「本当にいいの?」
不安げに揺れる瞳でユウリは本日何度目かわからない同じ問いを繰り返す。それはひとえに友を案じているからに他ならない。彼女だけではない。遠巻きに見つめる大人たちも同様に様子を窺っている。
まふゆは強く頷いた。大丈夫、と返した友人の表情も顔色も悪くはない。それを確認したユウリは指を惑わせながらも、腰につけたボールを宙へ放る。
一呼吸の間を置いて繰り出されたのは、エネルギーコアを心臓に抱いた骨で形を作られた竜。静かに揺蕩うそのポケモンの空白を置いた瞳はまっすぐにまふゆを見つめている。その視線を受け、まふゆは詰めていた呼吸を吐いて、微笑んだ。
「……はじめまして、ムゲンダイナ」
応えるように地響きのような鳴き声が木霊する。
***
まふゆからその相談を受けたとき、ユウリは珍しく難しい顔をして閉口した。夜のワイルドエリアでのキャンプ。二人で囲っている焚き火の音だけがぱちぱちと鳴っている。彼女の複雑そうな表情を見て「困らせちゃったね」とまふゆは眉を下げた。ハッと顔をあげ、慌ててユウリは首を振る。
「困らせたとかじゃなくて! ……ただ、あたしはまふゆが心配で」
「うん、ありがとう」
「だってほら、まふゆとムゲンダイナは……」
ユウリの脳裏に浮かぶのはブラックナイトが引き起こされたあの日のこと。忘れることなんかできやしない。ローズと対峙した時に言われた言葉を思い出す。
まふゆとムゲンダイナには浅からぬ縁がある。それは当人たちにはどうしようもできない。加えて、その『繋がり』はまだ解明されていないことが多い。だから率直に言えば、不安なのだ。彼女にとって友人であるまふゆも、手持ちとなったムゲンダイナもユウリにとって大切。どちらにも悪いことは起きてほしくない。
「どうしてもムゲンダイナに会わなくちゃだめなの?」
夕食を終え、テントも建ててあとはもう寝るだけというゆるやかな歓談の時間。意を決したように切り出された友からの願いに、ユウリは素直に頷くことはできなかった。まふゆがガラルヘ戻ってきてから、今まで言い出さなかったことであったから余計に。もしかして、と身構えていたけれど、その気配は全くなくて。少し油断していたときに言われたから、身構えてしまう。まふゆがなぜ、いま言い出したのか。ちゃんと理由が知りたい。
複雑そうにくちびるを結ぶユウリとは異なり、まふゆは穏やかな表情だった。自身に擦り寄るキュウコンを撫でながら、ぽつりと呟く。
「……この前、ローズさんの家族が会いに来てくれてね」
「もしかしてピオニーさん?」
「知っているの?」
ちょっといろいろあってね、とユウリは頬をかく。起きた出来事を掻い摘まんで話すと「ユウリらしいね」とまふゆは笑った。
「謝りに来てくれたの。ローズさんがしたこと」
ピオニーは件の事件を知っても、素知らぬ顔をできたはず。しかし、まふゆへわざわざ謝罪をしに来てくれた。「なにも知らなかった」からと目を背けることなく向き合うその姿は、まふゆにも影響をもたらした。
目を背けていたことを否定しない。逃げている自覚はあった。だからこそ「ちゃんと向き合わないと」といけない。日に日に強く感じるようになった。あのポケモンと自分には『繋がり』があるからこそ、ちゃんと区切りをつけないといけない。
「ムゲンダイナにちゃんと会いたいなって」
まふゆがこの世界に来ることとなった一因。ただのポケモンとは割り切れない存在。ガラルの民が抱いたものとは違う種類の不安と恐怖をムゲンダイナへ彼女は持っている。
だからこそ向き合わないといけない。もう自分はこの世界で生きていくと決めたのだから。
「なにか起きたらっていうユウリの気持ちはわかる。だからその時には、ちゃんとソニア博士やダンデさんの許可はいただくつもり。――でもね、大丈夫だと思うからお願いしているの」
「どうして?」
「だってムゲンダイナはもうユウリのポケモンだから」
ユウリのポケモンなら、わたしに変なことはしてこないでしょう?
――それを言われたらユウリの負けだった。
ブラックナイトを止めた英雄の片割れは大きく息を吐きだし「反則だよぉ」と声を漏らす。まふゆは友人の脱離した姿を見て「大人はたまにずるいのです」と、ちょうど沸いたお湯で二人分のロズレイティーを淹れた。
続いてまふゆはソニアとダンデ、カブへと話を通すよう動き始めていく。
皆一様に難色を示したが、おや≠ニなっているユウリもさることながら、ドラゴンタイプの専門であるキバナが「オレさまがなんとかする」と援護したおかげで許可された。特にダンデへの説得はキバナが大きく貢献してくれた。予め彼に相談していたことが功を奏したようだ。キバナ曰く「よっぽどのことじゃなければオレさまは、いつだってまふゆを応援するぜ」と励ますように抱きしめられたのは記憶に新しい。
とはいえ、全てが全て無条件というわけにはいかなかった。なにか起きた場合を考え、ダンデおよびソニア、保護者たるカブの同席が必須。またマスタードの協力を得て、ガラル本土ではなくヨロイ島にある道場裏のバトルコートが立ち会いの場所として選ばれた。実力者が揃えば万が一≠ノも対処できると踏んで。
そして青空が眩しく晴れた、とある日。まふゆはムゲンダイナと邂逅した。
本物のムゲンダイナを目にした瞬間、ほんの少しの恐怖と圧倒的な懐かしさがまふゆの胸にわきあがった。どくりと大きく心臓が鳴ったのは一回だけ。当時、自身の身を襲っていた不調の類いはなにも感じない。
「ムゲンダイナ、わたしのことがわかっ――」
まふゆが一歩黒き竜に近づく。同時にムゲンダイナも彼女へ首をもたげた。急激な接近に誰かの息を呑む音が響く。
「……さわってもいい?」
低く優しい鳴き声は肯定を示す。まふゆの指先がムゲンダイナへと触れた。
――何も起きなかった。ムゲンダイナが姿を変えることも、エネルギーの渦が生まれることも。そこには一人の人間とポケモンがいるだけ。当たり前のようで、奇跡的な光景。
「遅くなってごめんなさい。――わたし、あなたにも会えてよかった」
ムゲンダイナは巨体を揺らす。まるで彼女の言葉に同意するように。ユウリがまふゆへ近づき、そっと彼女へ耳打ちする。
「ねえ、ムゲンダイナ、まふゆのことが好きみたい」
え、と声をあげる前に、ムゲンダイナはまふゆの気を引くように、彼女の手のひらに鼻先を擦り寄らせた。
「大丈夫そうですね」
遠巻きに見ていたキバナの一言にカブは頷いた。彼のほっと緩んだ表情を見てマスタードが「カブちんもパパになったんだねぇ」と茶化す。
「まふゆちゃんの身体に影響が無いのはよいことだけど、つまりもうムゲンダイナとの繋がりは消えたってことかな?」
「確かにそういった意味≠ナの繋がりは消えたんだと思うぜ」
ソニアの呟きはダンデが返した。真紅のオーナー服が吹いた風に靡く。
「彼女たちは新たな絆を紡いだんだろうさ。オレたちと同じで、そして全く新しい絆をムゲンダイナと」
「……うん、そうだね」
ソニアは目を細めてムゲンダイナとまふゆを見つめる。ムゲンダイナのことはまだ研究が足りない。ダイマックスという現象も。他地方の博士とディスカッションを重ねてはいるが、まだ決定的な発見はされていない。しかし眼前に広がる光景は、なぜか希望に満ちているような気がして。勇気が与えられたような気がした。
同じ感情をキバナも抱いていた。まふゆから相談を受けたときから彼女の味方をしていたが、実際どう転ぶかはわからない。おくびもそれは表に出さなかったが、いざというときはドラゴンジムリーダーとして自分が、と考えていたこともあるほど。腰のボールから指を離し、強ばらせていた身体の力を緩めた。その様子に気づいたカブが彼へ声をかける。
「キバナくん、ありがとうね」
「オレさまはなにも」
「今も前も、まふゆのことを気にかけてくれているじゃないか」
いろいろとね、の声の含みにキバナは喉から変な声が出そうになった。まふゆとの交際はとっくの昔にバレているは薄々気づいていたが、改めて突きつけられると冷や汗が流れる。しかし、ここで引いてはダメだということもキバナはわかっていた。ポケモンバトルとは異なった緊張が背筋を駆ける。
「……改めて挨拶する前に言っておきます」
「うん」
「まふゆとこれからも一緒にいたいです。笑顔もずっと見ていたい」
「そうだね」
「なので――まふゆの隣に一生いさせてください。その権利がオレは欲しい」
きゃあっ! とソニアが思わず声をあげる。その言葉の意味に興奮し、耐えきれなくなったのかダンデの背をバシバシと叩く。一方、そのダンデは痛くも痒くもないが幼馴染が急に自身を叩いてきたことに驚いた。自身のライバルが発言した内容に関係していることはわかったが彼の言っていることにピンときていなかったため、一人で首を傾げている。とりあえず服に皺ができるからやめてほしい。マスタードは笑みを隠すことなく、カブの様子を窺っていた。
「それはまふゆが決めることで、ボクに決める権利は何も無いよ」
「や、それはそうなんですけど、ホウエンの文化的に……」
「文化的にって」
あれ、オレさましくった? とキバナの口内が異様に渇き始める。ソニアが「キバナさん頑張れっ!」と応援の視線を向けていることも、ダンデが「なんでキバナは顔色が悪いんだ?」とさらに首を傾げていることも相まって、流れる冷や汗の量が増えていく。
「まあでも」
「でも!?」
「まふゆはキバナくんがいいと言ってくるだろうからね」
「……ええとつまり」
つまりそれは、そういうことでいいのだろうか。
カブはキバナを見上げ、言う。
「まふゆのこと、たくさん幸せにしてあげてほしい。この世界を選んでよかったと、ずっと思えるように」
父親の一言はキバナに強くのしかかった。ぐっと奥歯を噛み締めて、彼はまっすぐにカブを見つめ、誓う。
「もちろんです。ドラゴンストームの名にかけて」
決意に満ちた声を聞いて娘を想うカブは「それなら安心だ」と眉を下げ、微笑んだ。