「……エステル、私の顔に何かついてる?」

 最初こそ勘違いかと思ったけれど、茜色が差し込む放課後の教室に残っているのは私の他に彼女たちぐらいしかいない。先ほどからちらちらと感じるエステルからの強い眼差しにとうとう耐えきれなくなった私は手元の本を閉じ机の上に置いた。これじゃあ集中して読書も出来ない。彼女の名前を呼ぶと少し離れた席に座るエステルは面白いくらいに飛び上がった。まさか、気付かれていないとでも思っていたのだろうか。きょろきょろと大きな翡翠の瞳をさまよわせる姿をみると本当にバレていないと思っていたらしい。薄い唇からこぼれた言葉も案の定しどろもどろだった。

「えっ!? ど、どうしてです?」
「だって、そんなにじろじろ見られてたら……ね」

 流石に気になっちゃうよ。
 苦笑混じりで答えるとエステルは再び言葉を濁らせる。あーとかうーとか数秒間唸った後、おもむろに席を立ち私の隣の席に座った。がたんと鳴らした椅子ごとこちらに寄せると至極真面目な表情で身を乗り出した。彼女の細く白い指は本の上に乗った私の手に添えられている。

「名前、フレンのことどう思います?」
「フレン?」

 はて、このクラスにフレンという名前の生徒はいただろうか。とりあえず自分の記憶を引っ張りだして該当する人物を探してはみたが、思い当たる人物は出てこない。そもそもクラスの名前全員が出てきているかも疑問なのだが。良い反応が帰ってこないことにエステルの表情がますます曇ってゆく。

「もしかして……フレンのこと知りませんか?」
「――たぶん」
「よ、よく思い出してください名前っ」

 あまりにも真剣なエステルの表情に若干気圧されながらもう一度頭の整理を始める。それでも"フレン"という名前に覚えはなく、首を傾げた。仮に私がその人物を知っていたとして、それがどうしたというのだろう。口を開きかけたその時、後方から別の声がかかる。

「あんた、自分の学校の生徒会長の名前も覚えてないわけ?」
「リタ」

 教室の後ろの扉から入ってきたリタの手には何冊かの本が抱えられていた。ちょうど図書館から借りてきた帰りなのだろう。どさりと私の隣の席に置くと一人読書を始めた(因みにそこは彼女の席ではない)。ちらりと表紙を覗きみればいかにも彼女らしい小難しい単語が綴られたタイトルの羅列。私なら読み始めて数分で頭痛がしてきそう。
 それより――生徒会長の話だ。ひとつ上の学年だったのは覚えている。そういえば、生徒会長の名前がフレンと言っていたかもしれない。顔こそ全く覚えていないが、壇上に上がった太陽みたいなきらきらとした金髪はなんとなく印象に残っていた。ああ……、と曖昧な返事を返せば途端にエステルの顔が晴れやかになる。

「分かりましたか? フレンのこと」
「うんまあ。それで、その生徒会長がどうかしたの?」
「い、いえっ、あの……」

 真剣な表情で聞くから余程重要な話かと思ったのに、エステルは椅子に座り直しもごもごと口を閉ざしてしまった。エステル? と名前を呼んでも俯いて指先を弄るばかり。心無しか頬もほんのりと朱色に染まっている。もう一度彼女の名前を呼ぼうとした時、リタの意外な発言で私は固まることになった。

「その生徒会長と幼馴染とどっちがタイプかって話をしてたのよ」

 途中からエステルの手が離れたことによって本の表紙を撫でていた手が止まる。声の主であるリタをまじまじと見つめると、視線に気付いた彼女がなんだとでも言うように睨んできた。けれどその答え方が嫌悪からではなく普段通りなのだと知っている私はううん、と軽く首を振ってから言葉を続ける。その先のリタの反応を予想しながら。

「エステルはなんとなく分かるけどリタがそういう話するなんて珍しいね」
「べっ、別にいいでしょ!」
「それで、名前はどうなんです?」

 再び間合いを詰めてきたエステルに私は思わず身を退けた。この手の話はあまり得意ではないのだ。横目でリタを追い、助けを求めたが既に借りてきた本に目を通し始めていた彼女はこちらを見てくれる雰囲気はない。つまり、私は生徒会長とその幼馴染の人とどちらが好みかという話なのだろう。けれどそう尋ねられても正直……困る。私は二人について何かを語れるほど相手と話した経験がないのだから。
 うーん、と悩む素振りを見せてから立ち上がれば、翡翠色の瞳が私を見上げ名前? と名前を呼ぶ。さっきよりもオレンジ色が強くなり教室の影が伸びる。きょとんとしたエステルに私は苦い笑みを浮かべた。

「ごめん。私はフレンさんもその幼馴染さんもどっちもよく知らないから」

 分からないや。

魔法にかからない少女

 名前が下校したことで更に静まる教室。彼女がいなくなったのを確認してからエステルは大きくため息を吐いた。その表情は明らかに落胆の色が窺える。彼女はリタ、と沈んだ声で黙々と本を読み続ける少女の名前を呼んだ。

「名前はフレンのこと、あまり興味がないのでしょうか……」
「最初なんて誰のことだか分かってなかったみたいだしね」
「そう、ですね」

 せめて名前が存在だけでも知っていてくれれば良かったのだが。彼女の中には学校内で最も有名と言っても過言ではない『学園の王子』に興味が無いらしい。しかも彼同様に有名な幼馴染のことも。一日たりとも彼らの名前が出てこない日はないだろうと言われる彼らを。
 がっくりと肩を落とすエステルだったが、エステル自身も心の奥底では彼女だから仕方がないと思っている部分もあった。自分に関係にないことにはとことん興味を示さない。それがどんなに学校中の女子が羨むようなことだとしても。
 そういう人間なのだ、名前という少女は。

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