はあああああ、と海よりも闇よりも深すぎる息を吐き出し、スティーブンは椅子の背もたれに力なくもたれる。
やっと仕事が片付いたのだ。
「お疲れ様です、スティーブンさん」
「あー…おつかれ…しょーねん…」
そのタイミングで出勤してきたレオナルドは状況から連日徹夜をしていたと察し、そしていつも通りだと慣れたように声を掛ける。
スティーブンから生気のない声が出て、レオナルドは苦笑いを浮かべる。
「仮眠室で眠ったらどうっすか?」
「……そうだな…そうするか…」
もはや仮眠室はスティーブンの部屋となり果てており、レオナルドの言葉にスティーブンは背もたれにもたれていた体を起こす。
するとふと机に伏せられた写真立てが目についた。
それは周りから見つけにくい場所で、しかし机に向き合うスティーブンからはよく見える場所に置かれていた。
スティーブンはその伏せられた写真立てを見つめていたが、そっと手を伸ばし、その写真立てを持って立ち上がる。
「お休み、少年」
「おやすみなさい、スティーブンさん」
眠気がマックスなのか少し舌が回っていないが、足元はしっかりしており、レオナルドは介抱はいらないかと判断しソファに座る。
ソファにはレオナルドよりも早く来ていたザップとK・Kがいた。
「お!レオ!今日暇だろ?メシ奢れ!」
「嫌っす」
「んだとゴラ!!陰毛頭ごときが先輩の誘いを断る気か!」
「誰が陰毛頭だ!!先輩だと思ってほしかったらそれなりの態度っつーもんがあるでしょーが!」
スティーブンはいつもの漫才を聞きながら扉を閉め、仮眠室へと向かおうと歩き出す。
暫く歩いていると、見慣れた姿が見えた。
「おや、クラウス…」
「スティーブン…今から仮眠室に?」
「そ…やっと仕事が片付いたからな…ちょっと睡眠をとろうと思って…」
それはクラウスだった。
クラウスはライブラのトップとして(徹夜しているスティーブンを除き)誰よりも早く出勤している。
すでに朝の挨拶を済ませてあるため、何気ない会話を広げる。
友人の目元のクマがものすごい事になっているのを見てクラウスは『そうか』と呟きこれ以上引き留めないようにした。
しかしふとスティーブンの手元を見て『それは…』と零してしまった。
その呟きにスティーブンはクラウスの目線を伝って手に持っている写真立てを見せる。
「ああ、これ?……何か、急に娘と寝ようかなって思ってね…デスクから持ってきたんだ…」
「…そうか…」
写真立てに入っている写真には小さな女の子が映っていた。
その女の子はアジア系の顔をしており、父親のスティーブンにも負けないくらい深い黒色の髪を持ち、チョコレートのような茶色の眼をしていた。
その女の子がスティーブンの娘である。
スティーブンの娘の隣には年配の優し気で赤毛の青目をした女性がおり、その女性はスティーブンのHL外にある家の家政婦だった人である。
スティーブンはクラウスに写真を見せた後、その写真を見下ろす。
写真に写っている娘は笑みを浮かべており楽しそうだった。
娘の頬を写真越しに触れながらスティーブンは目を細め穏やかな笑みを浮かべる。
「見ろ、クラウス…僕の娘は可愛いだろ?」
「ああ」
「やらないからな?」
「勿論だ」
「…それはあれかな?娘が可愛くないと言いたいのかな?」
「まさか!君の娘さんとは会ったことはないがこの写真から見ても君に似てとても素晴らしい女性なのだろう…そんな人が可愛くないわけがない」
クラウスでなければ"ああ言えばこう言う"な親馬鹿スティーブンに『面倒臭い』と思っていただろう。
クラウスはスティーブンが語る娘談義は苦ではない。
自分に子供がいないというのもあるが、スティーブンがこれほど娘の事を想い本心を隠さず幸せな表情を自分に見せることはなかった。
…否。
実は過去にスティーブンが今の様に愛おしそうに見つめる表情を見たことがあった。
しかしあの時は今のように愛しさだけが浮かんでおらず、少し悲し気だった。
それにクラウス自身その時を思い出すと心が温かくなるのと同時に締め付けられるような苦しさを感じる思い出でもあった。
だからこそ、娘を思う父親のスティーブンをクラウスは好ましく思い嫌な顔せず何でも聞いていた。
それに独り身だからこそ、その表情を見るたびに家庭というものに憧れる気持ちが沸くのだ。
しかし、彼から娘の事はよく聞いていたが、その娘の母親…自身の妻の話題は出てこない。
それは離婚しているからか、それとも出来た途端逃げらえたかは分からないが、一時期周りはそれを賭けて聞き出そうとした。
しかし結局娘の母親の事はスティーブンから何も聞かないままスティーブンは娘の事を話さなくなった。
だからだろう。
クラウスはスティーブンの久々の親馬鹿モードを嬉しそうに聞いていた。
クラウスの言葉に満足したのか、スティーブンは『そうかそうか』と頷きながら大事そうに娘の写真を持ってクラウスと別れ仮眠室へと向かった。
もう眠気も限界が来ていたのだろう。
そう思ってクラウスはこれ以上引き留めもせずちゃんとたどり着けるか心配そうに見送った。
****************
レオナルドとクラウスが心配していたスティーブンが仮眠室に無事到着できのるかという問題は無用だった。
足取りは意外としっかりとしており、眠気が限界近いため上着を脱いで適当に放り投げネクタイを緩めばそのまま清潔感たっぷりのベットにうつ伏せのままダイブした。
眠たさにスティーブンの長い足がベットからはみ出してしまっており、流石に中途半端に寝るのもどうかと思うほどの意識はあるらしく、もぞもぞと姿勢を正しうつ伏せはそのままにベットに潜り込むことに成功した。
「……やあ、ぼくのかわいいてんし…」
もぞりと手を動かし意識が途切れかかっていても娘が映っている写真立てを横になりながら見る。
相変わらず何度見ても自分の娘は完璧に可愛い、と自賛しながら娘に語るように声を零す。
当然だが娘の言葉は返ってくるわけもなく静けさが落ちる。
それでもスティーブンは愛し気に娘を見つめていた。
黒髪に茶色の目にアジア顔。
全く自分に似ていないがスティーブンは娘が滅茶苦茶可愛くて仕方ないのだ。
撮った日が夏だったのか、ワンピースを着ており、隣にいる家政婦と仲良さげにカメラに向かって笑顔を浮かべていた。
その写真は家政婦が娘に手紙を送ったらどうかという提案に乗ったもので、まだ上手く書けないらしい娘の愛らしい文字の中にその写真は誰かに撮ってもらったと書いてあった。
その手紙をもらった時、大きな事件があって返す暇がなく、そのまま娘との文通のチャンスをスティーブンは自ら消した。
それを今も悔やんでおり、その手紙はちゃんと残して家で大事にしまっている。
手紙に入っていた写真も仕事用と家用、そして保存用として何枚にも分けて保存している。
「ぼくのてんしはほんとーにかわいいね……ほんとうに……どうしてこんなにもかわいいてんしをぼくはほうってしごとばかりしてたのかな…いまおもうとおろかだとおもうよ…」
夏日に負けないくらい眩しいまでの娘の笑みを見ながらスティーブンはそっと娘の顔を親指の腹で優しく撫でる。
娘の輝かしい笑みにスティーブンはむふふと笑う。
彼はもはやキャラが保てないほど眠いスティーブンはうとうととしており舌も更に回らなくなった。
限界を感じながら重くなった瞼を落としていく。
その間もスティーブンの目には満面の笑みを父に向けてくれている娘に向けられていた。
スティーブンはふと微笑みを向ける。
「こんな父親でごめんな…エマ…」
そう零し、スティーブンは完全に意識を飛ばした。
―――同時刻…ある霧の深い国で、少女は聞き覚えのある声がした気がして立ち止まり振り返った。
しかし…
少女の目には人の姿はなかった。
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