※ネタバレは無いと思いますが、気になる方はご注意ください。
※レジェウス主人公としてショウが登場します。(名前だけ)
これの続き

頭上には青空が広がっている。雲はゆっくり流れ、けれど太陽を隠すことはない。ほどよい日差しの暖かさを感じつつも、口からもれるのは大きなため息。のどかな時間には似つかわしくないことはわかっている。わかっていても、抑えきれないのだけれど。

「だれかー、きづいてー!」

何度目かわからない呼びかけをするも、反応する人はおろかポケモンもいない。それもそのはず。ここは長屋の裏。よっぽどのことが無い限り、誰も通る人はいない。仮に通ったとしても、洗濯物の影に隠れた私を見つけてくれるかは難しいところ。

どうしてこうなったのだろうか……と思い返す。
今日は本当にいい天気で絶好の洗濯日和。けれどここには現代のように洗濯機もなければ、乾燥機もない。しかも真水は貴重だから、こまめに洗濯というわけにもいかない。つまり、こういう日にたまった洗濯物を一気に洗うしかなくなる。そんな事情があるから、考えることはみんな同じで今日のコトブキムラはどこも洗濯物がひらめいていた。

もちろん我が家もその一つ。
朝、調査に向かうショウを見送ってから、私はずっと洗濯板と格闘していた。初めてすることも数をこなせば慣れるもの。ようやくコツを掴んだおかげか、いつもよりも早く洗濯を終えることができた。家の裏で風に揺れる衣服は壮観で、達成感が満ちていく。
休憩したら次は家の掃除かな、と固まった背を伸ばして計画を立てていると、バリヤードがこちらを見ていることに気づいた。あの子は表門に住み着くバリヤードだ。ほとんどあそこを動くことはないが、たまにムラの中を歩いている姿を見かけるから、今日もお散歩をしているのかもしれない。

「どうしたの? なにかあったの?」

話しかけられたバリヤードはパントマイムの動きをしながら、私に近づいてくる。そのコミカルな動きに思わず笑みがこぼれた。今までじっくりバリヤードを観察したことはなかったけれど、こう改めて見るとかわいいかも。

見えないソファに座ったり、何もないところに階段を作って登ったり降りたりするのも、なかなか面白い。さすがポケモンサーカスの花形。昔、家族に連れられショウと行ったサーカスのことを思い出す。ブースターとサンダースの空中ブランコとか、ウィンディの火の輪くぐりとか見たっけ。懐かしいなぁ。

昔を思い出しながら楽しく眺めていると、そのことに気をよくしたバリヤードは、次第に私をパントマイムに参加させはじめた。ジェスチャークイズから始まったそれは、見えないドアの開け方や先ほど作ったソファに座らせてもらったり。正直に白状すると私は結構、いや、かなり夢中になっていた。バリヤードの作り出す見えないナニカ≠使って遊ぶのは本当に楽しくて――

「……あれ?」

はたと気づけば私は空中に浮いていた。厳密に言えば、バリヤードが作り出した透明な箱の上に乗っているのだけれど。私の身長の倍はあるため、地面との距離はなかなかに遠い。透明な足元は地面がよく見える。つまりダイレクトに高さを実感してしまうわけで。さすがに恐怖を感じた私は「そろそろ降りようか」とバリヤードへ声をかけた。
隣にいるバリヤードはにこにこといつものように笑い、頷く。そしてスタスタと、見えない階段を使って地面へと降りてしまった。

その階段が真っ直ぐに地面へと続くものなら、私もすぐにその後を追っただろう。けれどバリヤードの職人魂はそんなシンプルな階段は許さなかったらしい。螺旋階段のような、というかそれよりも複雑で、上や下、右や左に行ったり来たりする変な階段を作っていた。それを迷うことなく、バリヤードはサクサクと降りていく。

もちろんそんな複雑な階段を降りることは私にできない。迂闊に踏み出せば、地面へ真っ逆さまだ。ただでさえ目視できないというのに。
慌てて「ま、待って!」と引き止めるように叫ぶが、この悲鳴をバリヤードは私が喜んでいると勘違いしたらしい。バリヤードは地面へ華麗に着地すると、こちらを振り返り、うやうやしく頭を下げた。普段なら拍手喝采だが、今はそれどころじゃない。しかも呆然とする私を置いて、どこかへ行ってしまったのだ。おそらく住処である正門へ帰ってしまったのだろう。

つまり、残されたのは身長以上にある高さから降りられない私だけ。
それからずっと私は、誰かに気づいてもらえるよう呼びかけているのだ。しかし、誰も気づいてくれない。そりゃそうだ。こんな家の裏側を通りかかるなんて、ショウ以外いない。そんな妹は帰るとしても夜。もしかしたら、そのままベースキャンプで野営かも。

……というか、バリヤードが作ったこの箱、消えたりするのかな。急に消えたら、私は覚悟もできないまま、落ちたりする? 咄嗟に受け身を取れる自信なんてない。怪我ももちろん困るけれど、そのまま死んじゃったら? 妹を一人残して? ……そんなの絶対ダメ! 
次々とわきあがる恐怖に全身が震える。指先が冷たくなっていく感覚が襲ってきた。
なんだか心なしか、この箱も揺れているような。本当に消えてしまったらどうしよう。

「だ、誰かー! 助けてー!」

先ほどよりも大きな声で叫ぶが、ちょうど吹いた風でかき消されてしまう。こうなったら怪我覚悟で飛び降りるしかない。身構える間もなく落ちるよりは、自分のタイミングで降りたほうがまだマシだ。気合いをぐっと入れて、距離を測るために身を乗り出す。そんな時。

「チクマ?」

ふいに背後から名を呼ばれた。
振り向けば、そこにいたのはセキさんだった。あの日、告白されて以来に顔を合わせる。ほんのりと気まずい気持ちが胸に迫った。だって私は彼の気持ちに応えていないから。
しかし私と違ってセキさんはいたっていつも通りで。ただ素直に、この状況に驚いているようだ。目を丸くして私を見ている。それもそのはず。彼にとって私は空中に浮いているように見えているのだろう。

「え、えっと、バリヤードが、その……」
「応、わかった」

さすがセキさん。すぐに状況を把握してくれたようで「降りるモンはついてないのか?」と尋ねてくる。ついていることはついているが、それが複雑でそう簡単に降りられないと伝えれば、彼は額に手をあてると、眉根を寄せ、目を細めた。

「表門のところにいるバリヤードの仕業だよな?」
「はい。呼んできてもらえますか? そうすればなんとかなると思うので……」
「そりゃ無理だ」
「え」
「オレが来たときに、バリヤードがいなかったんだよ。まだムラ内を散歩しているか、はたまた浜辺のほうまで行っちまっている可能性もある」

つまりそれは、探すのに時間がかかるということで。
途端にぐらりと身体が揺れる。ショックを受けたからではなく、箱自体が揺れたのだ。思わず悲鳴をあげれば、セキさんも箱が保たないと瞬時に理解したようで鋭い舌打ちの音が響いた。

「チクマ。もう時間が無い。わかるな?」

真剣な声につられるように頷くと、セキさんは私に向かって大きく腕を広げた。ヒスイの薄い色の空と異なって、濃い群青の衣が翻る光景に一瞬目を奪われる。

「飛び降りろ。オレが受け止める」
「……え!?」

見惚れていたせいで聞き間違えた? 今、セキさんはなんて言った?

「オレに向かって飛べ」

聞き間違いじゃなかった!
無理なこと言わないでほしい。そんなことをしたらセキさんが怪我をしてしまう。コンゴウ団のリーダーである彼が怪我をさせてはいけない。しかも私のせいで。
無理です! ダメです! と首を振る。しかしセキさんは依然として腕を広げたままだ。

「必ず受け止める」
「そうじゃなくて! セキさんが怪我をするかも……」
「あのなぁ。その高さ以上から飛び降りるチビたちを何人も受け止めてきたんだぜ、オレは。チクマぐらい、ワケねぇんだよ」
「小さい子と一緒にしないでください!」

というかコンゴウ団の子なら、受け身だってちゃんと取れるはず。私よりずっと飛び降り慣れているだろうから、一緒にされると本当に困ってしまう。私はようやく洗濯板が扱えるようになった現代っ子なのだから。最後にした木登りなんて記憶の彼方。それだって、降りるときに誰かに受け止めてもらった覚えはない。

飛び降りろ。無理です。大丈夫だ。大丈夫じゃありません。
私たちの押し問答は続き、終わりは見えない。痺れを切らしたのはもちろんセキさんで。彼はぐっと息を吸うと、今日一番の大きな声で叫んだ。

「オレは惚れた女に怪我なんざしてほしくねぇ!」

途端にカッと頬が熱くなる。あの日、告げられた想いを思い出した。真っ直ぐな言葉は私にしか向けられていない。声を詰まらせていると、セキさんは重ねて咆える。

「あんたを受け止めた程度で怪我するほど、オレはヤワでもない! なにより好きな女を助けられねぇ、情けない男にはなりたくもねぇ!」

一歩、セキさんは私と距離を詰める。地面を踏みしめる音が、やけに響いた気がした。

「来い、チクマ」

それは先ほどとは打って変わって、静かな声だった。しかも私の耳は、その声しか拾っていないようで、じわりと心に沁みていく。――もうだめだ。私はこの人に敵わない。
覚悟を決めよう。この人に受け止めてもらう、覚悟を。

「……っ、セキさん!」
「応っ!」

足に力を入れ、ぐっと飛び降りる。セキさんの広げた腕に向かって、私は落ちていく。せめて目は瞑らないように意識して瞼に力をいれる。
衝撃はあったけれど、痛みはない。気づけば私は彼に抱き留められていた。あっという間だったけれど、あっという間じゃなかった。飛び込んだ瞬間はスローモーションで、近づくセキさんの表情はしっかりと目に焼き付いている。

「怪我はないか?」

優しい声が降ってくる。私の無事を確かめるように、ぎゅうと抱きしめられた。ふわりと草の匂いがした。ハーブのような、でもどこか男の人も感じられる――セキさんの香り。
心臓はとっくの昔から鳴り響いていて、うるさい。ようやく絞り出した声は震えていた。

「だ、いじょうぶです。セキさんは?」
「そうか。よかった。オレも平気だ」

答えを聞いて、ほっとした。安堵と、今更ながらやってきた恐怖で身体から力が抜けそうになる。セキさんはそれさえも見抜いていて、私を支えてくれた。

「言っただろ? そうヤワじゃねぇってな」
「はい。助けていただいてありがとうございます」
「オレはなにもしちゃいない。チクマが頑張ったんだ」

よくやった、と優しく頭を撫でられて、視界が滲みはじめる。セキさんはそっと胸へ私の顔を押しつけ「オレは見てねぇからな」と笑った。
その笑い声につられて私も笑いかけて、ふと気づく。彼の心音が異様に早いことに。私と同じくらいか、それ以上に。
え、と彼を見上げれば、絡み合う視線。浮かべていた笑みを崩し、今度はバツの悪そうな表情を浮かべるセキさんはそっぽを向いて、ぽつりと呟いた。

「――不可抗力とはいえ、好いた相手を抱きしめてんだ。心臓ぐらい、うるさくなる」

未だに、彼の腕は私を離さない。
盗み見る横顔はいままで見たことのないもの。だから私が、それがセキさんの照れた表情であることに気づいてしまったのも、きっと不可抗力に違いない。



とびこめ!
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