番外編 -約束は果たされる-

抜けるような青空。それでもどこか肌に当たる風がひんやりとしているのは、『こおりのぬけみち』が近くにあるフスベ特有の空気のせいだろう。

「会いたかったよー!」
 
目的地へ着いた途端に私の足は一直線に池へと向かう。淵にたどり着くころには、水の奥から巨体が揺らめき、水上へ浮かんできた。今日の空のような色の鱗、凶暴そうな顔。それでも私にとってはかわいくてたまらない。事実、私を見て嬉しそうに笑ってくれているのだから。怖いなんて気持ち、全然浮かばない。

「ギャラドス、久しぶり!」
 
ばしゃんと水飛沫があがる。ギャラドスが尻尾で水面を叩いたのだ。凶暴なポケモンであると散々言われるギャラドスでも、認めたトレーナーの指示はちゃんと聞くし、トレーナーではない人間にだって懐く。とりわけ、コイキングのときから一緒にいるのなら、なおさら。

そう。このギャラドスはポケモンハンターのアジトで私を助けてくれたコイキングが進化した姿である。ワタルの手持ちではないため、普段はこうして元々のフスベの住処で暮らしているのだ。そして私は、この子に会いに定期的に遊びに来ているというわけだ。
ワタルと交したあの日の約束のころから、ずっと。

「こらこら。あんまりはしゃぎすぎると池に落ちるぞ」
 
飛んでくるお小言は聞こえないふり。落ちてもギャラドスが助けてくれるもの。ねーっ! とギャラドスに同意を求めると、同じように首を傾けてくれた。本当に素直でいい子だ。そんな私たちのやりとりを眺めるワタルはやれやれと肩を竦めている。

「デートをしよう」その連絡が来たときこそ緊張したけれど、蓋を開いてみればなんてことはなかった。久しぶりにギャラドスに会いに行かないか? というお誘いだった。なら返事は一つ。カレンダーを数えてみれば、最後にギャラドスと会ったのはだいぶ前だったことにも気がついた。だったら、もう会いに行くしかない。

「あれ? ギャラドス、前より大きくなった?」
 
鱗の身体を撫でていて、なんとなく全体的にフォルムが大きくなったような……そんな印象を受ける。ポケモントレーナーではないから、あくまで私の気のせいかもしれないけれど。それに会うのは久しぶりだから、どうにも親戚の子供を見るような気分になってしまう。大きくなっていないのに、大きくなっていると感じてしまう。あのあたりの気持ち。
けれどどうやら私の勘違いではなかったらしい。ワタルが頷いたからだ。

「近々、群れの長を決める世代交代があるからな。そのために鍛えているみたいなんだよ」
 
えっ、そうなの。思わずギャラドスに目を向ければ、ワタルの言葉を受けたせいか、その鍛えているという身体をアピールしはじめる。おお、かっこいい。

「キミは勇気があって優しいから、ぴったりだね」
 
近づいた顔、顎の部分を撫でればギャラドスは嬉しそうに咆えた。あの日、私を助けてくれたこの子なら、きっといい長になれる。そのときはたくさんお祝いしないと。


サンドパンがギャラドスと遊んでいる光景をワタルと共に眺める。二匹とも進化前からの付き合いだから、相性の悪さを感じさせないほど仲がいい。とはいえサンドパンは池に落ちたら溺れてしまう。ワタルと同じ言葉を今度はサンドパンに投げかけた。しかしサンドパンは聞いているのかわからない。

「大丈夫かなぁ……」
「おれの気持ちがわかってくれたかい?」
「うぐ」
 
素直に謝るとワタルは「よろしい」と笑って許してくれた。

「そういえば怪我はもう大丈夫なんだよね?」
「ああ、問題無いよ。すっかり落ち着いた」
 
ならよかった。ほっと胸を撫で下ろす。私を誘ってくれた時点で「治った」とわかってはいたけれど、一応確認をしておきたかったのだ。「元からたいした怪我じゃなかったんだ」とワタルは何度も言うけれど、正直その言葉は当てにしていない。彼の「たいしたことはない」と私の「たいしたことはない」は確実に違うようなので。
 
他愛もない話をぽつりぽつりと繰り返す。私たちの間を涼やかな風が吹きぬけた。その風があまりにも心地よくて。次第に交されている会話がゆっくりと止まる。耳に届くのはポケモンたちが遊ぶ音だけ。
隣に座るワタルが静かに距離を詰めたことは、とっくに気づいていた。それを指摘するほど私は野暮ではない。じんわりと伝わる体温に胸がくすぐられる。この距離の近さは、今までもたくさんあったこと。けれどあの時とは違った意味を持つ。それだけで、受け取る感情がこんなにも変わることを知らなかった。

私からも近づくと、ワタルの空気がわずかに揺れた。

「――きみに、確認をしたいんだが」
「うん」
「前に言っていたことを覚えているか?」
 
先ほどからずっと鼓動はうるさくて。多分最初から、どこかで期待をしていた。期待をしていたから、私はその言葉に頷き、答える。

「おぼえて、います」
 
自分でもおもしろいほどに緊張している声が出た。そんなことは当たり前のようにワタルも気づいている。ふっと緩まった彼のくちびるに、目が離せなくなる。
ワタルは優しい手つきで私の身体を引き寄せた。自然と瞼が落ちる。静かにくちびる同士がふれあった。甘い痺れがそこから全身に伝わっていく。
ふれていた時間はきっとわずか。でも私には永遠にも感じていた。それはワタルも同じだったようで、開いた瞳から熱い視線が絡み合う。

「もう一回、したい」
 
恋に浮かされた私からもれた懇願に、彼は何も言わずに応えてくれた。もちろん行動で。
私がねだる度に何度も、何度も。



日が暮れはじめるころに、ワタルは私を自宅まで送ってくれた。カイリューは大人二人ぐらいなんのその。スピードが緩む間もなく、暗くなる前にドアの前まであっという間に到着。
お礼を言えばカイリューは嬉しそうに胸を張り、羽をはばたかせた。

「ワタルもありがとう。――帰り、気をつけて」
 
寄っていく? と今日は誘えそうにない。なんだか照れくさくなってしまったのだ。いつもなら、特に考えも無く言えるのに。ちょっと意識してしまう。ただ、もう少しワタルと一緒にいたい気持ちもあるものだから、難しい。
どうやら私は思ったより……いや、かなりワタルのことが好きみたい。ときめいている自覚がある。いつもの自分に戻るには、ちょっと時間がかかりそう。
けれど、彼はもうすでにいつもの自分を取り戻しているらしい。じっと私を見つめ「そういえば」と口にした。

「きみからは言ってくれないのか?」
「なに、を――」
 
察してしまった。ワタルの言葉の意味が。あれ? 言ってなかったっけ? と記憶をひっくり返す。確かに言っていなかったかも? でも、今更な気がしません!?
ちらりとワタルの様子を窺うと、彼は私の言葉を待っている。というより、この様子は私にどうしても言わせたいといった感じだ。愉しそうに「聞きたいな」と笑みを深めている。
 
となると、悔しい気持ちがわきあがってくるのが私の性格で。そう簡単に言ってやるものか! と対抗心が生まれてきた。いつもワタルの手のひらの上だと思わないで欲しい! 参ったぐらいは言わせてやりたい!
 
大きく一歩踏み出して、彼との距離を素早く詰める。驚いている間に襟元を掴み、乱暴に引き寄せた。精一杯の背伸びをすれば、なんとか目的の位置まで届いた。声が聞こえる前に私のくちびるで、彼のそれにふれる。

「これが、私の気持ちの全部!」
 
叫んだあとに後悔する。厳密には我に返った。無理矢理キスをするなんて。なんてことをしてしまったのだろう。ワタル、嫌に思っていないかな。
恐る恐る彼を見る。予想外にも彼は目を丸くし、呆けていた。思わず「ごめん!」と謝るがワタルの表情はどこか嬉しそうだ。

「かまわない。むしろ熱烈でおれ好みだ。こんなにもきみが雄弁に語ってくれるとは、思わなかったよ」
 
ならよかった、のかな……? けれどどうしてか不安が拭えない。間違いを犯してしまったような。選択を誤ったような。なんだか大きくしくじった気がする。
それはどうやら正解だったようだ。今度はワタルが私の腕を掴む。え、と声をあげる前に、再び彼との距離が近くなった。吐息を感じるほどに。

「でも、まだ足りない」
 
教えてくれないか。きみの気持ちを。
甘く掠れた声が耳に吹き込まれる。とろりとした熱が伝わってくるようだった。注ぎこまれる溶けた欲につられ、自然と頷く。

「あと、一回だけね」
「それだけ?」
「それだけ!」
 
仕方ないな、と囁いたくちびるが私に重なった。
ワタルとのキスは、なんだか甘く痺れて、私をくらりと惑わせる。これは一生、慣れそうにない。
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