切る風に心地よさではなく寒さを感じるようになる、秋の終わり。ラリニはガラルの空を飛んでいた。ゴーグル越しに目的地の屋根を見つけ、相棒のアーマーガアへ指示を出す。徐々に高度を落とし、ブラッシータウン郊外のポケモン研究所へ静かに着陸した。

ラリニはゴーグルをあげ、詰めていた息を大きく吐く。素早くアーマーガアの背から降り、軽く身支度を整えたのちにインターホンを押す。通電したノイズが聞こえたので、彼女はマイクに向かって話しかけた。

「お待たせいたしました、アーマーガアタクシーです」

すると研究所から慌てた足音が聞こえてくる。一歩、後ろへ移動すると、ぴったりその分のドアが開いた。顔を見せた長身の青年があふれんばかりの笑顔を咲かせる。

「ラリニ!」
「毎度ご贔屓ありがとうね、ホップ」

アーマーガアタクシーのドライバーは固定給のほかに指名を受けた際のインセンティブが生じる。基本的にタクシーは駐在しているものを利用するので、わざわざ指名をしてまで送迎を頼むことはめったにない。
だからこそ、自分をよく指名してくれるホップに感謝していた。数年前、まだ彼が身体にも顔つきにも幼さを残している――いわゆる「子供」と呼ばれたころのこと。ワイルドエリアで困っていたホップを、空のタクシーでたまたま通りかかったラリニが助けたのが縁の始まり。それ以来、ずっとタクシー利用は自分を選んでくれている。今日もソニアの送迎の利用で、ホップは彼女を指名した。

「それでソニア博士は?」
「えっと、ごめん。実はまだ準備が整っていなくて。あがって待っていてくれないか?」

盛大に寝坊してさ……と困り顔で頭を掻くホップの姿は、立派な助手そのものだ。ポケモン博士になるため、ソニアの元で研鑽を積んでいるのをずっと見ていることもあり、端々でその成長を見るのをラリニはひそかに楽しんでいる。ほぼ遭難しかけていた男の子が、こんなに頼もしくなったんだ、と。

「じゃあお言葉に甘えて待たせてもらおうかな」
「そうしてくれるとオレもうれしい」

招かれた研究所に入った途端、ラリニは思わず声をあげた。興奮に満ちた、いつもよりトーンの高い声が響く。

「かわいい! イベントでもするの?」
「ああ、子供向けのポケモンも交えたイベントをするつもりでさ。その飾りつけなんだ」

一面を彩るオレンジ色。定番のバケッチャやパンプジンのオーナメントや、ゲンガーやヤバチャなどのゴーストポケモンの飾りが所狭しと並んでいる。天井にはガーランドが揺れ、ちょっとしたパーティーのようにも見えた。

「10月31日にやるから――も、もしよかったらラリニも来てほしいんだぞ」
「っと、ごめん。仕事入っているから難しいかも」

あいにくとその日にラリニはシフトを入れてしまった。この秋の終わりに催されるイベントへそんなにこだわりを持っていなかったからだ。申し訳なさを混ぜながら彼女が断りの言葉を口にすれば、彼は明らかに落ち込んだようだった。あわてて「近くにきたときは顔を出すね」とフォローをいれる。それでもホップの表情は晴れない。

ホップとしてはこのイベントでラリニと距離が縮まればいいと考えていたのだから、なおさらだった。出会った年頃、歳の差、その他諸々……彼女が自分に向けている眼差しは、残念ながら「友人」のそれだと気づいている。こちらはこんなにもラリニという存在に焦がれているというのに。

一方、そっぽを向き続ける友人へラリニは仕方ないなぁといったように、ポケットの中を探る。

「もう、拗ねないでよ。ほら、先にトリートあげるから」
「バトルに勝ってからお菓子が普通なのに……」
「『トリック・オア・バトル』だっけ? どうせ、ホップとバトルしたら負けちゃうもの」

いくら博士号を取るため勉強一直線とはいえ、ホップがセミファイナルまで残ったバトルトレーナーである事実は変わらないし、今でもチャンピオンに招かれバトルをしていることは知っている。そんな彼とバトルはからきしのラリニが戦っても、結果は目に見えている。
ホップは「別にバトルしたいわけじゃなくて……」ともごもごと文句を言いながら、ラリニから渡されたキャンディを受け取った。その包装を見て、眼を瞬かせる。

「ミント味?」

しかも眠気覚まし用で口も喉も痛くなると噂のやつだ。たしかソニアが試して悲鳴をあげていたような覚えもある。これをラリニは常用しているのだろうか。いくらタクシードライバーだからといって、こんなのを食べていたら胃が荒れそうだ。

「すごく効くよ。ミント味苦手?」
「ここまで強烈そうなのは無理だ……」
「そうなんだ。ふふ、かわいいなぁ」

成長した彼にあるまだ幼い部分を垣間見て、ラリニはつい笑みをこぼす。しかしホップは面白くない。まさに先ほどまで考えていたことを口にされたこともあり、もやもやとした感情がわきあがる。
背も伸びて、とうに彼女を越えている。声だって低くなったし、コーヒーだってブラックを飲める。
なのにいつまでたっても、ラリニは自分を見てくれない。

「……子供扱いしないでくれ。そりゃラリニよりは歳も下だけれど、ほんの数年だ。もうオレだって立派な大人なんだぞ」

正直なところ、ホップとしては言ったのが――例えばソニアだったのなら、そこまで拗ねた気持ちはわかなかった。実際、彼女から見た自分なんて子供だろうし、そもそも本当に子供≠フころから自分を知っているからだ。
しかし、ラリニにはそう言われたくなかった。彼女とはソニアほど年が離れているわけでもない。ほんの数年ほどだ。なにより、己が恋心を抱くように、ラリニにも自分のことを『そういう対象』として見てほしい。

そんなやきもきとした感情が渦巻くホップと同様に、ラリニも「たしかに子供扱いは失礼だった」と自らの行動を悔やんでいた。さきほど立派な助手として自立した彼の姿を見たばかりだったのに。
近所の新米トレーナーへの指導、時折見せるバトルトレーナーとしての横顔、ポケモンたちへの丁寧な世話をする手。――たしかに彼はもうすっかり「大人」だ。

自分だってこの年頃のとき、子供扱いされるのはいやだった。自立しているのに、職場の先輩からはいつまでたっても子供扱いのまま。カチンときたことは何度もある。
そんな嫌な感情、ホップには抱かせたくなかったというのに。失敗してしまったとラリニはくちびるを噛む。

「ごめん、ホップ。たしかに言うことじゃなかった。本当にごめんなさい」

言い訳に聞こえるかもしれないけれど、と前置きをして、言葉の理由を話す。
彼が成長している実感したからこそ、些細な幼さに愛しさを感じたのだと。

「もうホップは大人だもんね。ごめんなさい」
「いや、オレのほうこそ変に拗ねてごめん……」

二人で頭を下げ、笑い合う。些細な掛け違いはあっという間に元に戻ることができた。過ごしてきた時間の積み重ねと、お互いにバツの悪さも感じていたのだろう。
それよりも、もっと気になったことがホップにはあった。

「つまりオレはラリニにとってちゃんと大人に見えてるってことか?」
「ん? もちろん。大きくなったし、ちゃんとソニア博士の助手も務めているし、すごい頼りになるなって思っているよ」

じゃあ、とホップは少し踏み込んだ。
鼓動が大きく鳴り響き、喉が渇く。いまだ、と誰かが囁く。この関係に甘えていては、本当にほしいものは手に入れられない。熱でゆだる頭で告げた。

「――オレのこと『男』として、見てくれ」

え、と呆けた声がラリニからもれた。
言葉の意味を問う前に、ホップとの距離が無くなったからだ。指が絡み、腰に手が回る。
見た目の割にがっしりとした彼の身体を感じる。ああ、そういえば、お兄さんに倣って筋トレしていると聞いたことがある。そんなことを頭の片隅でラリニは考えた。
身を捩ってもびくともしないで捕まってしまっている。熱がじわりと浸食してきた。

「ほ、ホップ?」
「大人だと思ってくれているのなら、ちゃんと『男』として見てほしい。『年下の子供』じゃなくて」

金色の瞳は燃えていて、ラリニを離さない。蕩ける感情が注がれる。
ホップは息を静かに吸う。自分の感情に影響され、ラリニの瞳がとけていることに気づいたからだ。
ここで伝えよう。自身の想いをくちびるへ乗せることを決める。

「オレはラリニのことが――」
「ごめんなさいー! お待たせしました!」

どたばたとソニアはせっかく整えた髪や服を乱しつつ、大きなカバンを引っ張って、二階から駆けおりてくる。アーマーガアタクシーが着いたことにはとっくに気づいていた。だから、急いで支度をしたのだけれど、

「……ってあれ? どうしたの」
「な、なんでもないんだぞ……」

なんとなくタイミングを間違えたような。
どうしてか壁にひっつくホップと、かちこちと固まったままのラリニを交互に見る。二人の顔が赤いことと変な距離感に気づけば、導き出される答えは一つ。
ソニアはすばやくホップへ近づき、耳打ちをした。

「もしかして、告白の邪魔しちゃった感じ?」
「――っ! ソニア!」
「あちゃー、図星かぁ」

友人として彼の恋は応援していたのだが……まさか自分が邪魔をすることになるなんて。アーマーガアタクシーを呼ぶ時点で、ラリニを指名することなんてわかりきっていた。慌てていたとはいえ、もうすこし様子を見てから出てくればよかった。
今からでももう一度ムードを作らせるか? と考えるときのクセである、髪の毛を指で遊ぶ仕草を見せ始めたソニアへラリニが声を絞りだしつつ、尋ねる。

「そ、ソニア博士、すぐ出発なさいますよね?」
「へ!? えっとぉ……」
「なさいますよね!?」
「は、はい! します!」

準備してきます! とラリニは大股で研究所を出ていく。その背を見送って、もう一度ソニアはホップへ詫びた。

「ほんっとごめん! でもきっと次があるよ! ファイト!」
「……はぁ」

次がいつになるのか全く見当がつかない、と頭を抱えながらホップは崩れ落ちる。今までの中で一番いいムードだったのに、と。
その横で彼を慰めつつ、ソニアは思い出す。顔を真っ赤にして目の前の『友人』が『男』であると認識したラリニの横顔を。

「早めに次=A来るかもよ」

呟いた声は残念ながら「次」をどうやって作るか考えるホップには届かなかったらしく、彼はいまだに呻き声をあげ続けているのだった。


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