※チャンピオン戦後
※
これの続き
「チクマ!」
名を呼ばれ、振り向く前に深呼吸。声の持ち主がすぐに思いつくから余計に。ついでに指で頬をマッサージ。ちゃんとした笑顔を作らないと。
完璧だ、と自分自身に太鼓判を押してから振り返る。
「なんでしょうか、オーナー」
「ダンデでいいと何度も言っているのに」
「業務中なので」
彼の言葉にチクマはにっこりと微笑んだ。見事なお仕事スマイルである。しかし、それはダンデのお気に召さなかったらしく、渋い顔をされてしまった。君は強情だ、と不満な気持ちを隠さないでいる。それを見て見ぬフリをするのにもチクマは慣れてしまった。
チクマは結局、アローラからガラルへ出向となった。
なにせ目の前の彼が用意した書類は非の打ち所がなく、拒否する理由が見つからない。加えて、彼女が所属しているホウエンリーグも「アローラのバトルツリーも軌道に乗ったからちょうどいい」なんて言うものだから、チクマは渋々と荷造りをするしかなかった。
バトルトレーナーの中でもリーグ所属は安定していることで人気だが、こういうときに逆らえないのは考えものである。
とはいえ、彼女自身もイチから作り上げるバトルタワーにやりがいを感じていないわけでもなかった。もともと、そういう技量を買われていることも自覚している。手探りながらも徐々に形になっていくバトル施設に携われるのは、なんだかんだ楽しい。もっとこうしよう、ああしよう。そんなアイデアは尽きず、充実している毎日である。
ダンデに対しても当初こそ無理矢理連れてこられた恨みがあったが(それほどまでにチクマはアローラ地方がかなり気に入っていたのだ)、いまはそんな感情は欠片も無い。彼は彼なりに真面目にタワーをよくしようと努力している。そんな姿を何度も目にし、態度を改めるようになった。
そもそもバトルタワーは通常のバトルとは異なる点がいくつもある。ジム戦のようなバトルや野良バトルにも当てはまらない特殊な条件、そして施設≠ニいう場所にふさわしい戦略が求められる。
それを貪欲に吸収し、自分のものにしていくダンデにチクマは好感さえ持つようになった。彼女もまたポケモンバトルに魅入られた人間である。それを通して得たものに全幅の信頼を置いていた。
慣れない施設運営と毎日のバトル。時にはトーナメント戦に参加する。そんな多忙な日々を過ごしていても、弱音も吐かずに全てをこなす。そんな彼に絆されないわけがなかったのだ。ついには自分にできることは可能な限りサポートしようと決めるほど。
今回もまたこうしてわざわざチクマを呼び止めたということは、何かしら彼女の意見や知識を求めているのだろう。ならばそれらしい振る舞いを、とチクマは姿勢を正し、彼に尋ねた。
「それで? なにかありましたか?」
「ああ。今日、タワートレーナー採用のバトル試験があるだろ?」
「そうですね。私が試験担当です。――なにか問題でも起きました?」
「いや、そういうわけじゃないん。ただ、オレも同席させてもらいたいんだ。君のバトルは可能な限り見ておきたい」
まだ学ぶところが多いから、とダンデは肩をすくめた。
「そんなことないと思いますけど。通常のバトルとはちゃんと切り替えて戦えてますよ?」
「そう言ってもらえるとありがたいが……やはりまだ満足できていないんだ」
その常に高みを目指す姿勢には頭が下がる。一度極めたからこそ、自分の未熟な部分が気になって仕方ないのだろう。そして許せないでいる。そういうところが彼の長所でありチクマが気に入っているところでもあった。
バトルタワーで最も強いのは彼だが、最も上手く試合を運ぶのはチクマである。それを理解しているダンデは彼女のバトルビデオを繰り返し確認し、質問を重ね、解説を求め、生で観戦をしたがっていた。
今もそう。時間を作ることができたからバトルを見たいと言っている。そしてそれを二つ返事で了承する自分は重度に絆されているのだろう。そんな事実を認めながら、チクマは「わかりました」と頷いた。
***
相手の最後のポケモンが倒れる。反対に自身のポケモンはまだ体力を残していた。つまり、チクマの勝利。
己のポケモンを戻す少年は自分の腕に自信があったのか、悔しそうに顔を歪め、俯いた。同じようにチクマもポケモンを戻し、試験のバトルであることも忘れ、自己反省をしている彼に先達のトレーナーとして声をかける。
「持ち物」
「え?」
「持ち物を見直すともっとバトル展開をコントロールできるよ。あなたの技の選び方的には耐久系の持ち物のほうが向いているかな」
ヒントはここまで。あとは自分で考えてみて? とひそめて伝えた。一応、この場にはふさわしくないとわかっているからだ。
アドバイスをもらった少年は思い当たることがあったのか、勢いよく顔をあげた。先ほどまでに落ち込んでいたというのに、切り替えが早い。うん、彼はいいトレーナーだ。
試験は合格かな、とチクマは心の中でマルをつける。
「以上で試験は終了です。結果は後日ご連絡いたします。何か質問はありますか?」
「あ、あの……」
少年は何かを言いたげに視線を彷徨わせ、ぐっと声を絞り出しチクマに向かって叫んだ。
「ぼく、チクマさんのファンです!」
「へっ!?」
ガタガタと後方から何かが倒れる音が聞こえるが、今のチクマに振り向く余裕は無い。目の前の少年が堰を切ったように、自分がいかに彼女のファンであるかを語りはじめたからだ。
「カロスでチクマさんのバトルを見て、すごいなって感動して! それからずっとバトルビデオ見てるんです! いつかチクマさんとバトルできたら嬉しいって目標にしていて……! そうしたらガラルに来てくれるなんて夢にも思わなかったです!」
あの時の試合はここがすごくて、この試合の展開は……と次々と出てくる賛辞の言葉。次第にチクマは背筋がこそばゆくなってくる。なんだかんだいって褒められて悪い気はしない。自分がすっかり忘れているような試合についても、目を輝かせて話してくれているから余計に。
自然と彼女の頬は緩み、ふにゃりとした笑みが浮かんだ。
「えへへ。そこまで好きでいてくれる人がいるなんて思わなかったなぁ。ありがとう! すごく嬉しい!」
「不採用でもまたバトルしに来ていいですか? 今度は本気のチクマさんとバトルしたいんです!」
「もちろん! なんならこの後野良バトルでも……」
誘いを遮るように咳払いが響く。瞬間、顔が強ばる。つい声が出そうになった。彼のことをすっかり忘れていたとは口が裂けても言えない。
「すまない。そろそろいいかな? 彼女はもう少しやることが残っているんだ」
「あっ、すみません。ぼくばかりが盛り上がってしまって」
今日はありがとうございました、と丁寧に頭を下げ、少年は帰っていく。
それをにこやかに見送っているダンデの横でチクマは冷や汗が止まらないでいた。やってしまったと身を縮こませる。
そんな彼女を見て「別に小言を言うつもりはないぜ」とダンデは言った。笑顔のままが逆に怖い。
「業務中にプライベートなことで盛り上がってしまったのは事実なので」
お叱りは甘んじて受けます、と伝えれば「本当にそのつもりはないから」とダンデは首を振る。
「代わりにオレもプライベートなことを言っていいか?」
代わりに≠ニいうのがよくわからないが、続きを促す。今のチクマにダンデを止める権利は無い。
「――オレに見せてくれないのはなぜなんだ?」
「は?」
「力の抜けたような笑みをあの少年には見せていたぜ。まるで、君の素のような。オレには見せてくれないのか?」
「えっと……?」
「オレにだって見せてくれてもいいじゃないか。彼にだけだなんて、ずるい」
チクマは必死に脳を動かし、ダンデの言葉を咀嚼する。
だめだ、飲みこめない。しかし、とてつもなく恥ずかしいことを言われていることだけはわかる。
それはダンデも自覚しているようで言い終わるやいなや、みるみるうちに顔が赤くなっていった。なんでそんなことを漏らしてしまったのか、自分でもわからないようで混乱している。
「すまない。忘れてくれ……」
最終的に大きな手のひらで顔を隠しはじめる。しかし、声に現れる照れの色まではカバーしきれていない。そもそも耳まで赤くなっているのに気づいていないのだろうか。
加えて、「でも見たいと思ったのは本当だぜ」とうめいている。忘れさせる気がないぞ、この男。
現にチクマもつられて顔に赤みが生まれている。熱だって籠もり始めてきた。ぱたぱたと手で仰いで、熱を逃がすがあまり効果は無いようで疲れるだけだ。
「――ダンデさん」
彼の名をリクエスト通り≠ノ呼ぶと、恐る恐るといったように指の隙間からチクマを覗いてくる。その金の瞳はまだ恥ずかしげに揺れていた。
「その………とりあえず今日、ご飯でも一緒にどうですか? ゆ、友人の一歩として!」
「そ、そうだな! 友人の一歩として!」
ここに第三者がいれば「ティーンエイジャーではあるまいし、そりゃない」とため息をついていたところだろう。しかし、あいにくとその場にはダンデとチクマしかおらず、しかも2人ともここまでバトルしかしてこなかったため、このテの話題にはとんと疎かった。
つまるところ、彼らは年齢の割に恋愛初心者なのである。
このあと、なんとなく甘酸っぱい空気が漂う食事会が催されることになるのだが――それを目先のことで精一杯な恋愛初心者に予想しろというのは酷な話である。