邂逅・後



フスベ一族はドラゴン使いの祖たる一族である。かつてよりドラゴンポケモンと共に歩み、時に従えてきた。しかしドラゴンポケモンはフスベ以外の場所でも生息をしている。扱いにくい彼らから人とポケモンを守るために、そしてその血を絶やさぬよう、フスベの先祖たちは各地に散り、そこで生活を営むことを決めたという。
月日とその共に形は変わり、一族らも土地に根付いたものとなったが、真たる核は変わらない。
フスベを祖としたドラゴン一族はこのパルデアにも在るのだ——

「その一枝が小生らの一族です」
「だからワタルさんもハッサク先生のことを知っていたんですね」

『アカデミーならマシ』『打つ手がある』『パルデアでよかった』
それらの言葉がアイルの中でみるみると繋がっていく。ワタルの言葉はまさにハッサクのことを指していたに違いないかった。

「校長から講師が決まったと聞いた矢先にワタルから連絡が来ましてね。『恋人がそちらにお世話になるからよろしく頼む』と。滅多に連絡をよこさないワタルがそんなものを送ってきたものですから、小生、驚きのあまり椅子から転げ落ちてしまいましたよ」

ハッサクは自身の端末が鳴ったときのことを思い返す。
授業を終えた放課後、たまたま職員室に一人きりなところを見計らったかのようなタイミング。すわリーグからの連絡か、と飛び出したスマホロトムに視線を移す。その画面に映っていた名前に瞬きを数回。理解し瞬間、驚きのあまりハッサクは椅子から転げ落ちた。本当に一人きりでよかった。

ワタルと連絡先を交換したのは何年も前。その間、やりとりなんて数えるほど。そんな男からの連絡にさすがのハッサクも平常心ではいられなかった。
何事か。まさか一族の関係で何か起きたのか? と慌てて通話ボタンを押せば、聞こえてきたのはいたって普通の声音。それどころか「そんな焦った声を出すなんてあなたらしくないですね」なんて宣う始末。ハッサクは思わず「ワタルのせいですよ!」と毒づいてしまったのも記憶に新しい。

「しかし許しました。あなたのことを話すワタルが今までに聞いたことのないほどにやわらかな声をだすものでしたから」
「それは……」
「すぐにわかりましたですよ。彼にとっての『大切な人』が増えたことが。それもとびきりの」

——恋人が、どうやらそちらでお世話になるようで。そのご挨拶を。
会話の中で告げられた言葉にハッサクは己の耳を疑った。思わず聞き返してしまったほどだった。
ワタルに恋人ができた。あの、一人で生きていかれるような男が、自他共にそれを認めていた男がともに歩む誰か≠選ぶなんて。

ハッサクにとってワタルは自身と同じ立場であり、それ以上に思い使命を背負わされている存在だった。そして家を飛び出した自分とは違い、どんなにワタルが血筋から逃げたくとも、それが不可能であることもよく知っていた。

だからハッサクはワタルが生まれたころから心を砕き、先達としてその成長を見守っていた。いざとなったときの後ろ盾となり、彼を守れる存在であるために。しかしワタルは周囲の期待に応え、プレッシャーを意図も簡単に受け止め、後進を導くセキエイチャンピオンとして玉座に座っている。ドラゴン使いで彼を知らぬ者はいないほどに。
ハッサクへ「自分の意志は揺らがない。一族を継ぐのはおれだ」と言い切るほどに強い「大人」に、彼は成長していた。

そんな良くも悪くも一人で生きていかれるような存在≠ノなったワタルが、誰かに恋をして、共に生きる相手を選んでいたなんて。ハッサクにとっては青天の霹靂そのもの。
だが同時に。胸広がる嬉しさもあった。ぬくもりが身体に満ちるような心地良く、やわらかな歓喜が。
一人でも生きていてもいい。それもまた人生だろう。伴侶の有無でワタルの信念はゆらがない。

しかし、そんな男が愛おしい存在を見つけ、共にあろうとすることを選んだこと。それがハッサクは嬉しかった。電話口でほろりと涙をこぼすぐらいに。

「よほどあなたのことが愛おしいんでしょう。声音から痛いほど伝わってきましたですよ」

トレーナーとしての実力は申し分ない。ポケモン博士としても優秀。ただ少々、トラブルメーカーな気質があるから。できれば滞在中は気にかけてほしい。
話を聞き、アイルを託されたとハッサクは感じた。ワタルがそばにいられない間、なにかあったときには頼むと。自分の大切な存在を守ってほしい、と。

「ワタルさんったら心配性なんだから……」

不満げな言葉を口にしつつもアイルは穏やかだった。そこにワタルからの愛情を感じたからに他ならない。トラブルメーカーは余計だけど、と文句を言いながらも表情から読み取れる。
あたたかに色づく頬にハッサクは目を細めた。胸を満たす感情に震えながらも、彼の金の瞳がまっすぐにアイルへ向けられる。

「アイルさん=v
「……はい」
「支えてほしい、などとは言いません。あなたの人生はあなただけのものですから。ただ……叶う限り、彼のそばにいてやってはくれませんか」

お願いします、と頭を下げるハッサクの手にそっとアイルはふれた。ワタルとよく似たドラゴン使いの手だ。

「私はワタルさんが好きです。ずっと一緒にいたいのは私のほうなんです」

支えるなんて烏滸がましい。でも願うならば。自分に頼ってほしくて、そして誰よりもそばにいたくて。
ただ純粋な気持ちが一つ。ワタルの隣にいたい。これから先も共に。それだけだ。

「私になにができるかはまだわからなくて……きっとこれからもわからないと思います。でも、それでもワタルさんと一緒にいたい。あの人のそばにいたい」

ハッサクが顔をあげる。目の前の彼女の瞳は優しく揺れていた。
——ああ、きっと。ワタルはこの強い意思の煌めきを放つ光に惹かれたのだろう。
その胸に確信にも似た思いが押し寄せる。気に掛けていた「子供」が「大人」になり、善い出会いをした。その事実がとても嬉しかった。

「これからも、ずっと。ワタルさんと一緒に朝陽を迎えにいきたいです」

結んでいたくちびるをハッサクはわずかに震わせ、耐えるようにぐっと眉根を寄せた。気を抜けば大声で泣き出してしまいそうだったからだ。普段の彼ながら泣いていただろう。しかしどうしても、ここでは格好つけたかった。二人の出会いを祝福するためにも。
息を大きく吸い、吐く。そして窓の外を指差し、にっこりと微笑んだ。

「おや、ちょうどアカデミーに着きそうです」
「すごい大きなモンスターボールですね!? あれも建物の一部ですか!?」
「初めてアカデミーを見る方は皆、そうやって驚きますですよ。あとで学園内も案内しましょうか」
「はい、ぜひお願いします! あ、あと」

できればでいいんですか、とアイルはちらりとハッサクを伺う。ためらいがちに口を開いた。
何を言われるのかとハッサクにも緊張が走る。先ほどと違った意味で身体を強張らせた。

「ハッサク先生の描かれた絵も拝見できますか?」
「……ええ、もちろん。お望みとあらばいくらでも。生徒たちが描いた絵もちょうど展示していますから、そちらもご覧になりますか?」
「わぁ! ぜひ! お願いします!」

声を弾ませるアイルと共に、そらとぶタクシーはゆっくりと降下をはじめる。
アカデミーが彼女を歓迎するかのように、すぐそこまで迫っていた。


**


「——私が研究していることは残念ながら今日明日役立つことは無いでしょう。でも遠い未来、もしくはどこか全く違う場所で、この研究が役立つことがあるかもしれない。ポケモンと人が共に生きるための助けになるかもしれない。その気持ちで、私は今目の前のことにゼンリョクで取り組んでいます」

マイクを通し、アイルの声がホールに響く。向けられる生徒たちの視線に、本日何度目かわからない緊張が彼女の全身を走った。それでも声が震えることはなかった。

「みなさんが学園で過ごす時間も、これから進む道も、いつかの未来に繋がっていきます。それは自分の未来かもしれないし、ご友人のかもしれないし、知らない誰かかもしれない。もしかしたらポケモンたちかも。だから遠回りも寄り道も、たくさんしてください。もちろん近道だっていいです。全て、あなた≠ノ繋がっていきますから。——私のこの話も、あなたの何かに役立ててれば嬉しいです」

本日はありがとうございました、と一歩下がり、頭を下げる。
途端に大きな拍手が彼女を包んだ。照れくさそうにはにかむアイルはもう一度頭を下げ、舞台袖へと下がる。
ステージとは打って変わって薄暗いそこに着いた瞬間に、どっと疲労が押し寄せた。詰めていた息を大きく吐き出した彼女にクラベルが「素晴らしい講演でした」と拍手をしながら声をかける。

「緊張しすぎて、いっぱいいっぱいでした……」
「おや、そうでしたか。ずいぶんと慣れているご様子に見えましたが」

ねえ、ハッサク先生? とクラベルは隣のハッサクへと話しかける。
そこには案の定というべきか、滂沱の涙を流し嗚咽をあげるハッサクの姿があった。

「アイル博士!」
「は、はい!」
「小生! どでも感動いだじまじだ! うぼぉおいおいおい!」

あそこがよかった、ここがよかったと次々に連ねられるのは、ただでさえ緊張がほどけたばかりのアイルにとって刺激が強かったらしい。みるみるうちに顔が赤く染まり、慌てふためく。しどろもどろな受け答えしか口からは出てこない。
助けを求める視線を向けられたクラベルはくすくすと笑みをこぼすのみ。なにも彼女に手を差し伸べてはくれない。大声で泣くハッサクを前にしてアイルが困り果てていると、ふいにその頭上に影がかかった。動きにつられるように、アイルは顔をあげた。え、と小さな声がもれる。

「ハッサクさんの言うとおり、実に素晴らしかった。あれだけ練習したかいがあったな」
「ど、ど、どうして!」

にこりと微笑む顔にアイルは悲鳴にも近い叫び声をあげた。

「どうしてワタルさんがここにいるんですか!?」

驚く彼女とは裏腹にワタルは穏やかな笑みを浮かべるのみ。ようやく泣き終わったのかハンカチで目元を拭うハッサクは鼻を啜りながらも「ワタル、あなたまたわざと黙っていましたね」と呆れたようにため息をついた。



元々、ちょうど身体が空いて、休みが取れそうな日だった。ただ自分の立場上、なにかあればその休みも無くなる。直前であろうがなかろうがそうなってしまう。ゆえにどう転んでもいいようにギリギリまで黙っていた。ただそれだけのこと。過度な期待をさせてしまうのは、ワタルの本意ではなかったから。

「だから拗ねないでくれよ」
「拗ねてないです!」
「おれにはそう見えないけどな」

アカデミーの近く、用意されたホテルはツインベッドの部屋だった。
つまりハッサクはおろか、クラベルもワタルの来訪を承知ずみだったことがわかり、そのことがさらにアイルの機嫌を加速させた。もちろん悪い方へ。
聞けば講演会も後方の席で聞いていたという。最初から最後まで。彼女が拍手に包まれるその瞬間もばっちりと。

「どうしてもきみの晴れ舞台を見たかったんだよ」
「スピーチの練習を家であれだけ聞いていたのに?」
「練習と本番は違う。それにおれはきみの話を聞いている生徒たちの反応も知りたくてね」
「……どうでした?」

そっぽを向いていた顔がわずかにワタルの方向へと向く。
生徒たちの反応なんて気にする余裕もなかった。緊張してそれどころではなかったのだ。生徒たちに向けての講演なのだから、その反応を見て、話の順序を変えたり、エピソードを膨らませて内容の緩急をつけたりするべきだった。それらは全部、アイルの頭からは飛んでしまっていた。余裕が無かったというのは言い訳であることも自覚している。次々と浮かびあがる反省点に肩を落とすアイルへワタルは優しく寄り添った。

「みんな、アイルの話に聞き入っていた。大成功だと言っていい」
「ならいいんですけど……」
「おれの言葉が信じられない?」
「今はだいぶ」
「はは、ひどいな」

どうしたら許してくれる? 
言葉と共に彼女を腕の中に閉じ込めたまま、その耳もとでワタルは甘く囁いた。くすぐったそうに身をよじったアイルの頬は淡く色を宿している。しばらくして「……明日は」と小さな声が返ってきた。それを聞き逃さないようにワタルはまた顔の距離を近づけた。

「明日はクラベル先生の研究とかを見せてもらう約束があるからだめだけど」
「うん」
「明後日はずっと一緒にいてくれる?」
「明後日と言わず、きみが望むのならいつまでも」
「——それともう一つ」

アイルの瞳が揺れる。熱っぽい甘さをどろりと溶かしたそれがワタルに注がれた。

「頑張ったので、ごほうびください」
「よろこんで」

くちびるが重なる。味わうように、何度も。ついばむように可愛らしいキスもあれば、呼吸がままならないほどに深くなることも幾度となくあって。はふ、ともれる吐息に体温があがっていった。
愛しているよ。
ワタルから紡がれた愛の言葉に、アイルはあがる息の中、蕩けた声で答えた。

「私も、あいしてします」
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