定められた道筋を辿るのは簡単なはずだった。よそ見をせず、途中で立ち止まらず、ただまっすぐに前を見据えて歩いていればそれで良かった。そうしてきたつもりだった。

 それなの――なにが、どうしてこうなったのか。

「名前」

 不意に自分の名前を呼ばれ、びくりと肩が震える。両手に木の枝を抱えたまま身体ごとふり返ると、ユーリが長い髪を揺らしながらこちらに近づいていた。その手には鞘に収まったままの剣が握られている。万が一、魔物が襲ってきた時に備えてのことだろう。まさかユーリがくるなんて予想外だった。動揺を悟られまいと必死に笑顔を作る。
 日も傾き始め、次の街までまだ距離があるということから今日は森の中で野宿をすることになった。みんなでテントを張って辺りに結界が張られたこともきちんと確認して。料理当番はエステルだったから手の空いていた私は暖房用の木の枝を拾ってくると言ってみんなの輪から抜けたのが少し前。一人で大丈夫だから、と念を押していったはずなのに。

「ど、どうしたのユーリ?」

 所詮、トリップというやつだった。ゲームを起動したら目映い光に包まれて、目を覚ましたらこっちの世界にいた。幸いにも何回もクリアしていたからストーリーは熟知している。物語に支障が出ないようにしていれば一緒に旅をしていても問題はなかった。なにより、大好きなキャラクターであるユーリがすぐ近くにいるという事実が楽しくて仕方なかったのだ。
 その雲行きが少しずつ怪しくなってきたのはいつ頃からだったのか。気づけばユーリはすぐ近くまで来ていた。

「名前一人じゃ大変だろ」

 そう言ってユーリは私が拾い集めた木の枝に向かって手を伸ばす。平然とこういうことをしてくるから、世の中の女の子は勘違いしてしまうのではないだろうか。情けないことにその中に自分も含まれてしまうのだが。口から出そうになった言葉をぐっと飲み込んで首を横に振る。大丈夫だよ、と言葉を添えて。

「私より他の人手伝ってあげなよ……ほら、エステルとかまだ料理そんなに慣れてないし」
「……」
(あ、また)

 ゆるく弧を描いていた口元が一瞬だけ真一文字に引き結ばれる。すぐにそれは元に戻ったけれど見逃すことはなかった。
 私の知っているゲーム内のユーリ・ローウェルは自分の感情を表に出すことはほとんどしなかった。本当に気心の知れたフレンやラピードには胸の内を話していたりしたけれど、こうして他人に変化を悟られたりするようなことはしない。だから余計に妙な違和感を感じていた。

「エステルの方はジュディが手伝ってるから大丈夫だ」
「そ、そっか……」

 緩やかな笑みを浮かべながら未だに手を下ろそうとしないユーリ。無言の圧迫に耐え切れなくなった私は思わず目を反らす。それでも両手に抱えたものは渡さないとばかりに力を込める。その様子を見てなのかユーリはようやく手を降ろしてくれたけど、その場からは離れようとしない。木々の隙間を流れる風だけが沈黙の時間を揺らしていた。
 なあ、名前。ユーリが口を開く。

「オレのこと避けてるだろ」
「避けてない。ユーリの気のせいだよ」

 違う、避けてるんじゃない。私は"本来のユーリを取り戻したい"だけだ。
 ユーリが一歩、近づく。距離を広げる為に一歩、後退する。じりじりと攻防が続く。やっぱり、こんなのユーリじゃない。本来のユーリはもっと余裕をもった人間だ。こんな風に相手を追いつめてきたりしない。こんな風に背後に迫った木と自分の間に私を閉じ込めたりもしない。こんな風に、苦しそうな嘲笑を浮かべたりしない。

「オレだって傷つくことあるんだぜ?」

 目の前の男は誰だ? 本当にユーリ・ローウェルなのか?
 前髪の隙間から覗く切れ長の瞳。その中に自分が映っているのが見えてようやく彼との距離の近さを自覚した。視界いっぱいに広がるユーリの姿。息が止まりそうになる。

(嗚呼、間違いない)

 間違いなく彼はユーリ・ローウェルだ。だって、呼吸の仕方が分からなくなってしまうくらいに私の心臓は煩く跳ねているのだから。
 それと同時に湧き上がってくるのは途方もない罪悪感。脳裏に桃色の髪がちらつく。もし私がここの世界に生きる人間だったら、なんにも考えずにユーリと向き合うことが出来たのに。彼がこの視線を向けるべき相手は私じゃないと理性が告げる。頭の中では理解しているはずなのに。

「オレを見ろよ、名前。頼むから」

 駄目だって分かってるのに。ユーリにはエステルって相手がいるのに。胸が締め付けられる。耳朶に響く声に心が震える。
 苦しげに歪められた貴方の表情にすらときめいてしまうのだから。もう末期だ。


刹那を閉じ込める術
(今だけ私を見て)

prev / next
top