歴史ある建造物が多いガラル地方の中でも、ナックルシティはその最たるものである。とりわけナックルジムは複雑な構造ゆえに、いまだに解明されていない箇所が多い。あのキバナでさえ、全貌を把握しきれていないのだ。地図に記されていない通路やドアが、それこそ数えきれないほどある。その複雑さは「ダンデが一人で歩くことをいまだに許されていない」と言えば、誰しもに伝わることだろう。彼は一人でナックルジムに入ることを禁止されている。

そんなナックルジムで先日、一匹のクレッフィが保護された。ジムで手持ち、野生問わずにポケモンを保護することはよくあることでもあり、なんらおかしいことではない――はずだった。件のポケモンに問題が一つ浮上する。その年老いたクレッフィが唯一持っていた鍵は、素材と形状から見るにどうやらナックルジムにあるどこかの扉の鍵≠フようなのだ。劣化はしているが、施されたドラゴンポケモンの意匠がそれを物語っていた。もちろん、その扉がどこにあるかは誰もわからない。

クレッフィというポケモンの特性上、どこからかこの鍵を拾ってきたのだろう。加えて、キバナをはじめナックルジムトレーナーたちが、この鍵を見てピンとこないのなら放っておいても問題はない。しかし「いざという時のことを考えれば、解決しておいたほうがいいだろう」と意見があがりはじめた。それを聞いた誰しもがあのブラックナイトのことを思い出す。不可抗力とはいえ、渦中となったナックルジムならなおさら。

なによりもクレッフィが大事そうにこの鍵を守っている。その鍵を取り上げるつもりはキバナには無かったが、その様子に好奇心を擽られたのも彼自身が否定できない。今まで人の目にふれることのなかった鍵が守るのものはどんなものだろうか。気にならないと言えば嘘になる。

かくして「鍵穴」の大捜索会が開かれることになった。キバナは信頼のおける仲間たちに声をかけ、協力を仰ぐことにした。彼ら彼女らは二つ返事でそれを了承し、ナックルジムに集まったのが本日。
ラリニもその一人だ。隣にいるホップを経由してキバナから頼まれたのだ。しかし集まったメンバーはそうそうたる顔ぶればかり。悪い事をしてるわけではないはずなのに、どことなく居心地が悪さを感じてしまう。そわりと身体を揺らし、恋人に近づいた。

「ねえ、ホップ」
「ん?」
「私、場違いじゃないかな……」

なにしろここにいるのは新旧チャンピオンにポケモン博士。そしてジムリーダーが何人も。どれもテレビやネット、誌面を飾る顔ぶればかり。ただのアーマーガアタクシーの運転手である自分が混ざるにはちょっと荷が重い。

ホップは彼女が言わんとしていることがわかったのだろう。苦笑を浮かべ「こんなに集まったのもたまたまだからさ。気にしなくていいんだぞ。きっとみんな暇していたから、こんなに出席がいいんだって」とこっそり耳打ちをした。ほどよく彼女の緊張が解れればいいとも思いながら。

事実、ここまで都合良くジムリーダーたちが集まることなんてない。おそらく、本当にジムリーダーたちは時間を持て余しているに違いなかった。ホップはそのことがわかっているけれど、ラリニは違う。彼のあまりにもな口ぶりにラリニは目を瞬かせた。「そんなこと言っていいの?」と困ったように視線が彷徨う。

「はは、まったくその通りすぎて反論もできやしねーですね」

会話に混じったのはネズだった。二人の会話が聞こえていたようで、笑いを忍ばせながら言う。彼もまたキバナに呼ばれていた一人。ネズとはタクシーの関係でラリニをよく指名し、贔屓してくれている一人でもある。顔見知りでもある彼なら、ラリニも多少は緊張はしないですむはずだ。そのことにネズ自身も気づきながら、ホップの発言を補足するように言葉を重ねていく。

「そもそも、それを狙ってあの男も今日の日程を組んでいやがりますけどね」
「そうなんですか?」
「ええ。ナックルジムは広いもんで。頭数はあるだけあったほうがいい。それこそ『こんなにいらねー』と思うぐらいにね」

それに、とネズはふっと口元を緩めた。

「タクシードライバーなら視野も広く、細かなところにも気づきやすいでしょう。期待しているんですよ、キバナは。あなたに」
「……恐縮です」

照れたようにはにかむラリニの後ろ。ホップからじとりとした視線が投げられているのを感じ、ネズはまた笑う。せっかくのフォローに対して嫉妬の感情を覗かせるあたり、まだまだこいつは子供≠セ、と肩を竦める。ホップ自身もネズに助け船を出されたことは理解しているはず。彼は聡明なのだから。けれど感情としてはまた別ということだろう。緊張する恋人をリラックスさせ、自信をつけさせるのは自分の役目だったはずなのに。ネズを刺す瞳は、そう訴えている。

あの頃から歳を重ね、背も伸びた。声だって低くなって、体つきもぐっと大人≠ノなっている。けれど自分にとっては――

「まだまだガキですねぇ」
「……ネズさん」
「おっと、失敬」


それでもネズの口元はいまだに緩みっぱなしだった。





ナックルジム内の地図と件の鍵のレプリカを手に、ホップとラリニはジムを歩く。
「とりあえず一時間捜索したら、休憩兼ねてここに戻ってくること。ぴったりの鍵穴を見つけたら、連絡をくれよな」とキバナの号令でスタートした鍵穴探し。未だに成果は芳しくなかった。誰かが鍵穴を見つけたという連絡も無い。ホップのスマホロトムは静かなままだった。

「見つからないね」
「だなぁ……」

そろそろ約束の一時間になる。いったん戻って他のメンバーの話も聞いた方がいいかもしれない。そんなことを考えながらラリニはちらりと腕時計に視線を落とした。

「……あれ?」

いま、目の端に何かが動いたような。
確認しようと目を凝らす。ひらりと動く何かは近くの部屋に入っていったように見えた。迷わずホップにそれを伝えるが、彼は気づかなかったらしい。どうしようか、と相談を経たのちに、とりあえずその部屋に入ってみることとなった。どこからか迷い込んだポケモンかもしれない、と結論が出たからだ。

部屋には鍵がかかっておらず、それどころか扉には少し隙間が空いていた。やはりポケモンが入っていったのかもしれない。
部屋は薄暗い倉庫のようだった。整頓はされているが元から人の出入りが少ないらしい。床や棚には埃が積もって白くなっていた。しかしどこからか温かい空気が流れ込んでいるのか、肌寒さのようなものは感じられない。

「おーい、ここはなにもないんだぞー!」
「出ておいで。外に戻ろう?」

姿の見えないポケモンに二人で呼びかけるが反応はない。仕方ない、と手分けして探すことになった。歩くだけで埃が舞うような倉庫にはあまり長居はしたくないのが本音。早く見つけて出よう、とラリニは隠れやすそうな段ボールの裏側を覗き込む。

「あれ? これって……」

ポケモンの代わりに違うものを彼女は見つけた。壁の隅、段ボールの影に隠れるようにして、膝の少し下の位置に小さな鍵穴があった。思わず見落としてしまいそうな場所にある鍵穴の周囲は塗装が少し剥げている。つまり、使われた形跡があるということ。

「ほ、ホップ! 来て!」
「ん? どうしたんだぞ?」

やってきたホップもラリニが指差した鍵穴に目を丸くする。
彼女が促す前に、ホップは持ってた鍵のレプリカをそこに挿した。すんなりと入ったので、そのまま回す。ガチャリと錠が外れた音がどこからか二人の耳に届いた。この鍵穴がクレッフィの鍵――ということになる。

「うそ、ここの鍵だったの?」
「でも何が開いたんだ?」

ホップの言うとおりだった。隠し扉があるというわけでもなさそうだ。目の前の壁に変化はなにも無い。けれど確かに錠の開く音が聞こえた。何かが開いた、もしくは動いたのは間違いない。

「ともかくキバナさんに連絡してみよう。ポケモンも迷い込んだみたいだし、みんなで探してもらおうよ」
「そうだな。今、連絡するんだぞ――」

けれどスマホロトムを取り出したホップは、キバナに連絡を取ることができなかった。瞬間、二人を浮遊感が襲ったからだ。今まで足がついていたはずの床が消え、支えを失った身体はそのまま床下へと落ちていく。悲鳴をあげる暇もない。咄嗟にホップはラリニを庇うように身を寄せた。ぐっと彼女を抱きしめ、頭ごと抱え込む。

ホップはどこか冷静だった。ラリニを守らなければ、と理性が働く。そのおかげだろうか。自分たちは滑り台のようなもので落下しているということにも、すぐに気づくことができた。なら下手に抵抗するより、身を任せた方がいいと判断する。恋人を抱きしめる力を強くし、勢いを殺すこと無く落ちていった。
しばらくして滑り台の終着点が訪れる。床に放り出されたホップは強かに尻を打ち付けながらも、落ちる身体をようやく止めた。

「ホップ、大丈夫!?」
「平気平気。ラリニに怪我は無いか?」
「私が全然。ホップが守ってくれたから……」
「そっか。よかった」

ホップはぎゅうと無事を確かめるようにラリニを抱きしめる。そして「元気出た! もう痛くないんだぞ!」と笑った。
その笑顔を見てラリニは開きかけた口を閉じる。心配しなくていい、と彼の表情が言っている。これ以上、心配の言葉を伝えるのは無粋だ。ホップの優しさを受け止めなければいけない。彼に守ってもらった身として。
結んだくちびるをゆるめ、微笑む。

「ありがとう、ホップ」
「どういたしまして! ――それで、ここはどこなんだぞ?」

ただただ真っ暗な闇が広がっている。お互いも近くにいるから存在を感じることできるだけで、少しだとしても離れた瞬間、見失ってしまうだろう。二人は身を寄せ合いながら立ち上がる。「あいた!」とホップが頭をぶつけたあたり、ここは広い空間ではないことが唯一わかった。

「しまった。スマホロトムを置いてきちゃったな……」

ラリニの端末はロトムが入っていないせいかナックルジムの奥にいた時点で、元より圏外。使い物にはならない。置いてきたホップのスマホロトムがそのままキバナに連絡をしてくれていると祈るしかないようだった。せめてライト機能だけでも使おうと、ラリニがポケットから端末を取り出した――そのとき。

目の前に現れた、ゆらめく灯火。わずかに自分たちを照らすほどの光源となっているそれは、ふわふわと浮いている。その動きはまるで火の玉ようにも見えた。
状況が状況なこともあり、ラリニは小さく悲鳴をもらす。怯える彼女の背を撫でるのは、天井のせいで少し屈んだ格好になっているホップだった。

「大丈夫。これはシャンデラの焔だ」

彼はすでにその正体≠ェわかっていた。焔の明るさ、色、動きですぐに検討がついたのだ。
ホップに言われ、ラリニはまじまじと火の玉を見つめる。徐々に近づいてくるにつれ、ホップの言葉通りシャンデラへと変わっていった。

「本当だ。すごい! さすが未来のポケモン博士」
「まだまだ勉強中だけどな。でも役に立ってよかった」

ポケモンと恐怖は薄れる。ラリニはほっと息を吐いた。
そのシャンデラが二人の目の前で動きを止めた。そして身体を揺らしたかと思うと、ふわりふわりと熱くない火の粉が舞い落ちる。そのおかげか足元がわかる程度には周囲が明るくなった。シャンデラはそれを確認すると、満足そうにして今度は背を向け二人から離れていく。

「もしかして『ついてこい』って言っているのかな」
「かもしれないんだぞ」

実際、シャンデラは時折彼らの方向を振り返っていた。
果たして素直についていっていいのだろうか。ラリニの頭にそんな考えがふいに過ぎる。シャンデラはゴーストポケモンで、人の魂を吸うという。このまま誘った先で、自分たちの魂を吸ってしまうのではないだろうか。
けれど――

「行ってみよう」

ホップはきっぱりと言い切った。ついていこう、と。

「あのシャンデラはオレたちを狙っている感じじゃない」

その横顔は、眼差しは、まさにポケモン博士に他ならなかった。ポケモンを信頼し、疑問を解き明かそうとする研究者のもの。
こんなときなのに――いや、こんなときだからこそ、彼の表情にラリニはときめいた。かっこいいな、と見惚れてしまう。ホップの真剣な表情を見ることがラリニは大好きだったから、余計に。

「ホップが言うなら、大丈夫だね」
「……なにかあっても、オレが守るから」
「うん。わかってる」

足元に(ついでにホップは天井にも)気をつけながら、シャンデラについていく。シャンデラも二人から一定の距離を取りつつ置いていかないように確かめながら、先へと進んでいく。
歩いて数分、彼らは扉に行き当たった。シャンデラはゴーストポケモンよろしく、すり抜けて中に入っていってしまった。

「もしかして」

ラリニは鍵を取り出した。ホップの鍵は上に置いてきてしまったから。ここは自分が、と鍵を挿し回す。案の定、ガチャリと回り、重い扉が開いた。

そこは広くない、かといって窮屈さは感じない部屋だった。天井が高いのかもしれない。いつの間にかシャンデラがそこに収まって、部屋の明かりとなっている。
部屋の中には積まれたぬいぐるみやクッション、そして何冊かの本。他には木製のキャビネットやおもちゃ箱が散らかっていた。どれもこれも埃をかぶっている。

「ひみつきち=c…」

壁に子供の字で書かれた文字をラリニは読み上げた。「ひみつきち」の名の通り、ここは誰かの――しかも子供の――ひみつきちだったのかもしれない。
けれど部屋の様子から、もうしばらく使われていないようでもあった。積もった埃もさることながら、ピカチュウやイーブイらしきぬいぐるみはだいぶくたびれていて、どことなく手作りの雰囲気も漂わせていた。本も経年劣化のせいか、ページは全てくすんでしまっている。

「ラリニ、これ」

ホップは一冊の本を開いている。促されるように覗き込むと文字は無く、絵が描かれているだけだった。子供特有の拙さと味がある絵が何ページも続いている。丁寧にページをめくるホップは小さく呟いた。

「たぶん、これ日記だ。絵日記」

文字は無く、似たような絵が何枚も描かれている。登場人物はこの『ひみつきち』の主である子供(おそらく男の子)と、二匹のポケモンたち。ちいさな白いポケモンと灰色の円のようなポケモン。その横には大きなモンスターボールのようなものが描かれていることから、二匹をゲットしたときの絵日記かもしれない。

彼らが遊んでいる絵がいくつもある。微笑ましい日常を垣間見て、ほんのりと心が軽くなる。
ただ少し気になる点もあった。それはモンスターボールの大きさと形。普通のモンスターボールよりはずっと大きく、なんだか人の形をしているようにも見える。リーグマスコットのボールガイを描いた――のだろうか?

ホップも同じ疑問を抱いたらしい。眉根を寄せ、難しい表情を浮かべていた。指先が次のページへと向かう。すると途中から絵の様子が変わりはじめた。モンスターボールだけがぐるぐると描かれている。なんとなく悲しいような、先ほどとは一変して不安な気持ちになるような絵。

嫌な予感に急かされる。次の絵は男の子と白いポケモン、円の灰色ポケモンがモンスターボールを囲んでいるものだった。ボールガイのような人の形では無く、ただのモンスターボール。なにかが起きたということが明らかにわかる。

そんな絵が数ページほど続き、ようやく最後のページにたどりつく。そこには今まで登場していた男の子たちの姿はない。代わりに例のモンスターボールだけが中央に一つ描かれており、その横には半分が赤、半分が青で色分けされた小さな丸がこちらも一つ描かれていた。そして、その二つの丸を大きなハートマークが囲っている。

「モンスターボールとは違うものなのかな、これ」

読み終わって、まっさきにラリニが抱いた疑問を呟く。ただのモンスターボールだと思っていた。カラーリングがそうだったから。でも後半の内容から、そうとは思えなくなってしまった。大穴でボールガイを描いた――とも言い切れないが、そうしたらもっと人っぽく描いているに違いない。この赤と白の人は、子供らしさもある中で、どこか機械的に表現されている。少なくともラリニはそう感じ取れた。
それはホップも同じだったらしい。ラリニの言葉に「なんだかひっかかる……」と頷いた。

「あと少しで思い出しそうなんだぞ。どこかで見たような気がする……」
「やっぱりボールガイ?」
「いや、研究所の本で見たような、気がして……」

ガシガシと頭を掻くホップは優しく日記を閉じ「もう少し部屋の中を探してみよう」と提案した。とりあえずモンスターボールのことは後回しにすることに決めたらしい。

相談ののち、ラリニは木製のキャビネット、ホップはおもちゃ箱を手分けすることになった。大きなおもちゃ箱に向かっていくホップの背を見送り、ラリニは木製のキャビネットをまじまじと見つめる。子供用なのかこちらは小型のものだ。けれどしっかりとした造りのようで、さまざまなところにドラゴンポケモンの意匠が施されている。鍵と同じデザインだ。

しかし、それは開かない。何かがつっかかってしまっているようで、ガコガコと鈍い音を鳴らすだけだった。無理に動かせば開かなくもなさそうだが、壊してしまうリスクもある。ラリニ自身の持ち物ならそれを選んでいたが、さすがに子供の持ち物を壊すことはできない。どこがどうなっているのか、少しでも手がかりを見つけようと下を覗き込もうと這いつくばる。しかし、なにもわからない。服が埃で汚れただけ。

「……シャンデラ?」

気づけば天井にいたはずのシャンデラが近寄っていた。じっと丸い瞳がラリニに向けられている。変わらない表情でお互いに見つめ合うこと数分。あ、と閃いた。

「ねえ、手伝ってくれる?」

シャンデラは肯定するかのように一声鳴いたあと、身体をキャビネットへゆらりと溶かす。しばらくするとコトリと何かが落ちる音がした。シャンデラも戻ってくる。「ありがとう」とラリニがお礼を言えば「たいしたことない」と言わんばかりに身体を光らせ、定位置であろう天井に戻っていった。さすがゴーストポケモン。こんなところにも入り込んでしまうなんて。

協力のおかげか、先ほどとは打って変わってすんなりとキャビネットは開く。そこには小さなケースが置かれていた。手に取ると金属製で少し重たい。こちらはロズレイドの意匠が豪華に施され、優雅なポーズをラリニに見せている。ロズレイドの両手の花がキラリと眩く光った。これはガラス片だろうけれど――その煌めきがあまりにも美しいせいか、一瞬「宝石かも」なんて考えが頭を過ぎってしまう。まさか、とラリニは自身の考えに苦笑した。そんな大層なものがあしらわれているわけがない。

「……! これって……!」

そっとケースを開けると、その中は天鵞絨のクッションは敷かれ、そこにはガラス玉のようなものが一つ入っていた。ラリニの拳ほどには無いが小さくもないサイズのそれは半分が赤、半分が青で色分けされている。似たようなものを、つい先ほどラリニは目にしている。あの日記の中に描かれていたのがまさにこれだ。

「ああ! わかったんだぞ!」

ホップを呼ぼうとした矢先、その彼から声があがった。
なにかホップも見つけたらしい。慌てて、でもガラス玉を壊さぬように気をつけながら駆け寄る。するとホップはラリニの手にしたガラス玉を見て「やっぱり!」とさらに興奮を高めた。

「やっぱり、こいつはマギアナだ!」
「マギアナ?」
「しかもただのマギアナじゃない。文献でしか見たことの無い、本当の色のマギアナだ……!」

彼の足元にはあの日記の中にいたモンスターボールの色の球体が鎮座している。赤と白、金色に縁取られたそれは、ラリニからしたらただのモンスターボールにしか見えない。けれどホップは「マギアナ」と呼んだ。つまりこの子は――

「ポケモン?」
「ああ。マギアナは人に造られたポケモンって言われているんだ」

頷いたホップはゆっくりと説明を始める。
マギアナは500年前、アローラ地方の国王の娘に献上されたという人造ポケモンだという。現在、確認されているマギアナの身体は長い年月を経た塗装が剥げてしまった姿であるという。しかし、目の前のマギアナは違う。当時のまま、赤と白、そして黄金に輝いている。それはここに長い間、残されていたことに他ならない。現にこのマギアナは隠されるようにおもちゃ箱の中にあった。

「おそらくガラル王家に献上されたマギアナなんだぞ」
「じゃあ、この部屋の子は」
「王族の子、だったかも。……なるほど、なんとなく状況が掴めてきたな」

ここの鍵を持っていたクレッフィ、そして案内したシャンデラ――当時はきっとヒトモシだったのだろう――と、このマギアナ。そして部屋の主である少年。みんなは共に遊ぶ友達だったのだろう。ひみつきちで遊ぶ、友達。けれどちょっとしたきっかけで、それが崩れはじめた。

「マギアナの本体はソウルハート≠ニいう魂なんだ。強いエネルギーが込められていて、動いているらしい」

ホップの視線はラリニが持つガラス玉に向けられている。まさにこれがそのソウルハート≠サのもののはずだ。彼の言葉は続く。おそらくこのソウルハート≠フエネルギーが切れてしまい、マギアナは動かなくなってしまったのではないだろうか、と。

「じゃあエネルギーを満たせば、またマギアナは動くの?」
「多分……」

ホップの表情は晴れない。

「エネルギーについては詳しいことはまだわからないことが多くて……。いろいろと説があって博士たちの中でも意見がわかれているんだ。ポケモンの生命エネルギーが有力説なんだけど……」

500年前の技術の解明は一朝一夕ではいかない。ただでさえポケモンの秘密は多いのに、そこに時の壁があるのなら、なおさら。それにポケモンの生命エネルギーだなんて、ここにはシャンデラしかいない。ホップの手持ちも、ラリニの手持ちも置いてしまった。今頃ナックルジムのスタジアムで、他のポケモンたちと遊んだりバトルをしているはずだ。

部屋には沈黙が訪れる。シャンデラも何も言わず、ただ彼らを見下ろしていた。
悔しい。シンプルな感情がラリニの胸を支配する。だってこのまま、なにもできないなんて。ここに案内してきたシャンデラや鍵を持っていたクレッフィも、マギアナを助けたいからこそ自分たちを導いたはずだ。わずかな希望を自分たちに託したに違いないのに。

「――やってみよう」

静かに、しかしはっきりとしたホップの声が沈黙を破る。その声は震えてもおらず、けれど決して自信に満ちているものでもなかった。

「やってみるって?」
「さっきも言っただろ? エネルギーに関しては、いろいろと説がわかれているって。その一つに『強い心の想いがエネルギーではないか』というのがあるんだ」
「心の想い?」
「これが正解かわからない。方法も、なんとなくのオレの予想だ」

でも、このままなにもできないほうがオレもラリニもイヤだろ?

「……うん! 私、マギアナを助けたい」

ホップの手がラリニの手と重なる。一人で持っていたケースの重さが軽くなった。

「二人で強い想いを心に浮かべて、念じてみよう。元はエネルギーを集めていたんだから、近くに強いエネルギーがあればソウルハート℃ゥ体がエネルギーに対して働きかけるはずなんだぞ」
「わかった」
「……うまくいかなかったらごめん」
「いかないなんてこと、ないよ」

ホップが学んだ知識が導き出した結果だ。ラリニには確信があった。絶対に大丈夫だ、と。だって、こんなにホップはポケモンのことを大切に想っているのだから。ラリニは静かに息を吐いてソウルハート≠ノ視線を落とす。

心の想い――たとえば、どんなものがいいんだろう。彼女はそっと心を巡らせた。
思い浮かんだのはパートナーのアーマーガアのことだった。日記でマギアナと少年たちの思い出を覗いたからだろう。たくさんの空を飛ぶアーマーガアは500年前にもガラルの空を飛んでいたはずだ。マギアナはタクシーに乗ったことがあるのかな。もし無いのなら、自分が乗せてあげたい。空から見るガラル地方はとても綺麗だから。

そっとホップを盗み見る。彼も真剣な表情でソウルハート≠ヨ視線を向けていたが、ふいに顔をあげた。重なった瞳に二人は思わず笑い合う。マギアナに目を覚まして欲しい、元気になってほしい。同じ気持ちを抱いていることを、言葉に交わさなくてもわかる。強い想いがホップとラリニの間に結ばれていた。

瞬間、ソウルハート≠ェ光り出す。驚きに声をあげる間も無くその光に飲まれ、彼らの脳裏に一つの記憶が映し出された。

――それはマギアナと少年、そしてヒトモシとクレッフィたちのあたたかな思い出だった。
秘密基地で遊ぶ、ありふれているが愛おしい日々。ナックルシティの古城のてっぺんまで競争し、そこから眼前に広がるガラル地方を眺め、大きくなったらみんなで旅をしようと約束を交わす。

しかし、あたたかな日常は続かない。古くから稼働していたマギアナに少年たちとの突然の別れが訪れたのだ。ホップの予想通り、マギアナを動かしていたエネルギーが切れてしまったのだ。少年たちは必死にマギアナを助けようとした。みんなでガラルを旅する夢をかなえるために。マギアナへ「おはよう」をまた言うために。その姿をわずかなチカラでマギアナは見つめていた。仲間たちに「おはよう」と笑いかける日が来ることを心に描きながら。

無情にも不幸は続いていく。少年がこの世を去ってしまったのだ。ヒトモシもクレッフィも、もちろんマギアナも残して。少年の最期の願いであったマギアナはついに元に戻ることもなく、わずかにあったチカラも尽き、静かに眠りへついてしまった。
ヒトモシから進化したシャンデラとクレッフィは決意する。少年の最期の望みを叶えようと。いつか、マギアナを目覚めさせる時代が来るまで、この部屋とマギアナを守るのだ――

気づけばラリニは泣いていた。
長い長い年月をポケモンたちは一つの約束を叶えるために生きていた。大切な友人である少年を亡くしても、残された友人はまだ目覚めるかもしれない。そんなわずかな望みを抱いて。
そしてマギアナもきっと信じている。自分がまた目を覚ますことを。もういない大切な友人が、自分の目覚めを祈っていたから。それに必ず応えるために。そして残された友人たちを信じているから。

彼らの友情にふれたラリニの瞳からは、とめどなく涙がこぼれ落ちていく。
もし自分がいなくなったあと、残されたアーマーガアはどう想うのか。それを考えずにはいられなかった。ポケモンと人、流れる時間はどうしても異なってしまう。だからこそ、その日々を大切にしたい。共に生きていきたい。強く、胸に迫る想いだった。

ラリニが流し続ける涙をホップの指がそっと拭う。優しく微笑む彼を目にして、また視界が滲んでいく。そんなぼやけた視界でも、あたたかな輝きを感じることができた。

「……あ」
「エネルギーが満たされたのか?」

輝くソウルハート≠ヘふわふわと浮いてマギアナへ向かっていった。鋼鉄の身体にふれると、辺りを眩い光が周囲を包んでいく。
ホップは思わずラリニを庇うように抱きしめた。ラリニもまた、ホップに抱きつく。それが二人の当たり前のように、自然と身体が動いた。離れたくない、と言わんばかりに強く抱きしめ合う。お互いの存在を全身で確かめるように。

光がおさまるころ、ゆっくりと目を開ける。彼らは見たことのある倉庫に立っていた。先ほどのひみつきちは、もうどこにもない。埃がふわりと浮かんでいる。

「ここは来る前までいた倉庫か? そうだマギアナやシャンデラは!?」

ホップの焦りにつられ、ラリニは周囲を探す。戻ってきたのはマギアナのチカラによるものだろうことはわかる。ではそのポケモンたちは? 置いてきてしまったのだとしたら。そう思うと血の気が引くようだった。

慌てる彼女の足にひやりと冷たい感触が襲う。そこには一匹のポケモンがいた。そのポケモンは煌めく瞳でラリニを見上げている。赤と白、そして黄金の色。

「マギアナ……!」
「シャンデラもこっちにいたんだぞ!」

ホップの頭上にはシャンデラが浮かんでいた。嬉しそうにくるくると回り、マギアナの元へ降りていく。マギアナも古い友人に再会できたことが嬉しいようで、文字通り瞳を光らせた。
全員が揃っている。みんなで戻ってこられた。なによりもマギアナが目覚めていることが嬉しかった。きっとクレッフィもマギアナの目覚めに気づいているはずだ。早く会わせてあげたい。

「マギアナ、身体に不調はないか? あとで念のためにポケモンセンターに行こうな。大丈夫、今度はシャンデラもクレッフィも一緒なんだぞ!」

しゃがみこんでマギアナに笑いかけるホップの姿を見て、唐突に「好きだな」とラリニは想った。
ホップが好きだ。ポケモンのことに一生懸命になれることは、簡単なようにみえてすごく難しい。それは当たり前に行動できる彼が好きだ。今回のこともホップが努力を重ねているから、解決できたのだ。かつて自分が遭難したときに助けてもらったように。

ホップはすごい。いろんな人を、ポケモンを、幸せにできるなんて。

隣にしゃがみこみ、こつんと彼の肩にふれ、ホップに笑いかけた。それだけで心に宿る想いの全てが伝わる自信がラリニはあった。まさしくその通りで、ホップは恋人の優しい笑顔を見て頬を染める。照れたように視線を彷徨わせ、頬をかいた。ますます愛おしさに満たされていくラリニは、ふれる身体の面積を増やす。あたたかな体温は二人がそばにいることを、お互いに知らせていた。

はやくキバナたちに連絡をしなければ。もう約束の一時間はとっくに過ぎている。心配だってかけているかも。けれどまずはマギアナに伝えないと。
ホップとラリニの声が重なる。二人で同じ言葉を紡いだ。

「おはよう、マギアナ」


<< novel top >>
ALICE+