私の幼少期の記憶には、いつもイブキちゃんとワタルくんがいる。
といっても、私は別にフスベシティの生まれではない。あそこで暮らしたのは七、八年ほどだろうか。十年も満たない年月だけれど、私はいつも二人と遊んで、一緒にいた。
縁もゆかりもないフスベへ来たのは母の療養のためだった。私を産んでから、母は体質が
変わり病気がちになってしまった―今はまったくそんなことはないけれど―しかし、当時はとても弱っていたとのことで、困り果てた父が友人であるイブキちゃんのお父さんへ相談したのだ。
すると「ちょうど空き家が出来たから、こっちへ来てみないか?」と誘われ、私たち一家はフスベへ移り住んだ。静かで空気も綺麗なあの場所は、確かに療養するには適していたといえるだろう。
そして私は当初こそ環境の変化に戸惑っていたけれど、同い年のイブキちゃんという存在、なにより彼女が持つタッツーやバトルに魅了され、フスベに来てよかった! とすぐに思う
ようになる。なにより一族のみなさんが温かく迎え入れてくれたこともあるのだろう。当時のフスベはまだ外の人間の数のほうが少なかったから、ちょっと不安だったのだ。
――まあ、そうなると必然的に彼とも交流が生まれるわけで。
「どうしていつもワタルにかてないのよ!」
ポケモンセンターのロビー。回復を依頼したタッツーをソファで待ちながら、イブキちゃんは頬を膨らませ、顔を赤くする。そんな彼女の頭を撫でて慰めた。私はイブキちゃんのタッツーのほうが好きだよ、大丈夫、きっと次は勝てるよ、と繰り返せば、ようやくほんのりと笑顔を見せ始める。
「簡単だ。戦略が甘い。攻撃技だけでごり押ししようとしているからいけないんだ」
しかし、その笑みはすぐさまぴしりと固まった。降ってきた声の主は案の定ワタルくんだ。こちらを見下ろす彼に、イブキちゃんは噛みつく。
「で、でも、それで前はハクリューを追い詰めたじゃない!」
「
「――っ!」
せっかく落ち着いた怒りが、また頭にのぼったのだろう。イブキちゃんは身体を震わせ、勢いよく立ち上がった。そのままずんずんとどこかへ歩いて行く。
「い、イブキちゃん、どこいくの?」
「すぐもどるわ!」
そう叫んで彼女は外へ出て行ってしまった。ついてくるな、と言外に滲まされたせいもあり、私は追いかけることもできない。ぽつんと取り残されてしまった。タッツーを預けているから、戻ってこないということはないはずだ。中途半端に浮かした腰を戻す。代わりに、隣で腕を組んだまま従姉妹である彼女を引き留めることもしなかったワタルくんに、じとりとした視線を向けた。
「なんであんなこといったの」
「本当のことだから」
でも、もうちょっといい言い方があるはずだ。そう伝えると、彼は大きく息を吐き出した。
「イブキは『悔しくてのびるタイプ』だから、少しぐらい厳しい言い方のほうがいい。それに飴はきみが与えてくれるだろ? おれはライバルのようなポジションがちょうどいいんだ」
「でも、ワタルくんにだってほめられたいって思っているよ」
「おれの褒め言葉なんて、イブキにはいらないよ」
この話は終わりだ、と言わんばかりにワタルくんは私を睨む。その刺すような眼光に、抵抗する間もなく口を噤んでしまった。もうちょっとイブキちゃんの味方をしてあげたかったのにも関わらず。
目の奥が細くなり、凍てつくような光が宿る。いつもよりもっと鋭くなるような瞳を、彼はたまに浮かべた。それを見る度に私は身体の中心が震えてしまって、何も言えなくなる。
「……ワタルくん、やだ」
なんとか絞り出した声をもらせば、なにがおかしいのか彼はふっと表情を緩める。
「知っているよ。イブキをいじめるもんな」
言葉の意味は正しく伝わっていなかったようだ。ワタルくんは鏡を見たことがないのかもしれない。だから、自分がすごく怖い瞳を持っていることを知らないのだろう。
「……そうじゃないもん」
「ふぅん?」
そうじゃないって? と覗き込んでくる灰色の瞳から逃れるように、顔を逸らす。その仕草が面白かったのか、彼はくすくすと笑った。
「おれはきみともバトルしたいよ。早くお母様が良くなるといいね」
言葉の通り、私はポケモンを持っていない。理由は母の療養に来ているのに、ポケモンという新たな命を受けいれるのは難しい、という父の教育方針ゆえだった。父の言うことはもっともだと思ったので、それに反抗心は無い。いつか、母が今よりも良くなれば自分のポケモンをもらえるだろう。
「でもワタルくんとはバトルしない」
だってぼこぼこにされる未来が見えている。一族の中でも彼はとりわけ強くて、大人よりも頭一つ飛び抜けていた。由緒正しき血族の本家の長男≠ノ相応しい実力を、ワタルくんは持っている。現にそれは彼も自覚しているのか、いくら年上とはいえ、同年代の私よりもずっと大人びていた。
その態度がイブキちゃんをさらに刺激するものだから、二人の喧嘩(主にイブキちゃんの一方的な噛みつき)に私はよく巻き込まれていた。
「でもきっと、きみへのバトル指導はおれになると思うな」
「なんで?」
「おれと似ているから」
なんとなくだけどね、と彼は肩をすくめる。一方私は「全然にてないよ」と唇を尖らせた。どこをどう見て、私と似ていると思ったのだろうか。少なくとも、私はイブキちゃんを悲しませるようなことは言わない。
「なんとなくだよ。――さあ、そろそろイブキを探しに行こうか」
そう言って彼は手を差し出す。その手を取るか迷っていると、問答無用で掴んできた。私の葛藤なんて、気にしていない。そのまま力一杯に引き上げられるものだから、立ち上がるしかなかった。外へ出ようとするワタルくんに慌てて「私、タッツーを待ってるよ!」と叫ぶ。
「あとで、みんなで迎えに来ればいい。元々イブキのポケモンなんだから」
「でも……」
「きっとイブキはへそを曲げているから、きみがいないと出てこない。一緒に来てくれないと、おれが困るんだ」
確かにイブキちゃんは変な拗ね方をする。誰かが、迎えに行かない限りそこから出てこなくなってしまうタイプだ。そして今の状態だと、ワタルくんが行くと逆効果な気がする。
「おれを助けると思って。ね?」
「……わかった」
「ありがとう。そう言ってくれると信じていたよ」
微笑んで、今度は優しく手を引いてくる。まるで大切なものを扱うかのようなそれに、背筋が痒くなった。
「……やっぱりワタルくん、やだ」
「おれはそんなことないけどなぁ」
それはイブキちゃんと仲がいいからでしょ、と出かかった言葉を飲み込んで、私は彼の瞳から視線を逸らした。