじゃないのかと問い詰めたい。でもさっき本人も違うと言っていたし、バカップルを見ても嫉妬している様子もなかった。自分もイチャつきたいと見当違いな方向で羨んではいたが。
「……オーストリア?」
「え?オーストリア?なんで?」
「いや……お前ら元夫婦だろ?」
きょとんと目を丸くして首を傾げるスペインに、顔を歪める。正直、過去のことであろうとあまり口にしたくない。政治的結婚であったとしても、やっぱり良い気はしなかった。
「せやから、元やん」
「元さやに戻った的な……」
「ないない。そもそもあの頃から怒られてばっかやで、俺。夫婦らしいこと一個もなっかたしなあ。国としてはどうあれ、国体なんて形だけの結婚やん」
どうだったろうか。当時のことを思い出してみても、オーストリアに小言を言われているスペインの姿は思い出せるが、二人が仲睦まじく寄り添ってる姿は、そういえば見たことがないかもしれない。
それでも二人で向き合って、静かにコーヒーを飲んでいる姿は自然で、気が置けない仲なんだろうなとは思っていた。俺たちの知らないところではそれなりだったのかと思ったが、そうでもなかったのか、今や真実はわからない。
「ならアメリカ?」
「アメリカ!?」
驚愕の表情で、スペインは鸚鵡返しした。さっきのポルトガルよりひどい顔で、目が落ちるんじゃないかと思うほど大きく開かれていた。
「なんで!?ありえへんやろ……こんなにロマーノにあかんって言うてんねんで?」
「むしろ俺に牽制してるのかと……」
「そんな訳ないやん……」
がくっと肩を落として脱力するスペインを尻目に、カプレーゼをつまんだ。偶然入った店だったがそれなり美味しくて、唇についたオリーブオイルを舐めとりながら、口角を上げた。自国の店の食べ物がおいしいと、やはり嬉しい。スペインにも勧めようと顔を上げると、スペインはじいっと俺の口元を見つめていた。
「なんだ?まだついてるか?」
「……かわええ顔がついとるよ」
「へいへいグラッチェ」
また訳のわからないことを言っているスペインを、半眼で睨みつける。俺と弟のことをかわいいと言うのはスペインにとってもはやルーティーンで、言わないと気が済まないのだろう。自惚れのようだが、スペインの言う「かわいい」にいちいち照れていたらキリがない。
「……そんなわからへんもんかなあ」
睨まれたせいなのか、好きな相手に気付かないせいなのか、スペインは寂しそうに視線を落とした。下がる眉と目尻が、言わずともしょんぼりしていますと表していて、なんだかよくわからない罪悪感が胸を支配する。
「もったいぶらずに言えよ」
「そりゃ、いつかは絶対言うつもりやけど……でも俺も結構不安やねん」
「不安?」
意味がわからず聞き返した。俺に好きな相手を言うことの何が不安なのだろう。本人に直接バラすかもとか、そんなことを危惧されているのだろうか。
「全然相手にされてへんから……」
話が繋がっていないような気がして、さっきまでの会話を思い出した。さっきまではスペインの好きな相手の話をしていた。俺の勘違いでなければそのはずだ。しかし今のスペインの話を思うに、いつの間にか告白する話になっている気がする。
「意識されてないってことか?」
「そう。全く。これっぽっちも。かけらもそういう対象として見られてないねん。めっちゃアッタクしてんのに、全く気付いてくれへん」
「そ、そこまで……」
いつの間に話をすり替えたんだと文句を言おうかと思ったが、相手にされていないと言うスペインがあまりにも哀れで、このまま今の話を続けることにした。そこまでスペインが誰かにアタックしている姿を見た覚えはないが、俺の知らないところできっと、猛烈にアピールしているのだろう。その姿を想像すると少し胸が痛み、ゆるく首を振ってそれを霧散させる。
「せやから、ちょっとでも脈あるんちゃうか?って思わな、流石にどうこう出来へんわ」
思いつめた様子のスペインに、なんと声をかけるべきか迷う。こういう姿が見たくなかったのだ。スペインはずっと自分のことを二の次に、俺に尽くしてくれた。だから独立し、きちんとひとつの国として対等にスペインと向き合えるようになった今、スペインが自分の幸せだけと向き合えるのを、手伝うつもりだった。スペインの恋を応援しようと思ったのも、その延長だ。
「どうやったら俺のこと、意識してくれるんやろ」
だからこそ今、何か励ましてやらなければいけない。誰が好きかもわからないが、こうやって俺の前で弱音を漏らすということは、相当その恋に参っている証拠だ。恋の経験値なんてないに等しいが、それでも今ある知識を振り絞って、スペインの恋を成就させてやりたい。
「なら告白しろよ」
なんとか絞り出した言葉は、なんとも拍子抜けなものだった。スペインは疑うような目で俺を見ている。
「ええ?脈ないのに?」
「まずは意識されなきゃ始まんねーだろ。最初は振られるつもりで告白して、好意を向けられてるって意識させんだよ。そこからまたアッタクしていきゃいいじゃねえか」
意識されていないと、何も始まらない。ちなみに経験談である。意識されていない相手を好きでい続けるのは、相当精神的にキツイ。スペインがどんなアプローチをしているのかは知らないが、それで意識されないなら手っ取り早く告白した方がいい。それなら相手はスペインのことを考えざるを得ないだろう。
スペインは「一理あるなあ」と言って、何かを考えている様子だ。
「せやけど、しつこい男やって嫌われへん?」
「まあその塩梅は大事だけど……告白するときにこれから振り向かせるから、食事とかに誘っていいかって聞いとけよ。嫌ならその時に拒絶されるだろ」
まだ何かを考え納得しないスペインの様子に、顔を歪める。いつも楽天的に「なんとかなるやろ」が口癖のなのに、これほど慎重に考えているということは、本当に失いたくない相手なんだろう。
「なんか引っかかるか?」
「いや……気持ち悪いとか言われへんかな、と思って……」
言い辛そうに口にしたスペインに、そこは盲点だったと目を瞠った。相手がヴェネチアーノなら、その気はなくとも流石に気持ち悪いと言って断ったりはしないだろう。あまり強く迫りすぎると泣き喚いて助けを呼ぶ可能性はあるが。
弟以外が相手となると、言われない可能性がないとは言い切れない。国は人より長く生きている分、時代の流れによって移り変わる恋愛というものを見てきている。同性愛も、大体はそういうものもあると流せるだろうが、受け付けないヤツだって中にはいた。こればっかりは相手によるだろうから、安易にそんなこと言われないと励ますことは出来なかった。
「お前の好きになった相手は、好意を向けられて気持ち悪がるようなやつなのかよ」
「それは……微妙なとこやな」
やっと絞り出した言葉も、スペインは苦笑を浮かべて答えた。そんなことないと否定しない辺り、本当に気持ち悪がるような相手なのだろう。イギリスだろうか。大いに想像がつく。イギリスの場合は同性愛がというよりは、スペインに告白されることを気持ち悪がりそうだが。
「ええ……趣味悪いな、お前」
「悪ないよ!ええ子やねん!ええ子やけど……素直すぎるところがあるからなあ……」
また肩を落としてちびちびワインを舐めるスペインは、好きな相手を「ええ子」と言った。それを聞いた時点で、イギリスが選択肢の中から消えた。スペインはイギリスのことを「ええヤツ」とは言っても、かつてかわいがったことがある相手に言う「ええ子」とは表現しない。イギリスのことを対等に扱っているからだ。
そうなってくると、スペインの好きな相手はかなり絞られる。かつて支配していた相手や、そうでなくとも日々かわいがっている相手や育ち切ってない子供の身なりをしている国だろう。ベルギーが一番可能性が高いと一瞬頭を過ったが、スペインの好きな相手は男だ。それにスペインに好意を向けられて、ベルギーは気持ち悪がったりはしない。その点ではルクセンブルクも違うだろう。
(……まさか、オランダ?)
スペインがオランダのことを「ええ子」と言うかは微妙なところだが、邪険にされるのに関係なく絡みにいくほどかわいがっているのは知っている。確かにオランダなら怒りのオーラを背負いながら、気持ち悪いとスペインの告白を一蹴する姿も、想像なら出来る。実際するかは別として。
もし相手が本当にオランダなら、これは中々手強い相手だ。そもそもスペインに対する相手の好感度が低すぎる。それを意識させて恋愛の好きにまで持ってくるというのは、余程うまくやらないと叶わないだろう。まずいアドバイスをしてしまったかもしれない。告白の前に好感度を上げるところから始めなければ、最悪二度と顔を合わせないと言いかねない。
「ちなみにロマーノはどんな告白されたい?」
悶々と俺が考え込んでいると、スペインがそんなことを聞いてきた。何か期待を込めた眼差しを向けられていて、肩を竦めて目を逸らした。期待されてもそんな良い言葉は浮かびそうにない。なにせ相手がオランダなら、下手なことは言わない方が得策だ。
「別に普通でいい」
「普通?」
「普通に好きだって言われたら、それだけで嬉しいだろ」
考えたのはもちろん、スペインに言われることだった。そんな未来がこないことはわかっているが、想像するなら自由だ。
スペインに言われるなら、歯が浮くような台詞を言われるより、シンプルな好意だけが欲しい。何百何万の甘い言葉より、好きな相手からの心からの好きの一言だけの方が、ずっと嬉しい。
そこまで考えて、ハッと我に返る。自分のことを考えていてはダメだ。オランダなら甘い言葉を紡がれても、好きだと心から言われても、今の状態ではどちらも喜びそうにない。
「俺のじゃ参考にならねえな」
「いや!めっちゃ参考になる!何よりも参考になる!」
「そうか…?」
ぶんぶんと首を大きく縦に振って頷くスペインに、訝し気な視線を送る。俺の言葉を過信しすぎて失敗されてもこちらが困るのだが。とにかく世間一般的に多い告白のイメージを、フォローのつもりで伝えておこう。
「まあ、バラの花束でも一緒に渡せば完璧だろ。告白なんて捻らない方がいい、特にお前の場合は」
「ロマーノはそういうのが好きなん?」
期待を込めた眼差しを送って来るスペインをおかしく思いつつ、どう答えるか考える。正直バラの花束は好きでもないし、嫌いでもない。バラなんてナンパする時にベッラに送るぐらいのアイテムで、自分が貰うことなんてあまり想定したことはなかった。ただ赤いバラの花束を持って告白するというのは、いかにもなシチュエーションで、恋愛として好きなのだと間違いなく伝えられる。
「まあ、おおむね」
世間一般的には、好きだろう。
そういう意味合いで答えたが、スペインに伝わっていたかはわからない。実際俺の好みはこの際関係ない。適当に答えてしまったが、王道というのはそれだけ好きな人がいるに等しいのだから、きっと大丈夫だ。
「親分がんばってみるわ!」
満面の笑みで握りこぶしを作ったスペインは、途端によくわからないヤル気を見せた。本気で告白するつもりらしい。うまくいけばいいけどなあと思いつつ、元気を取り戻したスペインに笑みを浮かべた。
方向性さえ定まれば、もう迷わない男だ。きっと真っ直ぐ進んでいくだろう。振り返ることもせずに。
「おう。せいぜいがんばれよ」
それからスペインは終始楽しそうに酒を飲んで、飯を食って、いつもの元気さを取り戻していた。結局店を出たのも搭乗手続きに間に合うギリギリの時間になってしまい、スペインは慌てて駅へと走っていった。
「また連絡するわな〜!」
手を振ってあっという間に遠くなったスペインが、見えなくなるまで見送った。見えなくなっても、しばらくその場から動けなかった。
スペインが休みの度にイタリアに来ることも、もうなくなるんだろう。好きなヤツの恋の成就を願って、背中を押してしまった。
「……バカだよなあ」
ひとりそう漏らした声は、誰にも聞き取られることはなかった。もう涙も出ない。昨日泣きすぎたせいで、涙は枯れ果てていた。自然と浮かんだ笑みを携え、ひとり立ち尽くす。飛行機に間に合わなくて、帰れなくなったとスペインが戻ってこないかなと、願いながら。





前回あった世界会議から二週間が経った。スペインがイタリアに通うこともなくなるだろうなと思っていたのだが、何故か今日、また家に来ることになっている。スペインは驚くぐらい、何も変わらなかった。以前の会議の時は、告白してアピールを続けると意気込んでいたというのに、もうそれも忘れてしまったのだろうか。
来るというのを、拒む理由もない。相変わらずヴェネチアーノはじゃがいも野郎のところへ飛んでいく予定で、俺とスペインの二人きりの休日になる。スペインが家に来るというのはもう慣れっこで、特別なことでもないはずなのに、もう来ないと思っていたせいか今回はやけにそわそわして落ち着かなかった。
「うわあ、たくさん作ったね。スペイン兄ちゃん何泊するの?」
後ろから声をかけられて、振り向かずに舌打ちした。恐らく俺の手元を覗き込んでいるヴェネチアーノは、呆れた表情になっているのだろう。見なくてもわかった。
スペインが来ると聞いて、そわそわして、落ち着かなくて、少しでも気を紛らわせようとスフォリアテッラを作った。中々面倒なので普段は作らないが、集中したいときや気を紛らわせたいときは、作ったりする。
お陰で昨日は少し気分がマシだったが、焼きあがったそれらは籠の中で山のように積まれていた。売り物ではないのだから、こんなにいらなかった。材料があるだけ作ってしまったのだ。積みあがったそれがまるでスペインに対する想いの量のように見えて、さっさと処分してしまいたいたかった。スペインが来れば食べさせるつもりだが、自分の想いを食わせるなんて、羞恥で死にそうだ。全部捨ててやりたい。
「これドイツへのお土産にしていい?」
「お前の朝飯には持っていけ。じゃがいも兄弟には食わせるなよ」
「いけずなんだから〜」
唇を尖らせてそう言いつつ、ヴェネチアーノはスフォリアテッラを袋に詰めていった。明らかにヴェネチアーノひとりでは多い量を詰めていたが、これが少しでも減るなら今回は大目にみることにする。
「それにしても、こんなに作ってどうしたの?何か悩んでる?」
普段怠けている俺が、仕事や料理に打ち込むときは、決まって他の何かを忘れた時だ。それをヴェネチアーノに伝えたことはないのだが、どうやら気付いていたようだ。詰め終えた袋の口を塞ぎながら、ヴェネチアーノは首を傾げて俺の顔を覗き込んできた。琥珀色の目から逃れるように、少しだけ量が減ったスフォリアテッラの山を見る。
「スペインの野郎が、告白するっつってたから……ちょっとだけ気になっただけだ」
「ちょっと?」
ヴェネチアーノはちらっと山に目を移した。それに顔が赤くなって、強く睨みつける。しかしヴェネチアーノは謝ることもなく、へらっと笑うだけだった。
「相手、わかったの?」
「いや。あいつ全然言わねえ……つーかお前、知ってる?」
「もちろん」
何でもないことのように頷いたヴェネチアーノに、驚いて目を瞠った。
「はああ?なんだよ。マジで俺以外みんな知ってんのか?」
「知ってるっていうか、見てたらすぐわかるっていうか」
同じようなことを、前にもスペインが言っていた。本当に周りにバレていたらしい。ましてや俺がずっとスペインの好きな相手だと勘違いしていたヴェネチアーノですら、好きな相手に気付いていた。そんなにわかりやすい相手なのに、どうして俺はわからないんだ。正直スペインのことは、ヴェネチアーノより知っているはずなのに。
「わかってないのは当事者だけだよ」
苦笑を浮かべて言うヴェネチアーノは、本当に困っているような、それでいて呆れているような、そんな声色だった。
「はあ。周りにそんだけバレてるのに本人は気付いてないって、相当鈍感な野郎なんだな」
「兄ちゃんもよっぽど鈍感だと思うけどねえ」
「はああああ?」
確かにスペインの好きな相手には気付いていないが、だからといってそれだけで鈍感だと言われる筋合いはない。
「スペイン兄ちゃんの好きな人、ほんとにわかんないの?ちゃんと考えた?」
「お前だと思ってたし、今でもお前ぐらいしか思いつかねえよ」
「なんで?」
本当に理解出来ないといった様子で、ヴェネチアーノは眉を下げた。確かに休日のほとんどをじゃがいも野郎のところで過ごしていたから、こいつはスペインの奇行を知らないのかもしれない。
「だってあいつ、毎週のようにイタリアに来てたんだぜ?おかしくねえか?」
「好きな人にアタックしてるんじゃん」
どうやら知っていたらしい。全く驚いた様子もなく答えたヴェネチアーノに、こちらが驚かされる。好きな相手はヴェネチアーノではないはずなのに、イタリアに来ることが好きな相手にアタックしていたことになるのだろうか。どういう意味だ。なぞかけをされている気分だ。
「は?やっぱあいつお前のこと好きなのか?」
「……それ本気?」
本当に信じられないとため息をついて、呆れた表情でヴェネチアーノはこちらを見た。しかし間違ったことは言っていないはずだ。イタリアに通うことがアッタクになるなら、好きな相手はイタリアにいるということだろう。
「イタリアって、俺以外にもう一人いなかった?」
「いや、そりゃ…………あ?」
もう一人のイタリア。二人でやっと一つのイタリア。北イタリアと、南イタリア。
イタリアは、二人いる。
「え…………俺?」
ヴェネチアーノは何も答えなかった。けれど代わりというように、深い溜息をつかれる。言葉がなくとも、それが答えだということは、よくわかった。そんな訳ないだろうと否定しようと思ったが、今までのスペインとのやり取り、周りの視線や笑みが走馬灯のように頭の中を走っていく。
違和感はあった。それこそ好きな相手がいるのに、休みのたびにスペインが俺たちの家に通い始めたこと。いつも弟はいなかったのに、不満もなく楽しそうに過ごしていたこと。やたらと俺の好きな相手を知りたがり、応援するどころか邪魔するようなことを言ってきたこと。思い返せば思い返すほど、感じていた矛盾や違和感が解消されていく。スペインの好きな相手が俺なのだと思えば。
どうして今まで気づかなかったのか。それはもちろん、かつて親分であったスペインが、元子分の俺を恋愛対象にすると思ってなかったからだ。数多くある選択肢の中から、俺を選ぶはずがない。なのにその全てが俺の思い込みによる勘違いだったのだとしたら、自分は今まで何度、スペインのアピールをスルーしていたのだろう。
スペインがナポリに逃げた俺を追いかけてきたのも、わざわざスーツをオーダーして身なりを整えてきたのも、アメリカと飯に行く俺を必死で止めようとしていたのも。全て、俺のことが好きだったからなのだとしたら。
自覚すると、声も出ない。指先が震えて、鏡を見なくとも顔が真っ赤になっていることがわかった。熱のせいか涙腺がゆるんで、視界が歪んでいる気もする。勘違いしていたことに対する羞恥心と、スペインの好きな相手が俺かもしれないという歓喜と戸惑い。全てが綯交ぜになって、もうキャパオーバーだ。
そんな俺の思考を遮るように、家のチャイムが鳴った。そろそろスペインが家に到着しても、おかしくない時間だ。来たのかもしれない。そう思うと、足が竦んだ。
「思ったより来るの早かったなあ」
もしかしたらヴェネチアーノは、スペインが来る前に家を出たかったのかもしれない。ヴェネチアーノは着替えが入ったバックを肩にかけ、スフォリアテッラがたくさん入った袋を片手に持った。
「兄ちゃん」
さっきまでの呆れた声とは違い、優しい声でヴェネチアーノは俺に微笑みかけた。空いている片手がそっと、俺の方に伸びてくる。
「玄関まではエスコートしてあげる」
俺が自分から動けないことに、ヴェネチアーノは気付いていたのだろう。手を伸ばさない俺に焦れたのか、ヴェネチアーノは優しく俺の手を取った。スペインとは違う、俺の手と同じほどの大きさで、細い指がそっと俺の手の甲を撫でる。
「ヴァージンロードみたいだね」
玄関まで続く廊下に布なんて敷かれていないが、ヴェネチアーノは笑いながら俺の手を引いた。抵抗はしない。本当は逃げ出したいけれど、ヴェネチアーノが手を引くので、逃げられない。臆病な俺には、そんな言い訳がほしかった。手を引かれたから仕方なくドアを開けてやったんだと、そう思わなければ、恥ずかしさで死にたくなる。
ドアの向こうで、振られるのを覚悟で赤いバラを用意してるだろう男に、なんと答えようか。ドアに辿り着くまでに思いつくか、それだけが心配だった。