タクシードライバーの腕の見せ所は、着陸するときに他ならない。客の入った荷籠をいかに揺らさずに地面につけるか。どんなに回数を重ねても、緊張する一瞬。ラリニもまた同様で、息を詰めながら相棒のへ指示を出す。アーマーガアは羽ばたきを調整しながら、静かにナックルシティの駐車スペースへ荷籠を下ろした。

ラリニは乾いたくちびるを舐め、相棒の頭を撫でてからその背から飛び降りる。慣れた手つきで荷籠のドアのロックを外した。安全性のために、ドライバーがドアを開けるまで客は外に出てはいけない決まりだ。開けたそこから、客の女性が外へ出る。

「ありがとうございました」
「いえいえ。酔ったりはしていないですか?」
「大丈夫です」
 
女性は頭を下げ、料金を払う。ぴったりのそれを受け取り、ラリニは笑顔で彼女を見送った。

「行ってらっしゃいませ! またのご利用をお待ちしております!」
 
彼女を見送り、ラリニは大きく伸びをしてから相棒の背に再びまたがった。今日はこれで仕事が終わりだ。午後は休暇を取ることになっている。ポケモンとともに働く仕事は、こういう面がとても厳しく定められていた。

事務所へ戻り、荷籠の外と中を掃除する。そして相棒を丁寧にブラッシングし、ボールへ戻した。タイムカードを押して、待機している同僚へ「お疲れ様でしたー!」と挨拶をすると、同じ女性ドライバーがラリニへ声をかけた。

「これからブラッシータウンへ行くけど、ついでに乗ってく?」
「いいの? ありがとう!」
 
もちろん、と頷く彼女の荷籠へ乗り込む。たまにはこうして乗るほうに回るのも楽しい。ブラッシータウンに行くなら、きのみをたくさん買おうかな。あとは――と考えて、ふとラリニの頭をよぎったのはホップのこと。

結局、誘われた秋のイベントへは行かなかった。単純に仕事が多かったのもあったが、気恥ずかしさが勝ってしまったのだ。近づいた距離と彼の熱を帯びた表情。金色の瞳は燃えていて、いまだにラリニの心の中を焦がしている。
『子供』ではないからこそ、わかる。もしかして、と胸を過る考え。まさか、ホップは自分のことを……?

「それは自意識過剰だよね……」
「なにが?」
 
いつの間にかブラッシーについていたらしい、同僚がラリニの独り言を聞いていたようだ。なんでもない、と慌てて取り繕って、彼女は荷籠の外へ出た。手を振って別れ、当初の予定通りきのみショップへ向かう。その道すがらにポケモン研究所が見えて、ラリニの脳内に再び彼の顔が浮かび上がる。
 
あれからホップからタクシー依頼はないし、自分から会いに行くのも躊躇う。なにより『ホップに会うため』にポケモン研究所を訪れるのは、違う気がするとラリニは考えていた。そもそもプライベートの番号を知っているのだから、メッセージを送ればいいとも思う。しかし、何を送っていいかもわからない。「私のこと好き?」だなんて、送る勇気はない。

ふいにポケモン研究所を見つめながら、棒立ちとなっている彼女の肩がたたかれる。ラリニが飛び跳ねて、振り向くとはにかみを浮かべるホップの姿があった。喉から声にならない叫びがあがる。

ホップもまた、ラリニに出会うとは思わなかった。しかもブラッシータウンで。ポケモン研究所を見つめていたことに、少し胸が弾む。オレのことを思い出していたのか? と尋ねたいところを、ぐっと我慢した。
この前のことで彼なりに思うところがあったのだ。ここだ! と感じたのは間違いなくて、決められればいいとも。しかし、タイミングを逃せば意味がない。改めてムードを作ることも難しくて、かといって告白は直接言いたい。導き出されるのは『二人きりになる』という答え。あと可能なら、邪魔を入らず、彼女が逃げないような状況を作ること。

ただ今ここで、それをにおわせる言葉を言えば、ラリニは逃げてしまうかもしれない。なにより、どこからか邪魔が入りそうな気がホップにはしていた。
しかし、そんな理性的に考えられていたら苦労はしない。ラリニの姿を見つけて衝動的にアクションを取ってしまったのが、それを物語っている。だから、次の言葉を見つけられないでいた。ラリニも、ホップも、無言のまま、時間だけが過ぎていく。
 
そんな気まずい空気を壊したのは、駅から聞こえる列車の音だった。思いの外響いたそれに、はっと顔を上げたのはホップだった。

「お、オレ、カンムリせつげんに行く予定で!」
「えっ、う、うん」
 
ホップは改めてラリニの格好を見る。いつものタクシードライバーの制服じゃない。つまり、今はオフというわけで。

「ラリニも行かないか!? 前に、行ってみたいって言っていただろ!?」
「で、でも私、カンムリパス持っていないし」
「オレが持っているから大丈夫! 一人までなら、同行できるんだぞ!」
 
急な提案にうろたえるラリニの手をホップはつかむ。握られたそこから感じる熱に、彼女の心臓が大きく跳ねた。さらに近づく彼の顔にラリニは仰け反る。二人の身長差は大きい。それさえも忘れて、ホップは彼女へまた一歩近づいた。

「オレがラリニを守るから、絶対絶対に守るから! 一緒に行ってみないか!?」
 
勢いに押されたのかはわからない。ただ、彼女はホップの誘いに頷いた。それを目にした瞬間、ホップは咲いたような笑顔を見せ、金の瞳を輝かせた。

「じゃあ、行こう!」
「ちょ、ちょっと待って!」
 
二人は手をつないだまま、駆けていく。正直、そろそろ時間が怪しかったのだ。発車間際の列車に飛び乗る。肩で息をする彼らの背後でドアが閉まった。ゆっくりと車体が動き出す。

「わっ」
 
ぐらりとラリニの身体が揺れる。急な電車の発車に耐えられず、前のめりになった彼女を支えたのはホップだった。自分とは違って彼はよろめくことはなく、逞しい腕で倒れかけたラリニを引いて、己の身体で受け止めた。

「大丈夫?」
 
全てが近い。近いから、音が何も聞こえなくなる。正確に言うと、自分の心臓の音しかしない。彼の声さえ遠い。近いのに、遠い。

「ラリニ?」
 
名を呼ばれ、意識が戻る。顔をあげると、バチンと視線が交わった。二人同時に頬に赤く染まる。ようやくホップもラリニとの距離に気づき、ぎくしゃくと身体を錆びつかせながら「も、もう大丈夫だよな!?」と上ずった声を出した。

「う、うん。ありがと……」
「じゃ、じゃあ、どこか座席を探そう。せつげんまではまだ、だいぶあるから」
 
ホップが先導し、車両を進む。空いた座席は、と探す後ろをついていく。窓の外はまだ緑が多い。
早くせつげんに着かないかな、とラリニはぼんやりと考えた。この熱い頬を冷ますのに、雪は必要不可欠であろうから。


***


肺の中も凍りそうな寒さに、身体が震える。初めて訪れたカンムリせつげんはラリニの予想以上の冷えだった。勢いで来てしまったせいもあって、この服装では防寒も何もない。薄手のブラウス越しに腕を擦る。そんな彼女を見て、申し訳なさそうにホップは眉を下げた。

「ごめん、寒いよな」
  
慌てて着ていた上着をラリニに羽織らせる。もともと雪原に来る予定だった彼はちゃんと厚着をしてきていたのだ。勢いで誘ってしまったことに少し後悔する。

「やっぱり帰ろうか?」
 
女性に冷えは天敵、とソニアにもユウリにも教えこまれている。私服はかわいいけれど、風邪は引いてほしくない。名残惜しいけれど、彼女に負担をかけるのは本意ではなかった。しかし、ホップからの提案をラリニは首を降って否定した。

「大丈夫。これがあればあったかいから」
「そ、そっか」
 
ホップの上着はラリニの身体をすっぽりと包んでいる。ジッパーをあげる袖口からほんの少しだけ覗く指先へ甘さを感じ、ホップは視線をそらす。自分の服を着ているだけなのに、なんだか背筋がむず痒くなった。いや、着ているからこそなのだけれど。

「それでホップは何しに来たの?」
「あっ、ああ。定期的にポケモンの生息分布を確認しているんだ。変化があったらすぐわかるように」
 
今日はダイ木の丘あたりを予定している、と彼はスマホロトムを見せてくる。画面に映された地図を見ると、ここからだいぶ先のように思えた。

「私がせつげんの免許持っていたら、アーマーガアですぐだったのにね」
 
ヨロイじまとカンムリせつげんは、特殊な土地であるがゆえにアーマーガアタクシーのドライバーでもそう簡単に空を飛ぶことはできない。必要な資格とそれに伴う免許が必要だった。あいにくとラリニはガラル本土とワイルドエリア横断の免許しか持っていない。
タクシー呼ぶ? とホップに尋ねると、彼は「せっかくだからさ」と提案を口にする。

「ラリニさえよければ、歩いていこう。時間かかるけど、景色でも見ながらさ」
「でも調査の邪魔じゃない?」
「大丈夫! ラリニも手伝ってもらうつもりだからな!」
 
よろしく頼むぞ! と笑う彼にラリニは快く頷いた。


向かってくる野生ポケモンを退けたり、遠くから観察したり、風景を楽しんだり――を繰り返し、二人は調査を進めていった。野生なのに人懐っこいパルスワンの相手をラリニに任せ、ホップはデータの入力を終える。だいぶ時間も過ぎて、太陽も沈みかけていた。
 
ボールレイクの湖畔からは夕陽がよく見える。ちょうど天気も晴れであったことから、鮮やか夕焼けがあたりを染めていた。

「きれいだね」

パルスワンは満足したのか自分のねぐらに帰ったようだ。乱れた髪を整えながら、ラリニがホップの隣に並び、夕焼けを見つめる。

「楽しかった。ありがとうホップ」

自分を見上げ、はにかんだラリニは夕陽に照らされて、いつも以上に可愛くホップには見えた。
あの日、言えなかった想いを伝えるのはここしかない。そう、確信する。

「あのさ、ラリニ」

口の中が緊張で乾く。ラリニは首を傾げ、彼の言葉を待っていた。

「オレ、ラリニが好きなんだ」

ホップはラリニに向き合い思いの丈をぶつける。

「好きってもちろん、男として好きって意味なんだぞ」

ポケモンに優しいところ、仕事に誇りを持っているところ、笑顔がかわいいところ。タクシーを降りるとき「行ってらっしゃい」と言われることが嬉しくてたまらないところ。初めて会ったとき、指先をぼろぼろにしながらも助けてくれたこと。身長を抜かしたときに悔しそうにしていた表情。空を楽しそうに飛ぶところ。
 
ホップはひたすらラリニの好きなところを挙げ続ける。彼女が止めるように言っても「まだ言い足りない」と止めなかった。
彼が満足する頃にはラリニは身体中の水分が沸騰したかのように、熱くなっていた。

「ラリニ」
 
静かに愛しい名前へ呼びかける。

「そうやって照れるところもすごく可愛いんだぞ」
 
低く囁かれた声にラリニの肩が跳ねる。そんな彼女を愛おしそうに見つめ、ホップは言った。

「返事はいつでもいい。だけど、真剣に考えてほしいんだ。ラリニのなかを、オレでいっぱいにしてほしい。……オレももう子供じゃない、男≠セからさ。もう我慢できないんだ」
 
ホップの甘い声と表情を受け止めながら、ラリニは辛うじて頷く。それを確認して、嬉しそうにホップは微笑んだ。


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