\-白紡ぎの路-

「ええと、あと必要なものは……」
 
これだ、と手にしたはいいがボストンバッグはすでにいっぱいだ。もうわずかなスペースも空いていないと私へ訴えている。……無理に押し込んでも大丈夫かな。ファスナー壊れたりしないだろうか。新しいものを買いに行く時間は無いから、壊してしまうのだけは勘弁だ。

「ねえ、デンリュウはどう思う?」
 
クッションでくつろぐ相棒に尋ねれば、興味が無さそうにこちらを一瞥するだけだった。薄情だ、と文句を言うが「だって関係ないし」とあくびを返され終わり。確かに向こうで生活する私の荷物が大半だけれど、もう少し一緒に悩んでくれたっていいじゃないか。
結局、「ええいままよ」と突っ込んだ。ギチリと嫌な音ははしたがファスナーもちゃんとしまったのでセーフということにしておこう。詰めすぎて不格好だけれど、大事なのは中身。

――あの騒動の原因は、とある装置だった。
かつて、ポケモンマフィアとして活動していたロケット団が作り出しいかりのみずうみ≠ノ変異ギャラドスを生み出した怪電波を発生させる事件があった。事件そのものはチャンピオンであるワタルさまと現場にいた若きトレーナーの協力により解決している。チョウジタウンの地下で密かに開発されていたそれらは私たちが考えるより、多くの試作品や失敗作を生み出していたのだろう。開発者が忘れてしまうほど。

そのいくつかがフスベの山奥で不法投棄されていたらしい。たまたまその装置のスイッチを野生ポケモンが入れてしまい、今回の混乱に繋がったようだ。失敗作だったからか、はたまた最初からそれを狙っていたのか定かでは無いが、電波はドラゴングループのポケモンをピンポイントで狙い、あの結果となったようだ。

原因は装置から発せられていた電波だったため遮蔽物、つまりモンスターボールや屋内へ入れれば、ポケモンたちはすぐに落ち着きを取り戻した。その間に、その手のことに詳しいマサキさまなどの専門家の助けを借り、全ての装置を破壊、処理した。野生のポケモンも
含め、念のためジョーイさんに出張診療してもらったが、みな問題はなかった。後遺症などの心配もなし。本当によかった。

そして私とデンリュウは――

「りゅうせいのたき≠チてどんなところだろうね。じめんタイプいるかなぁ。そうなると対策も必要になりそう」
 
修行を新たな段階へ進めることができた。
長老さま、ワタルさま、イブキさまの前で再び行なうメガシンカはとてつもなく緊張した。でも、私への特別試験のようなものだったから仕方ない。そして、ちゃんと相棒はメガデンリュウへと姿を変えることができた。あの時一回きりの奇蹟とはならなくて、ほっとしたのは秘密である。目覚めた遺伝子が再び眠りにつくことはなさそうだ。
 
無事、成長を認められた私はホウエン地方、りゅうせいのたき″sきの切符を手にした。念願のそれは、私が目標にしていた一つ。長老さまにお話をいただいたとき、飛び上がるかと思った。そして今、出発を目前に控え、必死に荷造りをしている最中である。当たり前だが『持っていくもの』なんてしおりをもらえるわけもなく、自分で必要なものを取捨選択しなければいけなかった。すでに修行は始まっているのかもしれない。りゅうせいのたき≠ナの修行を終えた仲間たちの話を参考に荷造りしたが……本当に大丈夫だろうか。フライパンなんている? 宿舎に調理道具は揃っているのに。カイリューが突っ込んできたときに必要って……その前に風圧で、こちらが吹っ飛ぶのでは?

「足りなくなったら現地で買えとも言われたけど、あそこってそんなに利便性のいいところじゃないよね……。うう、不安だぁ!」
 
投げ出すように床へ倒れる。ずりずりと這ってデンリュウのいるクッションへ顔を埋めた。こちらのクッションのほうが、私のクッションよりやわらかくて大きくて心地いい。それを知っている相棒は身体を動かし、私のスペースを作ってくれる。なんだかんだ優しい。
 
ちょうどよく陽光があたることもあり、うとうと睡魔が襲ってきた。今日はお休みの日とはいえ、起床時間はかわらない。つまり、眠い。ちょっとお昼寝しちゃおうかな、と考えていた私を起こすかのようにノック音が響く。

「…………」
 
居留守を決め込もうとするが、ノックをする相手は諦めない。一定のリズムを刻んでいる。
負けたのは私の方だった。渋々立ち上がり、ドアを開けた。

「出発の準備しているところ、すまな――なぜ閉める」
「つ、つい……」
 
ドアスコープで確認を怠った私を待っていたのは、まさかのワタルさまだった。反射的に閉めようとしたが、ワタルさまが足を差し込んだほうが早かった。ドアの動きを阻んでくる。しかも彼は開いた隙間に手をかけ、こじ開けようとしてきた。指に力が入る。

「ドア、壊されたくないだろう? 開けなさい」
 
彼が言うと洒落にならない。本当に壊されそうだ。攻防はあっという間にワタルさまに軍配が上がる。元より私に勝ち目はないけれど。

「女性の部屋にあがりこむのは憚られるが、中にいれてもらってもいいか?」
 
内密な話なんだ、と声を潜められる。もしかしたら先の騒動に関連したことかもしれない。そうなるといくら宿舎内とはいえ、あまり入り口で話してはいけないだろう。門下生全員が騒動の原因も知っているが、あまり聞かせるような内容でもないことも確か。

散らかっていますが、と前置きをして、彼を招き入れた。ソファなんて上等なものはないから、私専用のクッションを彼に渡す。メリープ柄のそれは、ちょっとぺちゃんこになっているのが恥ずかしい。もっといいやつを用意しておけばよかった。
二人で向き合うように腰を落ち着けた後、切り出す。

「それでどうかなさったんですか? この前の騒動のことについてでしょうか?」
「ん? ああ、それは関係ない」
「えっ」
 
関係ないのか。なら余計に彼が深刻そうな顔をしていたのか気になってくる。

「確認をしておきたくて。――まだ修行は続けるのか?」
 
もうメガシンカという夢は叶ったのだから、と彼は言う。確かにもっともな意見だ。夢を叶えた私はある意味修行を終えたと言っても過言では無い。ここには最初から、そのつもりで来たのだから。浮いたような存在になる私は彼にとっても、扱いが難しいのだろう。
しかし、その答えはもうすでに出ている。

「やめません。私もデンリュウも、もっとドラゴンポケモンとして、ドラゴン使いとして成長したいと思っています。今度はドラゴン使いを目指す一人として、ここで修行を続けます。それに――」
「それに?」
「私たちだから歩める、極められる道を見つけて、進む。そんな夢ができました!」
 
いつだって新しい可能性を求めるのはトレーナーの醍醐味だ。一つの夢が叶ったのだから、もっと違う挑戦に飛び込むべきだ。新たなドラゴンポケモンとしてのデンリュウには、メガシンカだけじゃない可能性が満ちているはず。その進む道を、誰よりも私が見たくなったのだ。そして歩みたい。唯一無二の相棒とともに。
 
ワタルさまは私の宣言を聞いて、耐えきれぬように笑い声をあげた。それは湖の夜に見た笑顔によく似ていて、思わず胸が締めつけられる。恋が飛び出してくるのを必死に押さえた。

「きみは本当に――」
 
声は途中で途切れ、彼は大きく息を吐き出す。そして言った。りゅうせいのたき≠フ修行もまた厳しいものになるだろう、と。こことは違った技量が求められるとも。

「しかしきみなら大丈夫だろう。励んできなさい」
「はい。ありがとうございます」
 
てっきり騒動のことかと思えば、私の身の振りについてだったなんて。まあ、これも誰かに聞かせるような話でも無いか。でもわざわざワタルさま自らが確認に来るなんて。私はよほどの問題児なのかも。そのことはちょっと申し訳なくも、ふがいなくも思うが、ワタルさまが気にかけてくれることは嬉しかったり。我ながら嫌な性格をしている。

「さて、これが一つ目の用件」
「ひとつめ?」
「二つ目はこれ」
 
差し出されたのは見慣れたタオルハンカチ。あ、と声があがる。

「捨ていただいてもよかったのに」
「そんなことできるわけがないだろう。長く借りていてすまない」
「いえ、お役に立ててなによりです」
 
しっかりと洗濯がされ、タオル生地だというのにアイロンもかかっている。ワタルさまがわざわざアイロンがけをしたのだろうか。そう思うとかわいい。見たかったなんて口が裂けても言えないが。厚意は無駄にできないので、謹んでそれを受け取った。私のハンカチのはずなのに、私のものじゃないみたい。これは使わないで、お守りにホウエンへもっていこうと決める。

「さて、最後に――きみ、おれに言うことがあるよな?」
「言うこと、ですか?」
 
申し訳ないが心あたりがない。首を傾げていると、ワタルさまは笑みを隠すように手のひらで口元を隠し、さらりと告げた。

「きみの好きな人・・・・のことを教えてもらっていない」

おれは言ったのに、と追撃もされる。
まさかそんな、まだ覚えていたなんて! あの後のバタバタですっかり水に流れていたのだと思っていた。だからこうして普段通りに接していたのに! 途端に胃が重くなる。なんて返そう。とりあえず適当に好きなタイプを……あれ?
気づきたくないことに気づいてしまったような。でも確認をしないとだめなこと。

「い、今、すきなひと・・って……?」
「ああ。好きな人≠フ話を聞きたい。いるんだろう? きみの心を射止めた男が。おれもよく知っているはずの男がね」
 
目の前が真っ暗になる。お、終わった。このまま意識を飛ばしたら、どこか遠く……そうポケモンセンターあたりにワープしていないだろうか。そんな現実逃避をしたくなるほど、私は混乱を極めている。これはもう確信を持って訊いてきている。私に好きな人がいて――それがワタルさまだとすっかりバレている。意味の無い質問はわざとなのだ。私から答えを引出すための。やはりあの時のやりとりで、気づかれてしまったのだろうか。
質問に隠された意味を悟った私へ彼は目を細める。

「よく今まで隠し通してきたな。素直に褒めるよ。このワタルを欺くことは、そう簡単にできるわけじゃない」
「あ、う……」
「おれを避けるなんて馬鹿げた行動を取らなければ、もう少し誤魔化せただろうに」
 
まあ、それも時間の問題だったが。
瞳の奥を鋭くさせたワタルさまは獲物を狙うかのように、私を視線で刺す。途端に、今にも丸呑みにされそうなプレッシャーが襲ってきた。これはピッピ人形を投げても無意味だ。むしろピッピ人形のほうが逃げるレベル。

「さて自分で言うのと、言わされるの。どちらがいい? おれのおすすめは前者だが」
 
あなたの中で、この状況は『言わされる』にカウントされていないんですか!? 
つまるところ、白旗を振り上げることしか今の私には許されない。震えたくちびるで、声を、感情を、絞り出した。ゆっくりと、言葉を選ぶ。

「お、お慕いしています。私は、ワタルさまのことが好きで、恋をしています。あなたが他の誰かを想っていることは重々承知しています。せめてこの気持ちが消えるまで、あなたに恋をすることを許していただきたいのです」
 
ぎゅうと目を瞑りながら、最後までなんとか伝えることができた。祈るような気持ちで、ワタルさまからの審判を待つ。彼から同じ想いを向けられることは、最初から諦めている。でもこの恋は、そう簡単に消すこともできない。だからせめて「良い恋だった」と笑えるぐらいになるまで、想っていることだけでも許されたいのだ。
私の祈りを聞き、ワタルさまは静かに告げる。

「それは難しい話だ」
 
ああ、終わった。私の恋は、ここでピリオド。もう捨てるしかなくなってしまった。
ひっそりと彼を想うことももうできない。積み重ねていたこの感情は終焉を迎えたのだ。最初からわかっていたことだけれど、いざその時になるとやはり悲しくて、辛い。
呆然としていた私へワタルさまは言葉を続ける。

「――おれもきみが好きだから、一人で勝手に諦められたら困る」
「え?」
 
閉じていた瞼を開ける。そこにはまっすぐと私を見つめる好きな人の姿があった。

「このワタルが想っている相手というのはきみだ」
 
何を言われているかわからない。ええと、誰が誰を好きだって? 幻聴が聞こえている?
…………ワタルさまが私を好き?

「う、うそ」
「きみじゃないんだから嘘はつかないよ」
 
ワタルさまはそっと私の手を取った。一つ一つの動きにどこか甘さを感じて、しかもそれが私へ向けられている。気づく度にぐらぐらと心が揺れた。彼の体温が、声が、言葉が、私に語りかけてくる。あの言葉に偽りはないのだと。

同時にまだ現実と飲み込めない自分がいた。だって、ワタルさまが私を選ぶなんて、好きだなんて。そんなことありえない。相応しいわけがない。

――ワタルの隣に相応しいのはね、まさしく『ワタルが選んだ人間』よ。
 
ふいにカリンさまの声が耳の奥で響いた。うぬぼれてもいいのだろうか。私は、この人の隣にてもいい存在になっても許されるのだろうか。私が何を考えているのか、彼にはとっくにお見通しだったのだろう。ワタルさまの指の腹が、私の爪先を撫でる。

「おれが、きみを、選んだんだ。その意味をちゃんと受け止めてくれ。それでも迷い不安を抱くのなら、何度でも口にしよう」
 
きみが好きだ。

「……私もワタルさまが好きです」
 
堰が切れたかのように同じ言葉を繰り返す。好きなのだ、と何度も、何度も。ワタルさまは律儀に全ての言葉へ「おれもだ」と返していった。その優しさでまた『好き』が生まれた。隠さなくてよくなった恋心が留まることを知らない。むしろ加速していくばかり。積年の
想いを受け止めたワタルさまは私が落ち着いたのを見計らい「さて、おれからきみへ一つ提案があって」と、とろりと甘さを煮詰めた笑みを浮かべた。見惚れながら、言葉を繰り返す。

「ていあん、ですか?」
「ああ。おれたち二人の恋をいつか愛≠ヨと進化させたいと思っていてね。どうかな?」
「……すぐに叶ってしまうと思います」
「ほう。それは僥倖だ。いいことを聞いた。今から楽しみにしておこう」
 
彼は私の左手の薬指に、くちびるを寄せる。わざと音を響かせ、触れた。その意味がわからないほど、私は子供じゃない。
幸せで目を回す私の手を引くように、ワタル様は囁いた。

「そのときは、ここに贈らせてくれ。――おれたちに似合いの、とびっきりの導をね」
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