まふゆが旅立って数年が経った。
ジムリーダーのメンバーはメジャーとマイナーの入れ替わりが激しく、ダンデの望み通りガラル地方のバトル水準は目に見えて上がっていった。しかし、キバナは最後のジムを守り続けているし、ユウリはいまだにチャンピオンの椅子に座っている。大切な「あの子」が帰ってきたときに、胸を張れる自分でいたいと望んでいるからだ。
ただ、この地方の吹く風、空の青さ、星の輝きは変わらない。北極星が夜空に灯り、旅人を導き続けるように。
そのため、一番変化が訪れたのはまふゆといえるだろう。あれから彼女はイッシュへ無事に到着。念願のバトルサブウェイに乗車してようやくクダリと再会し、せっかくだからとジムを回った。
イッシュを巡ったあとは、カブとの約束を果たすためホウエンへ行き、他にもカントー・ジョウト・シンオウを旅した。それで満足したかと思いきや、アローラへ飛び、最後はカロスに降り立つ。
旅を切り取った写真は、あの日ユウリたちと開設したSNSに投稿し、じわじわと人気が広がっていった。他にもコンテストで入賞したり――今や若手写真家として注目を浴びている。
その様子をキバナはずっと見守っていた。(ユウリからSNSのアカウントを聞き出したのだ)アップロードされる写真を見ては彼女の無事に安堵し、早く帰って来いとやきもきする毎日。それでも旅を楽しむまふゆを見るほど、あたたかな気持ちが広がっていった。
――そしてついにその日がやってくる。
彼女の写真展がガラルで開くことが決まったのだ。しかもスポンサーはキバナの友人である、あの服屋の店主。自分の知らぬところで、そんな計画が立てられていたことをもちろんキバナは知らない。したり顔でそれを友人から告げられた時の彼は――少し荒れた。
その店主から「詫びの代わり」にと、打ち合わせのためにまふゆが今日、ガラルに帰ってくると聞き、あの日の約束を果たしにここまでやってきた。
長くて短い、この年月。彼の心は変わらず、まふゆだけを宿している。
***
洗いざらい吐いたキバナはエネココアを流し込んだ。甘いそれは喉を潤すには向いていない。でもこの幸せを味わうには相応しかった。
話を聞いてユウリは「言い逃げしたなんて、まふゆってばだいたんだ」と熱っぽく呟く。
「それに応えるキバナさんも最高! というか、意外と純情ですよね。ずっとまふゆを待っていたってことでしょう?」
「意外ってなんだ、意外って。オレさまはずっと純情だっての」
それに、と言葉を続ける。
「惚れているからな、まふゆに」
ニヤリと笑う彼にきょとんとしたユウリは「はーっ!」と天を仰いだ。
「ごちそうさまです!」
エネココアよりさらに甘い一言にユウリは胸を押さえる。これはやられてしまった。というか録音して、まふゆに聞かせるべきだったと後悔する。
「つーか、あいつ全然オレさまにメッセージ送ってこないのおかしくないか?」
「まふゆも気にしているんですよ。言い逃げってある意味、キバナさんに選択肢与えているってことですし。恋人がいたら、って遠慮しているんだと思います」
「そんな遠慮いらないのにな」
「まふゆ一筋ですもんね。……もうガラル中に広がっているって知ったら帰ってこないかも」
「これでも名前は出さなかったんだぜ? セーフセーフ」
まふゆが旅立ってから一年後。投稿される写真たちを見て、これはしばらく帰ってこないとキバナは察した。
だから、とあるインタビューで言ったのだ。「好きな相手がいる」と。その相手をずっと待ち続け、その人以外には自分の恋人は考えられない、と。
その日からまるまる一ヶ月、ナックルジムへの電話は鳴りっぱなし、メールボックスはパンクした。インタビューの依頼は殺到し、内容はそれ一色に染まるほど。彼の恋愛スクープでガラル中は満たされた。
とはいえ、一応キバナも考えなしに言ったわけではない。あらかじめスポンサーには連絡をしていたし、ジムトレーナーにも対応に手間をかけると頭を下げた名前も出していない。おそらくまふゆのことを指していると知っているのは、ユウリを始めとした彼女の友人たちだけだ。(ただカブから向けられる視線の鋭さが増したので、彼には気づかれているかもしれない)
そんな行動を取った理由としては、まふゆへの気持ちは変わらないと確信していたことがある。なにより彼女が帰ってきたからマスコミに騒がれるよりも、今のうちに騒ぐだけ騒いでもらおうという目論見もあった。
それに本業たるバトルは一切手を抜かなかったし、内容も上々。けじめをつけるところはつけたおかげか、徐々に向かい風は追い風へ変わっていく。「キバナの純情最高」「ずっと想っているなら、報われてほしい」「ここまで相手のこと好きなら応援するしかないな」「早くダンデに勝って迎えに行け」などなど。(最後の一言だけは余計だ、と彼はよくぼやいてはいたが)
もちろんこのことをまふゆは知らない。体よく外堀を埋められているんだよなぁ、と思いながらユウリも何も言わなかった。ユウリはまふゆにも幸せになってほしいが、キバナにも幸せになってほしいのだ。二人で、一緒に。
「さーて、たくさんいいお話聞けたので、そろそろ私は行きますね」
勢いよく立ち上がり、ユウリは身体をのばす。彼女の言葉にキバナは「会わないのか?」と尋ねた。
てっきり一緒に迎えることとなると思っていたのに。しかし、ユウリは最初からそのつもりではなかったようだ。
「感動の再会に私がいたら邪魔じゃないですか。それに『約束』なのに、部外者がいるのはちょっと……。まあ、私はまふゆとこまめにメッセージやりとしているので」
気を遣ったかと思えば、ドヤ顔で友人マウントを取ってくる若きチャンピオンは「夜は同期みんなキャンプご飯なので、それまでにまふゆを返してくださいね! そのあとはまたお渡ししてもいいですけど」と意味深な笑みを浮かべて、帰っていった。
なるほど、いいことを聞いた。夕飯を食べ終わるころに迎えに行くか、と画策する。残ったエネココアを飲み切り、空いたカップをゴミ箱に投げた。せっかく久しぶりに再会して――恋人になった初めての夜になる予定。一秒だって長くそばにいたい。
さて、彼女を待つのも残り数分だ。長くて短いこの数分。どんな気持ちで過ごそうか。
長い船旅を終え、久しぶりにガラルへまふゆは戻ってきた。この地方特有の香りがする空気を吸い込み、なつかしさに浸る。そして待合ロビーで待たせている友人の姿を探して――
「ど、どうして……!」
一目散に彼の元へ駆けて行った。
「お、変装していてもすぐわかったな。えらいえらい」
ユウリもすぐには気づかなかったのに、と笑うと「どうしているんですか!」とまふゆは悲鳴じみた声をあげる。キバナはその問いに答えず想い人の姿を見つめた。最後に見た時よりずっと大人になっている。あたりまえだ。離れている間に彼女は成人を向かえていた。写真では自分の姿を一切写していないから、あの時の別れぶりにまふゆを目にしていることになる。キバナの想像よりもずっと、彼女は愛らしさも美しさも増した大人の女性に成長していた。
見開く丸い瞳に自分の姿が映る。それがこんなにも愛おしい。
幸せの味が広がることに浸りながら、キバナはゆっくりと口を開いた。
「『約束』覚えているか?」
「……もちろんです」
まふゆのくちびるが震える。「まさか」と期待で瞳が揺れているのに気づく。『誰よりも先に一番に』自分に会いに来てくれた。その事実に気づいたのだ。
彼女をすぐにでも安心させたくて、でも焦らしたくて。心が二つあるような錯覚さえ覚えながら、キバナは静かに言葉を落とす。
「お前の気持ちに変わりはないか?」
「ありません」
きっぱりと彼女は言い放つ。
「あの時から変わらず。あなたが一番大好きで、大切です。この気持ちはゆるぎません。まっすぐにずっと、大好きです」
まふゆはあの時と同じ――いや、さらに育った想いを告げる。愛しさがにじみ出た、恋の色をした全てをキバナにぶつけた。
イッシュにいても、ホウエンにいても、どの地方にいても、まふゆはキバナのことを想っていた。アカウントを教えてはいないけれど、きっと彼ならこの写真を見つけているだろうと信じて。同じ光景が届いているはずだと夢見て。
自身が持つありったけの感情の熱さをキバナは受け取って、胸がいっぱいになる。同じほどの想いを育てていて、抱いている。こんなにも嬉しいことがあるだろうか。
まふゆが宿す想いと同じ色でキバナも言葉を彩った。
「オレも好きだ。ずっと変わらず、お前だけを。愛している」
その言葉にまふゆの頬の赤みが一瞬にして増した。意味を噛みしめて、震えている。ああ、初めて見る表情だ、とキバナは喉の奥で笑う。それだけで、二人にはもう充分だった。
「というか、オレのほうが先に好きになってたからな? 絶対」
軽い口調でそう言えば、まふゆははっと意識を取り戻し、反抗するように声をあげる。
「そ、そんなのわからないじゃないですか!」
「これに関しては絶対って言いきれる。賭けてもいいぜ」
「賭けるって、なにを」
「そりゃ決まってるだろ」
オレたちの未来をだよ。
目元を緩ませ、キバナは笑う。その意味に気づき、まふゆはまた一気に顔を赤くさせた。じわりと視界が滲むのを必死に耐える。もちろん、それに気づかない彼ではない。
「っと、そうだ言い忘れてたわ」
だからキバナは腕を広げる。とびきりの優しい声で、誘った。
「おかえり、まふゆ」
その意味に気づいて、まふゆは小さく息をのむ。どこまで彼はお見通しなのだろう。負けっぱなしだと己に苦笑しながら、ならばめいっぱい甘えようと、その腕へ飛び込んだ。途端にもう二度と逃がさないとばかりに抱きしめられる。感じる体温に幸せを感じ、胸が熱くなった。そして唐突に理解する。
――ああ、わたしはこの人に会うためにこの世界に来たのだ。
やっと見つけた。ありふれていて、特別な、自分だけの『理由』。こんな簡単なことにようやく気づいた。瞼の奥が熱くなる。幸せだ、と叫びたいほどに想いがあふれてきた。
長い長い旅と迷子の終わり。もう、導きの星はいらない。だって、彼が隣にいてくれるから。ずっとそばにいてくれると誓ってくれた。キバナがいてくれるのなら、もう何も怖くない。迷ったとしても、彼は絶対に自分を見つけてくれる。
まふゆは満面の笑みを浮かべ、彼に応えた。
「ただいまです、キバナさん!」
END