番外編-日日是好日-

カナズミシティ、デボンコーポレーション。ヤマブキのシルフカンパニーと市場を争う大企業。例えホウエン出身でなくとも、名前を知らないトレーナーはいない。見上げてもさらに上があるような建物。てっぺんを探そうとすれば首が痛くなるほど。縦にも横にも、大きい。

そんな大企業たるデボンコーポレーション本社の前に私は来ていた。……ここ、本当に私が入ってもいいのだろうか? 一応、招待を受けている立場なのだから、堂々としていても問題ないはず。しかし、こういった都会の雰囲気に慣れていない私はどうも腰が引けてしまう。
そもそも入ったらどうすればいいのだろうか? 一般的には受付の人に伝えるんだよね?
――迷っていたところで仕方ない! いざ出陣だ! なにより約束の時間に遅れてしまう。

「いらっしゃいませ、デボンコーポレーションへようこそ」
 
ロビーへ足を踏み入れた瞬間、にこやかな笑みを浮かべた男性がすぐに近づいてきた。
その完璧すぎる笑みは私の勢いを削ぐのに充分すぎた。冷静に考えれば、私を不審に思うのは仕方ないこと。彼を含め、周りはスーツの人だらけ。一方、私と言えば普段着だ。自分なりに身なりを整えてきたとはいえ、ビジネスシーンでは浮いてしまう格好に違いない。バトルとはまた違った緊張感に口の中が乾く。弱々しい声で言った。

「あ、あの……ダイゴさまとお約束をして、」
「失礼ですがお名前を伺ってもよろしいでしょうか?」
 
食い気味に尋ねられる。彼の笑みが固くなったような気がした。それもそのはず。私が口にしたのは、ここデボンコーポレーションにとって重要人物の名前だからだ。
私はまず自分の名を名乗り、身元を明かす。そして、ダイゴさまとお目にかかる約束――もとい招待を受けている旨を伝えた。すると男性は、インカムを通して確認を取りはじめる。

「失礼いたしました。ご案内いたしますので、こちらへどうぞ」

照会が取れたのだろうか。彼は私を促すように、上階へと向かう。これまた立派な応接室に通され、男性は「座ってお待ちください」と頭を下げてから退室した。言われた通りに、一人がけのソファへ腰をおろす。ふかふかで沈み込むやわからさに、身を縛っていた緊張が解けていく。同時にどっと疲れも襲ってきた。ここに来てまだ十数分しか経っておらず、ここからがさらに緊張するというのに。もう帰りたくてたまらない。湿気った空気の漂う、りゅうせいのたきが恋しい。
 
しばらくするとノック音が部屋に響く。そしてドアの向こうから声がかけられた。

「両手が塞がっているんだ。開けてもらえると嬉しいな」
「は、はい!」
 
駆け寄ってドアノブを回す。押すタイプだったので、離れるように伝えてから開けた。

「ありがとう。トレーで持ってくるの、すっかり忘れちゃって。コーヒー飲めるかな?」
「のめ、ます」
「そうよかった」
 
アイスブルーの瞳が細められる。彼は慣れたように中へ入り、テーブルへ両手に持っていたコーヒーを置いた。たったそれだけの動きなのに洗練されていて、目が離せなくなる。彼は私の視線に気づいたのか、手招きをする。

「ほら、こっちにおいで。話そう。でないとボクがワタルに怒られてしまうからね」
 
そう言って彼――ダイゴさまは私を再びソファに座るよう促した。


りゅうせいのたきで私は修行に明け暮れていた。毎日ヘトヘトになりながらも、なんとか稽古をこなす日々。そんなとき、ワタルさまから手紙が届いたのだ。
フスベとの定期連絡の荷物の中に入っていたそれは、表に私の名前だけが書かれていた、一部を除いて・・・・・・ごく普通の手紙である。――そう一部を除いて。

なにが問題かといえば、ご丁寧に彼の個紋で封蠟がされていることだった。歴史ある一族のみなさまは個人専用の紋を持っている。こうやって封蠟に使われることはもちろん、押印の代わりや、集まりで着る伝統服にも意匠されている。そのため一族内で個紋は、その人を示す役割があるのだ。つまり、この手紙も重要なことが書かれているに違いない。読む前からプレッシャーをかけるのはワタルさまらしいけれど、何かをやらかしてしまったのかと本気で悩んだ。同じくフスベから修行に来ている門下生が同情に満ちた表情で肩を叩いてきたから、余計に。

届かなかったことにならないかな、とそこそこ失礼なことを考えながら、一人になったタイミングで封を開けた。中にはワタルさまらしい、少し角張った、それでいてお手本のような綺麗な字が並ぶ。恐怖のせいで薄目で読みはじめる。しかし中身はなんてことなかった。
『次の休みにデボンコーポレーションへ行って、ダイゴと会ってほしい』とだけ。まるで、お使いのような内容だ。

りゅうせいのたきからカナズミシティはそんなに遠くもなく、バスも通っている。一日あれば充分往復できる距離だ。しかし、たかが私宛に封蠟までして届いた内容。これは何か重大な任務であるに違いない。
そんなわけで私は今日、ここにいるわけ――なのだけれど。

「さあ、どれがいい? 好きなのを選んで構わないよ」
「え、ええっと……」
「ボクのおすすめはこれかな。この控えめなシルバーの輝きがキーストーンの美しさを、さらに際立たせているんだ。こちらのゴールドもいいよね。きらめきが増すというか――」

熱弁を奮うダイゴさま。石がお好きとは聞いていたけれど、想像以上だ。先ほどまで浮かべていたクールな表情とは一変して、頬を染めて、次々に品物を見せてくる。どれもこれも「キーストーンをさらに美しく見せる」とのこと。
重大な任務が課せられていたと勘違いしたことに気づいたのは、彼が私の前に貴金属の数々を並べてからだった。展開についていかれない私はぽかんとしているばかり。彼は私の様子を見て「聞いていないのかな?」と首を傾げた。

「ワタルさまからはダイゴさまに会うように、としか」
「なるほど。ストレートに伝えたら受け取ってもらえない、あたりか。ワタルも人が悪い。……さて、彼から頼まれているんだ。キーストーンをきみが身につけられるようにしたい。そのための品を見繕ってくれないか、とね」
 
言われてみれば、確かに私はキーストーンを身につけるための装飾具を持っていない。
デンリュウにはメガストーン専用のバングルを用意したが、それで資金が尽きたせいもあって直にポケットにつっこんでいるだけだ。ぞんざいにしているつもりはないが、相応しい扱いをしているとはお世辞にも言えないだろう。
 
それをワタルさまは気にかけてくれた。そのことは素直に嬉しい。でも、あいにくと未だに懐は豊かとは言えない。差し出された品々はどれも一級品だろう。素人目に見てもそう思う。これにぽんと払えるほどのお金は、私に無い。ダイゴさまにも申し訳ないが、彼の時間を取る前に断らないと。
恥を忍んで買うことは難しいと伝えれば、ダイゴさまは目を丸くして言った。

「これはワタルからのプレゼントだよ? きみへの」
「え、ええ?」
「あれ? きみたち、恋人なんだろう? だからわざわざボクに話を持ってきたのだと思っていたのだけれど」
 
恋人≠フ単語に心臓が跳ねる。こ、恋人でいいのかな。……あれ? 私とワタルさまの関係ってなんだろう? 明確に「お付き合い」の話をしていなかったような。していたっけ? けれど「お付き合いしましょう」「そうしましょう」といった雰囲気でもなかったような。
でもそうやって確認するのも野暮な気もするし――だめだ、あの時いろいろと舞い上がっていて、覚えていない。

「こ、恋人だと、お、思いたい、です。私は」
 
個人的な願望を絞り出して答えれば、ダイゴさまはなぜか笑いだす。

「ごめん、ごめん。いいね、きみはそのままでいてほしいな」
 
肩を震わせながら、彼は先ほどおすすめだと言ったシルバーのペンダントチェーンを手に取った。トップにキーストーンをはめ込めるような、シンプルなタイプのものだ。きらりと光を反射する。

「ボクにはきみたちの事情はわからない。でも、あのワタルがわざわざボクに頼んでまで、こういったものを贈りたいと思っているのはなかなか無いことだ」
 
ダイゴさまは静かに語り出す。
同じチャンピオンとして、友として、ライバルとして。彼をよく知っている。セキエイリーグの頂点に立ち、リーグ本部をまとめている。そのせいか、もしくは元来によるものか、滅私奉公な気質があって、どこか危なっかしくも全てなぎ払えるような存在。その彼が初めて自分に恋愛関係の話をしてきた。気まずそうに、照れながら。しかもその内容が「大切な人へ贈り物をしたい」なものだから驚いてしまった。あのワタルが、恋人へ貴金属を贈るなんて。だから当たり前のように協力した、と。

「嬉しかったんだ。同時に安心もした。ワタルが『ただのワタル』であれる人に出会えたことにね。電話をしてきたときのワタルといったら」

ふふ、と彼から笑みがこぼれる。そのときのことを思い出しているのだろう。その優しい表情から二人の仲のよさが私まで伝わってくる。よい友人関係なのだと、嬉しくなった。

「だからこれはボクからのお願いでもある。受け取ってくれないかな。友人として、彼の力になりたいから」
「……ありがとうございます」
 
彼の心も含めて、ペンダントチェーンを受け取る。細みでシンプル。上品なデザインのそれをすぐに気に入った。さっそくペンダントトップにキーストーンをはめ込む。ぴったりとはまったそれは、最初からそこに収まるのがごく自然のものであると思わされるような説得力がある。これが私とデンリュウ、そしてワタルさまを繋ぐものなのだと思うと、愛おしくてたまらなくなった。
この輝きに恥じぬ人間であろう。私は美しい煌めきに誓った。
 


「ありがとうございました」
「こちらこそ。本当に一人で帰れるかい? 遠慮しなくていいのに」
 
一階のロビーまで見送ってくれただけで充分だ。わざわざ彼のエアームドを疲れさせる理由はない。行きだって苦労して来たわけでないのだから、帰りも同様だ。

「ペンダントまでいただいたんです。これ以上は申し訳ありませんから」
「……そう。なら、きみの言葉を尊重しよう」

諦めたように肩を竦めるダイゴさまに頭を下げる。改めてお礼を口にし、帰路につこうと背を向けた。

「あ、そうだ。最後に一つ」

引き留められるように投げられた声に振り向く。すると、思いの外近い距離にダイゴさまがいた。彼は内緒話をするように、身をかがめ、私の耳にとある秘密を吹き込んでくる。

「ワタルがね、『指輪は自分で直接贈るから、それ以外で』って」
 
え、と私が声をあげる前に、彼は続けて言った。それはもう嬉しそうに、楽しそうに。

「きみのことが大好きなんだよ、彼」
 
ボクがばらしたのは秘密だからね。怒られるのは困るから。
言葉ではそう言っているが、ちっとも困っている様子はダイゴさまからは見られない。
それどころか「むしろバラしてほしい」と顔に書いてある。

しかし、私はそれどころではなかった。身体中が沸騰しそうになる。真っ赤になっているに違いない。胸の奥がきゅうと音を立てて、締めつけられる。私は『恋人』であると、胸を張っても許されるのかも知れない。ワタルさまの顔が浮かぶのと同時に、キスの感触が左の薬指に蘇ってくるようだった。

今日、この人に――ワタルさまのご友人と呼べる人に出会えてよかった。愛しい人の心に触れることが、幸福に満ちた行為だと知ることができたのだから。
ペンダントだけじゃない、とびきりの贈り物を心に抱えて、私は帰り道を歩きだす。


その夜、お礼の電話をワタルさまにしたら、たっぷりのお小言をもらった。

「はっきり言っておくが、おれたちは恋人≠セ。ダイゴから『彼女にワタルの気持ち、伝わっていないよ』と連絡が来たとき、らしくもなく頭を抱えたんだからな。きみは確かに、いや、かなり鈍いところがあるが……ここまでとは思わなかった。いや、責めているわけじゃない。おれが読み逃しただけだ。それで返事は? よし、もう間違えないでくれ。でないと、次にきみが恋人かどうかを疑ったときには強硬手段を取るしかならなくなる。そんなことおれもしたくない。――おやすみ。愛しているよ」 
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