涙が、溢れる。
ずっと寂しかった。ずっと戻りたいと願っていた。
私が生まれる前に。
*
「……以上が事件のあらましだ。何か質問は?」
上官が淡々と資料を読み上げる口元をぼーっと眺めていた俺はハッとして顔を上げた。隣のニーナは一切の遠慮なくあくびをしている。
「いいえ、特にありません。……ニーナ」
「ん? あ、私もないでーす」
俺とニーナを見比べた上官はため息をついた。いたたまれない居心地の悪さが俺を包む。
「ああそれと。これは先に捜査に向かった捜査官からの伝言だが……」
言葉が切られる。そういえば、同僚たちがこの事件の捜査に向かっているのを聞いたことがある。幽霊列車だ、なんて笑い飛ばしていた同僚もいた気がするが、無事に戻ってこれたのだろうか?
「解決しようとするな、だそうだ」
「……は?」
その言葉にニーナと俺の声が合わさる。
「この事件はすでに何組かの捜査員とバディが派遣されているが、未だに原因究明されていない。全員が命からがら帰還している。……まぁ、簡単にいうと原因を探ればいい、分からなければそれで構わないが、命を落とす可能性があるから気をつけろということだ。いつでも人命は最優先に考えろ。いいな?」
「はい」
「捜査資料の方に先達の調査報告書も同封してある。参考程度に読んでおけ」
以上だ、と上官が言った。俺は一礼し、部屋を出るため振り返る。
「ニーナ?」
いつもなら挨拶もソコソコに、すぐさま部屋を出て行くはずのニーナが捜査資料を眺めながら固まっていた。声をかけても反応がない。唐突に彼女は顔を上げて上官を見つめる。
「どうかしたかね、ブレスフォードくん」
「この、幼少期の自分に出会ったとはどういうことですか」
とっさにニーナの指差す箇所に目をやった。
『……バーズリー氏の証言「車窓で幼い私を見た。……』
「言葉の通りだ。真偽は不明だが、他の捜査官たちも同様の証言をしている。一種の幻覚だな」
他の捜査官の報告書をめくる。
『懐かしい私と家族がいたが、これが事前に聞いていた幻覚だと認識し手のひらに持っていたナイフを刺して目を覚ました』『思い出したくない過去のはずなのになぜかその場所へ戻りたいと願っていたと思う。次の瞬間、私はそこにいた』『列車が進むにつれ同行していた霊能力者の意識が混濁し始めた。虚ろに過去の自分の話をしていた』
「これは……危険では? せめて成人済みの霊能力者に代えるべきです」
「いい、大丈夫。失礼しましたー」
いつもよりだいぶ大人びた雰囲気を醸し出したニーナがこれまた自分勝手に部屋を出て行こうとする。その姿を見つめる上官と、ニーナの後ろ姿を見比べた後に俺はニーナを追いかけた。
「おい、ニーナ! お前、ちょっと待て……っ」
「んー? どしたのおじさん」
足早に進むニーナの肩に手を置いた。振り返ったニーナはいつも通りの彼女だ。
「お前、本当に大丈夫なのか? 厳しいなら上に掛け合って別の……」
「全然平気だよ? ちょっと気になったから聞いただけだし。明日の夕方からだよね、アタシ用事あるから帰るよ」
そういうとそそくさと自分の荷物を取り、出口に向かっていった。口を挟む間も与えないしゃべり口はいつも通りだが、どこか不安を押し殺そうとしているようなニーナの様子が引っかかった。手元の捜査資料に目を落とす。どうにもならないものは仕方ない。これは報酬の出る仕事なのだから。
自分のデスクに戻りパソコンの電源をつけた。この事件の情報をできるだけ集めよう。せめてあの子に危害が加えられないように。
*
授業終了を告げるチャイムが鳴る。硬く握りしめた両手をそっと開いた。そろそろ時間だ。一言も発せず、すでに帰る準備をしていたリュックを掴んで教室を出た。
「あ、ニーナ帰るの!?」
背後から聞こえた幼馴染のジェシカの声も、手をあげるだけで答えなかった。仕事なのだから仕方ない、とわかっていた。けれど今日オフィスに行くのはなんとなく嫌な感じがする。普段は楽しみでしょうがないのに。
昼間の出来事が頭の中で繰り返される。今更すぎる無意識の誹謗中傷に自分が動揺しているのはきっとこの後行かなくてはならないきな臭い事件のせいだ。
『え、ニーナちゃん孤児だったんだ』
初めて話す子だった。ジェシカの友達かなんかで、お昼を一緒に食べたのだ。その時何の気なしに出た家族の話題で地雷は踏み抜かれた。あの視線と口ぶりを嫌という程知っている。可哀想。嫌気がさす。どうして家族のいる人は可哀想じゃなくて家族のいない人可哀想なんだろう。逆のパターンだって絶対にあるのに。
とはいえ、普段ならこんなこと笑い飛ばしていたのだ。私は今が幸せだから大丈夫、と。過去が見えるという列車。戻りたくなるという列車。行きたくない。私は……何年経っても自分の中で過去に結末をつけられない。
地下鉄を乗り継いで数駅、オフィスのすぐ近くの駅に到着する。いつもと変わらず喧騒に飲まれていった。大きな合衆国警察本部の建物が見えてくると全く正反対の感情が同時に押し寄せた。
中に入り、受付で手続きを済ませて歩き慣れた廊下を歩く。
事件は簡単だった。深夜、どこからともなく訪れる列車に乗り込んだ被害者が知らぬ間に死の危機に瀕してしまう。その列車がどこからくるのか、どこに行くのかもわからないし、被害者たちが列車に遭遇した場所はバラバラだった。ただ、零時を過ぎてから深夜にその事件は起こるのだという。
今夜からその事件発生時間までこれまで事件が起きた場所を巡り、実際に列車に乗り込んでその原因を探る。それが私とダニーの今回の任務だ。
「こんにちはー」
特別うるさいわけでも、静かすぎるわけでもないオフィスはやはりいつも通りのざわつきを持って私を迎えてくれた。ここはいい。私なんて普通の人間だと思えるくらい普通じゃない人間がたくさんいる。
「おう、ニーナ来たか」
「うん。なんか新しくわかったことある?」
事件が始まるとダニーの机の上は大惨事になる。そこら中に広げられた捜査資料と置きっ放しの紙コップが不思議な景色を演出していた。
「いや、やっぱり捜査資料以上のことは何もわからない。霊的なものに関係するならって思って列車に関連する特別な過去の事件とか探したけどこれといったものはなかった。……お手上げだな。現地調査するしかない」
「ま、そうだよね。そんな簡単にわかったら捜査官たくさん派遣されてないだろうし。日が暮れるまでだらだらしてていい?」
ため息をついたダニーが仕方なさそうに応接用のソファを指差した。少し気が楽になる。状況は何も変わってないけど、ダニーと話せたから。
記憶の車窓事件捜査開始