再会と約束

地下特有のひんやりとした空気を肌に感じ、まふゆは詰めていた息を吐き出した。
緊張と期待がまぜこぜになって、胸を支配する。電光掲示板の隅に表示された現在時刻を確認し、これから乗るダブルトレインの次の発車予定に視線を移す。車内で繰り広げられるバトルによって遅延も生じるため、あくまでこの時刻は予定ではあるが、それを加味してもまだだいぶかかりそうだ。
それまでに気持ちを落ち着けないと、とまふゆは意識して深呼吸を繰り返す。

――ライモンシティ、バトルサブウェイ。それがいま彼女がいる場所であり、イッシュ地方の旅における最大の目的でもあった。
新たな気持ちでイッシュ地方を回ろうと決めたまふゆは、せっかくだからとジムバッジを集めながら旅をしていた。宛もなく旅をするよりも、ちゃんとした指針があったほうがいい――かつてカブに言われた言葉でもある。
 
旅の風景をカメラに収めながら、まふゆはゆっくりとイッシュ地方を巡っていた。生きていくことに必死になっていたあの日々は苛烈で閃光のよう。そんな印象をイッシュ地方に抱いていたのは否めない。しかし、一つの区切りを迎えた「今」のまふゆにとって、イッシュ地方もガラル地方と同じでまた優しい場所であったことをようやく理解できた。旅に出ようと思ってよかった、と何度も噛み締めたかわからないほどに、印象が塗り替えられていく。

そんな彼女の最大の目的がライモンシティのバトルサブウェイに行くこと――より厳密に言えば、サブウェイマスターのクダリに会うことだった。あの日、彼がボールを渡してくれたから今もまふゆの隣にはズルズキンがいて、そして多くの仲間に恵まれた。彼女にとって恩人の一人に違いない。たとえクダリが自分のことを忘れてしまっていたとしても、一言お礼を言いたかったのだ。
 
イッシュにいたときにはトレーナーカードを持っていなかったこともあって、バトルサブウェイは利用することができなかった。しかし、今はちゃんと自身のトレーナーカードがある。胸を張って会いに行くことができる。そのこともまふゆに自信をつけていた。でも不安なことが一つ。クダリの元へ行くまでにはバトルを勝ち続けないといけないのだ。

「ダブルバトルのやり方、キバナさんに教わっておけばよかったかな」
 
ああ、でも、そんなことになったら緊張して教わるどころの騒ぎじゃないかもしれないけれど。 
ガラルにいる片想いの相手を思い浮かべる。あれ以降、キバナへ連絡を取っておらず、向こうからも連絡は来ない。それもそうだ。返事は帰ってきてから、と言い逃げしてきたのは他ならぬまふゆ自身。ガラルへ帰るのがどのくらい先になるかはわからないが……それまであの人は覚えて、待っていてくれるだろうか? 
 
瞬間、遠い地へ想いを馳せていた彼女を現実に引き戻すかのように鋭いサイレンの音が響いた。急なそれに心臓も身体も飛び跳ねる。何事か、とざわめきが広がる前に、鉄道員たちの持つ拡声器のスイッチが入った。
その声曰く、クイタランが混乱し火を吹いているから近づかないように、とのこと。簡潔な説明は何度も繰り返されている。

「野生のクイタランなんですか? 入り込んでしまったとか?」
 
まふゆは近くにいた鉄道員へ思わず尋ねた。クイタランといった中型のポケモンが、野生としてこの地下鉄へ入り込むことは珍しいと考えたからだ。案の定、クイタランにはトレーナーがいるとのこと。

「恥ずかしい話、野生のコロモリが迷い込んでしもうてな。確保するためバタバタしとったら……」
 
コロモリが怯え、放ったあやしいひかり≠ェクイタランに当たりこの状況へ――ということらしい。

「お嬢ちゃんも避難しとき。解決するまで、しばらくここら全体は封鎖や」
 
確かに安全性が確保できるまでは一般客は立ち入り禁止になるだろう。そしてここまでの騒ぎになると、鉄道員たちは利用客の避難誘導で手一杯。加えて混乱しているとなると、自分のトレーナーの声も聞こえないだろう。つまり件のクイタランを鎮めることができるのは、今まさに電車に乗っている実力者であるサブウェイマスターたちだけだ。それまでどうしてもクイタランは放置されることになる。
タイミングを見計らったかのようにクイタランの鳴き声が響く。その声を聞いて、まふゆは噛みしめていたくちびるを開いた。

「あのっ、わたしにお手伝いさせてください」
「は、はぁ!?」
 
鉄道員が目を丸くする。彼が何かを言う前に、まふゆは先手を打った。

「わたし、ガラル地方のほのおジムリーダの――娘なんです」
 
鼓動が全身を駆け巡る。言ってしまった。自分から。
言葉に偽りは無く本心ではあったが、まふゆにとって勇気のいる発言に違いなかった。自らカブの娘であると言い切るのは、どうしてもこそばゆい。
だが同時に譲れないモノも彼女にもある。これで少しでも鉄道員が自分を信用してくれたらと考えたのだ。なぜならまふゆは『子供だから』と線引きをされた悔しさも守られることの暖かさも知っている。――だから今度は守りたい。きっと今の自分ならそれができるはず。そんな自信があった。

「ほのおタイプの扱いには慣れています。きっとクイタランを落ち着かせることができるはずです」
 
お願いします、とまふゆは鉄道員の瞳をまっすぐに見つめる。その強い目力に鉄道員は言葉を詰まらせる。そのままガシガシと頭を掻いて「お嬢ちゃんの勝ちや!」と叫んだ。

「実際、ニャースの手を借りたいほどでもあったしな……。けど、約束や。絶対に無理はアカン。悪化したとしても、なんも言わんから、気にせず戻ってき」
 
コガネ弁独特のイントネーションで何度も鉄道員は同じ言葉を繰り返す。

「ええな? 約束や」
「わかりました」
 
まふゆが頷いたのを確認すると、彼は勢いよくその背を叩く。

「よろしくな、お嬢ちゃん!」
「はいっ!」
 
一歩、大きくまふゆは踏み出した。そのまま駆け足へと変え、腰のボールからサザンドラを繰り出す。ぶるりと身体を震わせた。

「クイタランを止めたいの、協力してくれる?」
 
顔はまっすぐ前へ向けたまま、まふゆは言う。サザンドラは応じるように一鳴きして、両腕の頭を周囲へ向ける。クイタランであろう熱源と動きをそこに感じ、先導するように飛び始めた。
サザンドラに案内された先には火を吹くクイタランと、物陰に隠れる男性がいた。必死に声をかけ続けている様子から、クイタランのトレーナーなのだろう。

腰からもう一つボールを出す。キュウコンのボールだ。なめらかな金糸を光らせ、キュウコンはクイタランを一瞥すると、すぐさま状況を把握したのだろう。まふゆへ赤い瞳を向けた。
それに頷きを返し、まふゆはトレーナーへ叫ぶ。

「あのっ、あなたはクイタランのトレーナーですか?」
「あ、ああ、そうだ!」
 
その声を聞いて、まふゆは続ける。

「わたしがクイタランを怯ませます。その間にボールの中へ戻してください」
「わかった! でもどうやって……」
「大丈夫です」

サザンドラとキュウコンへ目配せをすると、すぐさま彼らは行動に移った。まずはサザンドラがクイタランの足元に攻撃を撃ち、こちらへ注意を向けさせる。クイタランの虚ろな瞳をまふゆは確認して、やはりまだ混乱しているのだと気づく。なら普通にバトルする必要は無い。

「サザンドラ下がって、キュウコンお願い」
 
入れ替わるようにキュウコンが前へ出る。隠れず現れ出た彼女をクイタランは焼き尽くすように火を吹いた。しかし、その火焔が届くことはない。相殺するようにキュウコンが焔を繰り出したからだ。息をするのも憚られるような熱波がまふゆを襲う。チリチリと頬に迫る火の粉を避けながら、二体の焔を見守った。しばらくするとクイタランの勢いが弱まっていく。次第に身体ごと後退しはじめ、しゅるしゅると火を吐き出すこともしなくなった。その様子を見て、慌ててまふゆは叫ぶ。

「いまです!」
 
トレーナーはその鋭い声に動かされ、ボールを構えた。赤と白のモンスターボールとクイタランを繋ぐ光線が放たれる。あっという間に、先ほどまで火を吹いていたモンスターはポケットサイズのボールの中へ収まっていた。混乱が解けたのか、ボールの中で暴れる様子はない。

「よかった……」
 
ほっと胸を撫で下ろすまふゆは同じく頑張ってくれたサザンドラとキュウコンの頭を撫でる。二匹は嬉しそうに喉を鳴らし、甘えてくる。彼女は感謝の言葉をかけたあと、ボールへと戻した。

「ありがとう! それにしてもよくこいつを落ち着かせることができたな。俺の言葉も聞こえていなかったのに」
 
近づいてきたトレーナーは尋ねる。サブウェイマスターが来ないことにはどうにもならない、と諦めていたところにやってきた一人の少女。しかもすぐさま解決したとなると、今後のために参考にしたいとと思うのは当然のことだった。

「ほのおポケモンは自分より強い焔を出すポケモンを見ると怯む性質があるんです」
 
キュウコンはほのおのエキスパートであるカブが託したポケモンだけあって、その焔の質、威力ともに折り紙つきだ。彼女を上回る焔を出すポケモンはそういない。

「それとクイタランは空気を取り込んで火を出すから、近くで同じぐらいの火力を出されたらいやがるんです」
「ああ、酸素が無くなるからか」
 
実際、そういった光景をガラルのワイルドエリアで見たことがあった。目的は違うポケモンだったが、写真を撮るために何泊もしたテントのすぐそばで。仮説をカブに確認すれば「よく気づいたね。その通りだ」と褒められたこともあって、よく覚えていたのだ。

「はい。この二つが合わさったならきっと隙が生まれると思いまして。……でもうまくいってよかった」
 
いくら知識があっても、実践できるかは別。張り詰めた緊張がゆっくりと解れていく。そんなときだった。「お嬢ちゃん!」と声が飛んできたのは。

「鉄道員さん」
「よかった! どこも痛いとこ、ないな? 静かになったからと思って様子を見に来てな。ああ、うまいことしてくれたんやなぁ」
 
鉄道員はズレた帽子を直し、びしりと敬礼をまふゆへ贈る。

「ほんま。おおきに」
「い、いえ、わたしはなにも」
 
固い表情の鉄道員へ慌ててまふゆは首を振る。実際、半ば自分自身のために首をつっこんだようなものだから、そんな言葉をもらうと恐縮してしまったのだ。「たいしたことはしていないと」と慌てると、遮るかのように影が差し、頭上高くから声が振ってくる。

「――そのようなことはありません」
 
見上げると灰色の瞳とかちあった。あ、とまふゆから声が出そうになる。何しろ彼はとてもそっくりだったからだ。

「失礼。わたくし、サブウェイマスターのノボリと申します。このあと、お時間をいただいてもよろしいですか?」
 
丁寧な口調で尋ねる男性――ノボリはクダリと異なり、口元を気難しそうに結んでいた。


***


事務所のドアが勢いよく開く。けたたましい音にまふゆは身体を強張らせ、ノボリは重いため息を吐いた。いつかここのドアは壊れるだろうな、と眉間のシワを揉む。

「クダリ、ドアを開けるときは丁寧に」
「あっ、ごめん! うっかりしてた。でも、急いできたから仕方ない」
 
件の事件は無線でクダリの元へも届いていた。しかしダブルトレインはバトルの真っ最中であったため、戻ってくるのに時間がかかったのだ。加えてノボリのほうが早く現着すると聞けば、多少の余裕は生まれるというもの。
 
とはいえ、サブウェイマスターの一人としてクダリは大急ぎでやってきたのだが――すでに事件は一般トレーナーの手を借りて解決済みと聞いて驚いた。しかもたった一人で事を鎮めたという。
クイタランは比較的気性の荒いことを、アイアントを手持ちとするクダリはよく知っている。そんなポケモンに一人で対処したとなれば――そのトレーナーはとても強いということに違いない。会ってみたい、と思うのは自然なことだった。
 
そして、凄腕トレーナーが調書作成のため事務所に引き止められていると聞けば、気も急く。ノボリとの約束をすっかり忘れ、ドアを開いてしまうぐらいには。
そんなクダリが部屋をぐるりと見渡すと、ノボリの向かいに座る一人のトレーナーと目があった。おや? と首を傾げる前に「あの」とそのトレーナーが何かを言いたげに口を開く。その声に記憶のピースが嵌った。彼女が何かを言う前に、クダリが問いかけた。

「ズルッグは元気?」
「っ! は、はい! 元気です!」
 
頬を染め、うわずった声を上げるまふゆといつも以上ににこやかな笑みを浮かべるクダリを交互に見たノボリは二人が顔見知りなのだと判断する。

「ならクダリ、まふゆ様の調書作成はお願いします。私はもう一人のトレーナーの方に話を聞きにいきます」
「クイタランのトレーナー?」
「ええ。お待たせしていますので」
 
すでに鉄道員たちが話を聞いているとはいえ、本来であればバトルサブウェイの責任者としてノボリが対応する必要がある。クダリとまふゆが知り合いならば、彼にこの場を任せるのがいいだろう。
二言三言交わし、ノボリはまふゆに頭を下げ事務所を出ていった。残されたクダリは片割れが座っていた同じ場所へ腰をおろす。途中まで記述が埋まった書類に目を通したのちに、まふゆへ視線を移す。

「ええと、まふゆって言うんだね。久しぶり」
「……はい。お久しぶりです」
「早速だけど、もうすこし話を聞いてもいい?」
「わかりました」
 
事務的なやり取りを続ければ、調書の空欄ははみるみるうちに埋まっていく。最後にまふゆが話したことと相違が無いか確認をし、サインをいれた。

「うん、これで完成! おつかれさま!」
 
終わりを告げるクダリの言葉を聞いて、まふゆは身を乗り出し口を開く。個人的なことを話しても許されると思ったからだ

「わたし、クダリさんにずっとお礼を言いたくて」
「お礼? ……ああ、モンスターボールのことなら別にいいのに」
 
きょとんとした顔で当たり前のように彼は言う。実際、クダリにとってはあのときの言葉が全てだった。『先輩トレーナーから後輩トレーナーへのプレゼント』。先達として後進へ手を差し伸べるのは当たり前である。
しかしまふゆは首を降る。「ボールもそうですけど……」と続けた。

「あのとき、クダリさんに声をかけていただいたから、わたしもポケモンと一緒にいていいんだ、と思えるようになれました」

そんな大げさな、と言いかけてクダリはそれを飲み込んだ。まふゆの瞳がまっすぐだったから。瞳に宿る光を見て確信する。あれから目の前の少女はいろいろことを経験し、成長したのだと。その一歩を後押しできたことは素直に喜ばしい。

「本当にありがとうございました。お礼を言うのが遅くなってすみません」
「……どういたしまして。まふゆの力になれて、ぼくは嬉しいよ」
 
まふゆのやわらかな笑みにつられ、クダリも口元だけではなく頬もゆるんだ。身の内に生まれた、なんだかむず痒い感情には気づかぬふりをして。



「えーっ! ダブルトレイン、乗っていかないの?」
「バトルサブウェイについては運行中止ですし、私としてはクダリさんにお会いできましたから充分です」
「でもまふゆとバトルしたかった!」
 
不満をあらわにするクダリへまふゆは苦笑する。
地上に出ればすっかりあたりは夕暮れのオレンジへ染まっていた。夜の足音が聞こえはじめているのなら、今日は無理せずライモンで一泊し、明日はホドモエに向かおうと決める。
それを聞いたクダリは納得がいかなかった。一泊するならバトルサブウェイに乗ればいい。バトルをしたい。と繰り返す。

「ぼくに会うなら本当は乗らないといけないのに」
「そう考えれば、わたし、ラッキーでしたね」
「まふゆ……」
「冗談です」
 
何度も笑みをこぼす彼女を見て、クダリはなんとなく安堵感を覚える。かつて彼女から感じた不安定な雰囲気が無くなったからかもしれない。当時、たったいくつかしか言葉を交わしていなかったのに、その空気はひどく彼の印象に残っていた。だから余計にまふゆのことを覚えていたのだ。

「いまはガラルにいるんだっけ」
「はい」
「このままイッシュに残ればいいのに」
 
クダリは自身でも止める間も無く、すとんと滑るようにそれを言っていた。
よくノボリに「ひと呼吸おいてから話すように」と言われていたが、今がまさにそれだった。クダリは表情も変えずに、自分の心のままを告げていく。

「旅して回って、そのままずっといればいいよ。イッシュに。そうしたらいつでも会える」
 
まふゆは言っていた。クダリに会うことも、この旅の目的の一つだと。なら、このままイッシュにいればいい。彼女のことをクダリはもっと知りたくなったのだ。僅かな時間に垣間見た、瞳に宿る深い光へ触れてみたい。控えめではなく満面の笑みを見たい。クダリは心からそう思った。ガラルに戻ったらもう簡単にまふゆとは会えなくなる。そんな予感もあってか、彼女を引き留める言葉が続く。
しかしそれは小さな声で否定された。

「わたしはガラルに帰ります」
「…………」
「そう言ってくださって、すごく嬉しいです。でもわたしの帰る場所はガラル地方だから」
「……そっか。困らせるようなこと言っちゃったね、ボク」
 
まふゆは首を横へ振る。言葉自体は嬉しかった、と何度も彼へ伝えた。

「今度はちゃんとダブルトレインに乗りに来ます。ガラルにもすごくダブルバトルが強い人がいて。きっと話をすれば、乗りたがります」
「それは楽しみ! ご乗車、お待ちしています!」
 
クダリは笑みを作り、努めて明るい声を出す。迫るまふゆとの別れがなんだかひどく寂しくて、悲しかった。
だからこそ、満面の笑みで旅の祈りを口にする。

「ベストウイッシュ! よい旅を!」

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