「私のこと、いつから知ってたんですか」

 なんとなく予想していた反応。私の言葉を聞いた途端、シーフォさんは飲んでいたアイスコーヒーで噎せた。片手で口元を押さえしばらく咳き込みながらジトっとした目でこちらを見つめてくる。笑顔の印象が強かったけど、意外とこんな表情もするのか。

「いきなり核心をついてくるね……」
「なんでも聞いていいって言ったのはシーフォさんです」
「……そうだね。確かに僕がなんでも聞いていいって言ったんだ」

 諦めたように肩を竦めるシーフォさんはもう一度、アイスコーヒーを口に含んだ。そして深呼吸をすると薄い唇を開く。

「最初に苗字さんを知ったのは去年の春頃かな。苗字さん、よく図書室の端の席で本読んでたでしょ? ちょうどカウンターから死角になるところ」

 幼い頃から本の虫だった私の憩いの場所は図書室で。高校生になってもそれは変わらず、時間があれば図書室に入り浸っていた。そんな中で見つけたお気に入りの場所。窓辺に向かい合うように設置された読書コーナーの一角は人が通ることも滅多になくて窓から見える景色も気に入っていたからよく利用していたのだけど……まさかシーフォさんも知っていたとは。

「それまでは僕ぐらいしか使っている人がいなくてね。それで少し目に留まるようになったんだ」
「すみません、シーフォさんが使ってたなんて知らなくて」
「苗字さんが気にすることじゃないよ。公共の場所なんだから誰にでも使う権利はある」

 シーフォさんはうっすらと笑みを浮かべる。どうして彼がまともに話したこともない私を知っていたのかずっと疑問に思っていた。やっぱりしっかりとした理由があったのだ。

「リボンの色で一年生ってことは分かってたけど最初はそれだけだったよ。校内で見かければあの子だって思ってたくらいで。ちゃんと名前を知ったのは苗字さんがエステリーゼさんと仲良くなってからだね」

 そういえばシーフォさんとエステルには繋がりがあるんだっけ。思い返せば最初に彼の話題になったのもエステルがきっかけだった記憶がある。おそらく、あの時からエステルはなんらかの事情を知っていたのだろう(怪しい動きをするようになったのもあの頃からだった)。今はもう毎日のようにシーフォさんがどんな人なのかを教えてくれる。それはもう嬉々とした表情で。

「新しい友達が増えたって彼女が喜んでいてね。たまたまクラスを通りがかった時に教えてもらったんだ。勿論、苗字さんには気づかれないように」
「そうですね……ちょっと記憶にないです」
「遠目だったけどすぐに分かったよ。苗字さんだって」

 伏せられたシーフォさんの目が不意に細められる。緩い笑みを浮かべながら彼はくるりと赤いストローでコーヒーをかき混ぜた。からからと小さな氷同士がぶつかって音を立てる。

「苗字さんを知ったきっかけはそんな感じかな。……やっぱり緊張するね、本人に気持ちを伝えるって」

 照れくさそうに笑うシーフォさんの頬がほんのりと上気しているのは私の見間違いではないのだろう。「返事は要らない」とはっきり告げた上で告白してきた。あの時、私は何も彼について知らなかった。そして今回で事の始まりを聞いた。実際に向かい合って顔を見合わせて。機会を求めたのは他の誰でもない私。シーフォさんのことを少しでも知れば告白の返事ができるかもしれないと思ったからだ。
 しかし、実際に話を聞いてじわじわと込み上げてきたのは想像以上の戸惑いと不安。誰かに好意を向けられることに対していかに自分が他人事に捉えていたかを自覚させられる。

(私は本当に彼の求める答えを出してあげられる……?)

 もし良い返事が返せなかった時、私はまたあんな表情をさせてしまうのだろうか。夕焼けに染まる生徒会室で見た、あの今にも泣きそうな微笑みを。でも、まだシーフォさんに告白の返事をすることはできない。

「……」
「苗字さん」

 ここは落ち着いた雰囲気の喫茶店ではなく学生や子連れの主婦で賑わうファミレス。ざわざわと周りは話し声や笑い声で溢れてるはずなのにシーフォさんの柔らかい声がすんなりと耳に届く。自然と下に落ちていた顔を持ち上げると吸い込まれてしまいそうなほどに碧い瞳と視線がぶつかった。薄い唇が緩やかに弧を描いていく。

「そういうところ」
「そういうところ……?」
「相手の気持ちを考えて一生懸命に応えようとしてくれるところ。僕が苗字さんの好きなところ」

 目の前の人物は本当にさっきまで緊張するなんて言ってはにかんでいた男なのだろうか。言葉をなくして固まる私にシーフォさんは更にたたみかけてくる。

「最初に言っただろう? 君に僕のことを知ってもらいたいって。それから――僕のことを好きになってくれたら嬉しい」

***

「あっ、見てください名前!」

 つい先日、席替えをして窓側の後ろになった私の席からは校庭が良く見えた。休憩時間に前席で次の授業の課題の回答を確認するため、私のノートとにらめっこをしていたエステルが不意に窓の外を見て嬉しそうに立ち上がる。彼女の視線を追いかけて校庭を見下ろすと校庭に見覚えのある男子生徒の姿が二人。彼らの次の授業は体育らしい。学校指定のジャージを着た二人の内の一人はいつもと違って腰まである長い髪を高い位置で結わえている。普段からその髪型にしていた方がすっきりするのではないだろうか。頬杖をつきながら彼らを見下ろす私の横でエステルが身を乗り出す。

「ちょっと、エステル。落ちないでよ」
「大丈夫ですよ。ユーリー! フレン―!」

 大きく手を振るエステルに最初に気が付いたのはローウェルさんだった。薄く笑みを浮かべながらひらりと手を振る。たったそれだけの動作も女子の注目を集めるには十分すぎたらしい。別の教室から湧き上がる黄色い歓声。まるでテレビに出てくるアイドルのようだ。当の本人たちは特に気にしている様子もない。彼らの立場上、単純に好奇の目に晒されることに慣れているだけなのかもしれないが。

「ほら名前! フレンもいますよ!」
「ああ、うん……見たらわかる」

 ローウェルさんの隣に立つシーフォさんは他の男子生徒と話していてエステルの声に気が付かなかったらしい。やがてローウェルさんとばっちり目が合ってにやりと不敵な笑みを投げかけられた。少なくとも私にはそう見えた。こちらの存在にまだ気が付いていないシーフォさんの肩を叩いて私を指さす。余計なことをしなくていいのに。ローウェルさんの指を追いかけるようにシーフォさんが顔を上げる。切れ長の瞳が私を捉えると緩やかに笑みを浮かべた。顔の整った人間ってあんなに綺麗に笑うことができるのか。どこかで沸き立つ悲鳴にも似た歓声も耳に届かない。あの微笑みが自分の為に向けられていると思うと心の奥底がむずむずしてきた。

(――ずるいな)

 どんどんフレン・シーフォという人物に飲み込まれていくような気がする。
 だから、ほんのちょっとだけからかいの気持ちが生まれてしまった。流石にエステルみたいに大きな声を出すのは勇気がいるから、頬杖をついていた手をこっそり振ってみる。勿論、エステルやクラスの生徒には見えないようにブレザーの袖に隠して。シーフォさんはぎょっとした顔をして頬を赤らめ視線を逸らしてしまった。ファミレスの時はあんなに甘ったるい台詞を吐いていたというのに。

「名前? どうして笑っているんです?」
「……秘密」

 こうやって人は恋に落ちていくのだろう。

触れれば綻ぶ花の瞼
(良かったじゃねえか、フレン)(からかうのはやめてくれ……)

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