あまりの衝撃に襲われたせいで、飲んでいた缶チューハイの味も一気にわからなくなってしまう。せっかく久しぶりに私の家でする宅飲みだというのに。けれど「もったいない」なんて思う間は一秒も与えられない。私はまるでこおり¥態のように、身体も思考も固まってしまったからだ。
呆けた顔をしているであろう私と違って、いつものようにワタルは余裕に満ちた表情のまま「ああ、こんな味もあるのか」なんて呟きながら、新しいお酒の缶を開けている。スーパーで投げ売りされているような缶チューハイをワタルが飲む姿は、あまり似合わない。彼はいつも私と飲んでいる時でも、ワインや日本酒を選んでいるから。でもこういったお酒にはそれ相応の良さもある。今回にいたってはショーケースに並べられた色とりどりの缶たちを、ワタルが物珍しそうにしていたから、ついつい買っちゃったわけで……。
って、そうじゃなくて!
現実逃避をしはじめた意識を必死に取り戻し、手に持っていた中身の残った缶チューハイをテーブルに置く。アルコールを少しでも薄めないと、凍ったままの思考が回らないことは火を見るよりも明らか。置きっぱなしの空き缶の間を縫うように動く私の視線に気づいたのだろう。ワタルはテーブルの端に置いてあったペットボトルから、空のままだったグラスに水を注いだ。
「氷は?」
「大丈夫……」
「こぼさないようにな」
「ありがとう……」
「どういたしまして」
渡された水をいっきに飲む。ぬるめ――もとい常温の水は、それでもアルコールで熱せられていた私にとっては冷たく感じた。そのおかげで少し意識がクリアになった気がする。ちらりと目を向けた。いまだにワタルの表情も態度も変わっていない。こうなったらこの勢いのまま訊くしかない。いま聞いたこの人の発言は、酔った私の幻聴だった可能性だってあるのだから。
「ねえ、さっきのって……」
聞き間違いだよね? と私が確認する前にワタルは口をあける。
「おれと付き合わないか?」
――同じ言葉だ。さっきと。
けれど私自身は先ほどの私とは違う。アルコールが多少薄まったはずの思考回路がくるりと動き、はたと思い至る。
「あっ、タマムシデパート! もしくはコガネデパート!」
セキエイから直行したこともあり、もちろん彼は今日もご自慢のマントを纏っている。ハンガーにかけられたそれを指さし、叫んだ。それにワタルのマントへのこだわりは誰もが知っている。マントを新調するから、カントー・ジョウトが誇る二大デパートについてきてほしい――そういった意味での「付き合ってほしい」なのでは!? 我ながら、なかなか名推理。これならコーヒー好きなピカチュウを相棒にして、探偵業だって営めるかも。
「そんなわけないだろう」
一瞬にして探偵業は要検討案件になってしまった。
さすがに思うところがあったのか、眉間の皺を深くしたワタルは大きく息を吐き、ばっさり切り捨てる。それが彼の少し不機嫌な時にする仕草であることを、友人歴の長い私はちゃんと知っていた。だからこそ予感が真に迫る気がしてならない。喉が異様に渇くのは飲んだお酒のせいであると、すでに言い切れなくなっていた。「じゃあ」と私が口を開く前に、ワタルの声が被さっていく。
「男女の意味として付き合ってほしいと言っているんだ」
変な声が出た。もちろん、私から。
そのおかげかワタルの表情がゆるむ。しかし私を射抜く眼差しの鋭さは変わらない。その瞳の熱さに居心地が悪くなる。……どうしよう。なんだか私の知るワタルじゃないみたい。この人、こんな顔するっけ。身じろぎさえ許されない。そんなプレッシャーを肌で感じていた。
少なくとも私には気まずさを感じる空気の中で、ワタルは告げた。
「きみが、好きだよ」
「……告白するタイミングでも、雰囲気でもなくない!?」
かろうじて、しかも苦し紛れで叫んだ言葉を受けてワタルは「ははは!」と肩を震わせる。その途端に張り詰めていた空気がほぐれていく。場を支配していたのは紛れもなくワタルであったことを痛感した。
「すまなかったな。理想のシチュエーションでなくて」
「そ、そういう意味じゃなくて!」
「でも、おれがこういったことに慣れていないのは、きみも重々承知済みだろ?」
否定できない。ワタルが恋愛に得意な様子は正直なところ、想像ができない。お互いにそういった話もしてこなかった。でも、その評価もたったいま覆されてしまった。私はバトルトレーナーではないが、失敗から学ぶ人間ではありたい。だからもう油断はしない。それに、ワタル相手だとなにが飛び出してくるかわからないことを、この僅かな数分間の中で身をもって実感してしまったのだ。多少身構えておかないと。また意識を飛ばすことになってしまう。
せめてもの抵抗で、じとりとした視線を投げてみる。やはり、というべきか。残念ながら、まったくもってワタルには効いていない様子だ。
「弁解させてもらうと」
いつの間にか飲み終わっていたらしい缶を片付けながら、ワタルは言う。
「おれとしても、このタイミングで告白するつもりはなかったさ。いつかは、と考えていたけれどね」
「じゃあ、なんで」
「これを逃せば後が無いと直感した。それと単純に耐え難かったからな」
「?」
「……つまり、きみと会えなくなるのはイヤだってことだよ」
聞いたことのない声だ。親友の私でも聞いたことのない。優しいだけじゃない。むず痒さが背筋を駆けるような、ふんわりとした砂糖菓子のような甘さを感じるような声。いや、違う。きっとこれは「私に聞かせてこなかった」が正しい。ワタルは今まで、私と接する時には意識して「そのまま」を突き通してくれていたのだ。
突きつけられた事実はただ一つ。私はこの告白を無かったことにはしてはいけない。
というか、そもそもワタルだって無かったことにするつもりもないだろう。未だに私を見つめる彼の獰猛な瞳がそれを物語っている。隙を見せたら、いまにもばくんと食べられてしまいそう。
たった一夜にして――厳密にはたった数分の出来事で、目の前にいる私の『親友』は消えてしまった。代わりにいるのは、私に告白してきた『ワタル』だけ。
ワタルがあんなこと――告白なんてことをしてきたのは、その直前までの話題が理由の一つにあると思う。むしろ、それしかない。
最近、私は仕事でいいことがあった。その仕事というのは、ポケモンバトルのバトルコートの整備や、設備機器の調整だ。技と技がぶつかり合った後のコートは、ぼろぼろのぐちゃぐちゃになってしまう。つまり次のバトルのために整え、安全にバトルトレーナーたちが使えるように点検する必要がある。私がしているのはそういう仕事だ。会社所属のポケモンと一緒に行なうとはいえ、作業は大変で重労働。けれど綺麗になったコートを見ると達成感もわいてくる。同僚をはじめとした先輩や上司も、頼りになる人ばかりなのもあって、自信を持って「大好きな仕事」と断言できる。
とはいえ、私はまだまだひよっこ。もっぱら野外にある野良コートばかりを整備していた。これはこれで大変だし、重要な仕事なのだけれど。やっぱり大きなコートの仕事にも携わってみたい気持ちもあった。
そんな目標を抱き、コツコツ頑張ってきた成果が実を結んだ。ついに、今度からジムなどのリーグ公式認定されているバトルコートの整備の一部を担当させてもらえるようになったのだ。こんな嬉しいことがあるなんて! だから今日の飲み会は、このお祝いを兼ねていた。
公式バトルコートには、もちろんセキエイリーグも含まれる。いつかワタルに会うかもしれないね。そんなことを言いかけて、はたと気づく。
「でもワタルは忙しいか」
「まあ、否定はしないな」
「そうだよねぇ……」
なにしろワタルはリーグ総本山であるセキエイリーグのチャンピオン。こうして二人で会う時間だって、彼としては身体を休める時間やポケモンたちのために費やしたいのかもしれない。そう思うとなんだか――
「私、ワタルに甘えてばかりかも……」
「なにをいまさら。酔っ払ったきみの介抱を何度したと思っているんだ?」
その節はありがとうございました。……ではなくて!
別にワタル以外に友人がいないわけではない。けれど、こうしてなにかあったら私は真っ先にワタルに伝えたいし、彼からも言葉をもらいたい。嬉しいことも悲しいことも。些細なことでさえ、ついつい話したくなってしまうのだ。これはワタルが聞き上手なだけではなく、単純に私のわがままであると自覚している。
しみじみ考えてみれば、この人はいつだって忙しい。無理に付き合わなくていいと毎回伝えているけれど、ワタルは「問題ない」と私のために時間を作ってくれる。断られたときなんて、それこそリーグから急な招集がかかったときぐらい。それだって数えられるほど。現に今日だって、ワタルは遅刻することなく来てくれた。
これはちょっと改め直さないといけないのでは? 頭を過ぎったのは、そんな考えだった。もう少しワタルには自分のために時間を使って欲しい。常に誰かのために動いている人なんだから。余計にそう思う。
「……決めた!」
「なにを?」
「ワタルに甘えるのもほどほどにする!」
ごくんと残ったお酒を飲みきって、次の缶に手をのばす。決意と共にプルタブを開け、先程とは違う味を喉へ流し込んだ。考えれば考えるほど、我ながらワタルに甘えすぎていたと反省。
四六時中、彼を誘っているわけではないけれど、でもこれからはもう少し頻度を落とそう。別に面と向かって報告をするほど、重要な話はしないのだから。代わりにメッセージを送るようにしようと思う。こうすればワタルのタイミングで読めるだろうし。文明の利器はこういうためにあるのだ。使わないともったいない。
とはいえ、会えなくなるのはちょっと、いや結構寂しい。けれど私だって「大人」と呼ばれるようになって久しいのだから、そこは我慢もとい「大人」にならないと。
「――」
「うん? なにか言った?」
ワタルの声を私は拾うことができなかった。小さな呟きは彼の口の中で消えてしまったようだったから。彼は「なんでもない」と首を振って、改めて今度は私に聞かせるように言った。
「きみがおれたちの関係について思うところがあるのは理解できた。そのうえで、提案がある」
提案? なんの?
疑問を抱きながら、口元にお酒を近づける。アルミ缶の冷たさが、くちびるにふれた。
「おれと付き合わないか?」
自室のベッドで目が覚める。頭にズキリと鈍い痛みが走った。これは確実に二日酔いのせいに違いない。別の理由に心当たりもあるけれど、今回はシンプルに飲みすぎたのだろう。
なのに残念ながら記憶は一切飛ばずに、きっちり残ってしまっている。こうして夢に見るほどに、刻みこまれてしまっていた。
「うっそぉ……」
ワタルがあんなアクションを起こしてくるとは露にも思わなかった。というか、もしかして。まさかとは思うけれど、ワタルとしては私のことを前からずっと好きだった……?
信じられない。というのがまず出てきた本音だ。だってそんな素振り、いままでどこにも。
「隠して、いたんだっけ……」
私はもう知っている。こちらを照れさせてくるような砂糖菓子のような声を。そこに乗せられていた感情も、いまならわかる。ワタルは全部隠していたのだ、私に対する態度も含めて。私の知っているワタルは、ちゃんと線引きをする人だ。自分の恋にだって、それは適応されるに違いない。
それは私が彼のことを「親友」としか見ていなかったからだ。だからワタルは、私に対して「親友」でいてくれたのだ。それは私を尊重する気持ちの置き方だ。やっぱりワタルは優しい。
きゅん。
「ち、ちがーう!」
いまのは違う! 違うったら!
胸に宿る淡いときめきに焦り、飛び起きる。自分が発した叫び声と相まって、またズキリと頭が痛んだ。自業自得とはまさにこのことである。
そりゃあワタルはとても素敵な人だ。性格もいい。ちょっと意地悪なところもあるけれど、それだって魅力の一つ。なにより誠実で優しくて、恋人にしたらきっといい関係を築けるだろうし――あ、あれ? なんか、私だいぶワタルのこと好きじゃない? いや、好きだけれど、それは親友のそれであって! 長年の交流ゆえの評価だから!
二日酔いも相まって頭がぐるぐると回る。そんな私の気を引くように鈍い音が部屋に響いた。振り返ると手持ちポケモンであるサンドパンが、不満げに私を睨んでいた。前足で器用にドアを開けたらしいサンドパンは、中途半端に開いたそこから半身を出している。
「あ、ご、ごめん。ご飯だよね」
否定を伝えるような唸り声。とてもかしこいこの子は、すでに自分の朝食を終えたらしい。
なかなか起きだしてこない私の様子を見に来たのだろう。
サンドパンはいつもリビングの日当たりのいい場所に作った寝床で寝起きしているため、
昨日の飲み会のときもそこにいて、時折ワタルにも撫でられていた。つまり、私が飲みすぎたことも知っている。だからこうして寝室まで来てくれたようだ。
枕元の電子時計に目を向けると、そこには午前を飛び越してお昼近い時間が表示されている。今日が休日でよかった。平日なら言い訳もできないほどの遅刻、もとい無断欠勤だ。
いまだにベッドの上にいる私にサンドパンが擦り寄ってくる。サンドのころから撫でられるのが好きだから、進化してからもこうして甘えてくるのだ。呆れられているのかと思っていたけれど、実は寂しかったのかもしれない。かわいいパートナーをトゲに気をつけながら撫でるが、どうやら不満げなご様子。一声だけ鳴き、私を置いて出ていってしまった。
「ワタルめ。うちの子まで惑わせるなんて……」
ドラゴンポケモンに限らず、そもそもワタルはポケモンの扱いがうまい。そのため彼に構われたあとのサンドパンはいつもこうなる。素っ気無く、私に目もくれなくなってしまうのだ。しばらくすれば戻るけれど(もしかしたら妥協しているのかもしれない)、逆にいえばしばらくはこのまま。なんとなく、むなしい気持ちになるのは否めなかった。
出ていったパートナーを追うように私もようやくベッドから降りる。サイドテーブルに置いた端末からは通知を知らせるライトが点滅していた。つい、手に取ってしまう。
「うわっ」
それはメッセージアプリからの通知。送り主は案の定、ワタルだった。
私の彼に関しての最後の記憶と言えば「ちゃんとベッドで寝るように」と言い残していった姿である。空き缶を一緒に片づけて、その流れで玄関まで見送った。ちょっと私が挙動不審になっていた以外には、特に変わりもなかったはず。というか、告白後に普通でいられるほうがおかしい。やっぱりワタルの精神は強いというか、不思議というか。なにせいつも通り片付けまでして帰るなんて思わなかったのだ。そういうところ律義なんだよなぁ。
ロック画面に表示されている通知に改めて目を向ける。残念ながら通知欄にメッセージ全文は表示されていない。他のアプリの通知に埋もれてしまっていたからだ。いくつかのポイントカードをアプリへ移行した弊害がこんなところで出てくるとは。どうにかこうにか頑張ってみたけれど難しい。次第にむなしくなった。諦めて、メッセージアプリを立ち上げる。
ワタルからのメッセージも普段と変わりないものだった。体調を気遣う内容と、お酒の飲みすぎを注意する一言。いつも通りのワタルから送られてくるメッセージと変わりない。
気負いすぎたかも、と肩の力が抜けかけていたとき、時間をおいて送られていたもう一つのメッセージに気がついた。
それはやはりというべきか。例の告白についてのことだった。「返事は急がない」「答えが出るまで、いつも通りに接して欲しい」といった旨が書かれていた。それらを見て、ほっとしたのは否定しない。どういった顔で、これから彼と会っていいかわからなかったからだ。急にワタルを恋愛対象の異性として見るのは、恋愛経験値が低い私にとってハードルが高い。
ワタルとしては早々に答えが欲しいだろうに、私を気遣ってくれている。
また甘えてしまったなぁ、と反省する私はさらに続くメッセージをスクロールした。最後の一文が目に入る。
――だからといって、忘れたふりはさせられないからな。
喉から変な声が出た。しっかり釘を刺しにきている! 加えて、こうして履歴が残る形で連絡をしてくるあたりも本当に抜け目がない。ワタルらしいというか、なんというか。前言撤回。私を気遣うどころか、かなり意識させにきている!
「忘れられるわけ、ないじゃんかぁ……」
ぼやいたところで本人には届かないのだけれど。
忘れろと言われたって、忘れられない。ワタルがまさか私に告白してくるなんて。まったく予想もつかなかった出来事なのだから。
しばらく悩んで私はワタルに返信した。お気に入りでよく使う、コイキングが力なく跳ねるスタンプを一つ。それだけを送って私は端末をスリープにする。とりあえず遅めのブランチを食べたら、シャワーでも浴びようか。残りの片付けと、部屋の掃除もしなくてはならない。
バスルームから出るころには、だいぶ頭もすっきりした。濡れた髪のまま、もう一度端末を立ち上げる。ワタルからの返信は無い。その代わりに既読を知らせる文字だけが、私の送ったコイキングスタンプの横にひっそりと表示されていた。