一陣の風が吹いた。生ぬるい温度が頬を撫でる。もうすぐ時計の針は揃って零を通り過ぎようとしていた。
「まだ人結構いるね」
「まぁこんなもんだろうな。今日は金曜日だし」
深夜に及ぶ事件のため、本部側も学校を考慮して日時指定をしてくれた。事件はどんな曜日にも起きているし関係ないのだろう。本部の最寄りの地下鉄のとあるホームに二人で並んで座る。もう二時間くらいは経っているが、一向にそれらしき列車は現れなかった。駅員には事情を説明してあるが、目の前を通り過ぎていく乗客たちの視線が時折痛い。若干の眠気が襲い、何度目かわからないあくびをした。
「もしここに幽霊列車が来たらさ、ここにいる人たちみんな巻き込まれるのかな」
「……どうだろうな。ただそうなると流石に全員救出は厳しい」
だよねー、と相槌を打つ。できることなら誰一人巻き込むことなく事件を解決できたらいいのに。誰も悲しむ必要はない。
「間も無く……番線に電車がまいります……」
同じように流れるはずのアナウンスに雑音が混じった。あれ? と思って顔を上げると、さっきまで周りにいたはずのまばらな人々がいなくなっていた。
「ニーナ、わかるか?」
「……くる、多分」
ゾワっと鳥肌がたった。徐々に何かが近づいてくる。この気配は間違いなく霊体だ。怖い。普通、霊体の気配には"目的"がある。誰かを憎んでいたり、愛しすぎていたり、何かに怯えていたり、ただ寂しがっていたり……。この列車にはそれらがない。感じ取れない。目的がなくただ走っている。
プァーーー、と音を立ててホームに滑り込んで来た列車は随分と古ぼけたものだった。こんな電車、テレビの中でしかみたことない。
「随分レトロな電車だな」
「おじさんレトロって言葉知ってたんだ」
「お前なぁ……。まぁいい、行くぞ。本当に大丈夫か?」
覗き込むダニーの顔を見て、一瞬言い淀んだ。この列車がどんな列車なのかは先達の情報でわかっていた。ここで仮に私とダニーが帰って、ダニーが後日別の霊能者と一緒に来ることだってできるはずだ。もっと霊能力の強い霊能者ならこの列車に取り憑いた霊も綺麗にできるかもしれない。私じゃなくてもいい、私が行かなくてもいい。
……でも。
なんとなくとしか思えないけれど、今ここで一歩踏み出せば私はこの先いつか、過去に結末をつけられるかもしれない。今まで変わらずにくすぶっていた思い出とも呼べない代物たちがどこかで完全燃焼してくれるかもしれない。私は、私は……。
「……うん、アタシはヘーキ!」
精一杯の虚勢を貼った。もう少し、頑張ってみよう。ダニーがいるからきっと大丈夫。電車のドアは開いている。二人でゆっくりと足を踏み出した。少し震えていた手は秘密だ。
*
列車の中に人はいなかった。どこか靄がかっているような車内をゆっくりと進んで行く。不安がまだ抜けないため、ニーナの手をそっと握った。
「なんかわかるか」
「んー……黒い影みたいなのがちょいちょいいたりする。でも……あんまり感情とかそういうのはないみたい。だから話も聞けないかも」
霊からの情報提供は見込めないようだ。乗り込んだ号車の端までたどり着き、次の車両とつなぐ部分の壁を見る。
「ここは五号車か。念のため車掌室まで行くぞ、いいな?」
「うんおっけー。あのさ……」
何か言いたそうに言い淀んだニーナの方を向いた。珍しく動揺しているようで、視線がうまく定まっていない。
「……手、離さないで」
その瞬間、思い出した。いや、十分にわかっているはずだったが彼女の気丈な態度に薄れかけていたのだ。ニーナはまだ十八のガキだ。当然こんな現場は怖いし、怯えて当然なのだ。
「わかってる」
繋がれた手をぎゅっと握りしめた。弱く握り返すその力が彼女の不安を表しているようで、守らなくてはと心に決めた。
五号車と四号車の間を通り抜け、四号車に足を踏み入れた。雰囲気は五号車と特に変わらない。ただ、この路線は本来窓の外が街明かりに照らされるはずなのだが、ずっと真っ暗で何も見えないことが引っかかる。やはりこれは件の列車なのだろう。
同様にゆっくりと歩いて行く。三号車に渡ろうとした瞬間、つないでいた腕の重さが増した。
「ニーナ!?」
振り返ればその場で崩れ落ち、座り込んでいる。その視線は窓の外を驚いたように見つめていた。
「おい、しっかりしろ。ニーナ!」
肩を掴んで揺らす。顔を覗き込んでも俺の姿はいないようだった。
「……マ、マ」
その言葉を聞いた瞬間、思わずその視線の先を見てしまった。漆黒の闇が広がる窓を。まずい、と思ったが遅かった。窓に映っていたのは反射した今の俺の姿ではなく小学生くらいの頃の俺の姿だった。