胸のあたりがざわつく感じ。
 よくわからない感覚。気づけば頭の中には一人のことだけが占めていて、姿を見ると嬉しくなるし、声を聞くとすぐ振り返りたくなる。逆に、姿が見えないと不安になるし、声を聞けないと少し物足りなさを感じる。彼女が男と話していると友人だとわかっていながらも、その笑顔が向けられているのに嫌な感情が湧き上がる。けれど、一度俺の方に向けられれば全てがどうでもよくなって彼女だけしか見えなくなる。
 胸の中は嬉しい感情と、彼女に会いたい感情と、少しのモヤモヤする感情でごった返していた。
「……わっかんねぇよ!」
 あぁ……と切なげな声をあげて潰れたジョナサンが、フィールドの中に所狭しと並んでいた。教師に頼み込んでりんご割りを永遠と繰り返していた。もうあの声を聞くのも何度目かわからないし、途中から施工に集中し過ぎて何も聞こえていなかったかもしれない。ぐしゃぐしゃになったりんごはフィールドを赤く染めていた。
「荒れているな」
「あ?」
 鉄パイプの先はリンゴの果汁に濡れていた。背後からかけられた声に振り返ると、そこには日照の姿があった。
「日照かよ」
「そんなに嫌そうな顔をするでない。これだけジョナサンを虐殺しておいて、放置する気か?」
「んなこと言ったって食えるもんほとんどねぇだろ」
「……考え事に耽るならここは合わぬ」
 諭すようなその言葉に、それもそうだと返事に窮した。まるでこちらの悩みを見透かしているかのように、日照はまだ無事なリンゴを拾って宙に放り投げた。重力には逆らわず、りんごは再度日照の手元に吸い込まれていく。
「魔物にも上限がある。無駄撃ちはやめよ」
「……悪い」
「わかれば良い。して、何を悩んでいる?」
 何を悩んでいるか、その質問に答えられるなら、解決策もわかるはずだ。世の中の問題ごとというのはそういうものだと、なんとなく体感している。日照は答えられない俺の姿をじっと見た後、手に持っていたりんごをこちらに投げてよこした。突然の投擲に驚きつつもそれをキャッチする。力を入れずに攻撃したせいか、表面に傷がついているだけで気色の悪い指と顔が消えているだけのただのリンゴだった。
「ふむ。そちの頭は良くない」
 あまりにもど直球な言い方になんの声も出なかった。日照は俺の反応すら気にせず言葉を続ける。
「だからあまり難しく考えるでない。そちは本能に従っている方が似合っておる」
 それだけ言うと日照の姿は扉の向こうに消えていった。日照なりに少し、心配してくれたのかもしれない。その小さな後ろ姿を眺めながら、ため息をひとつついてりんごにかじりついた。

名のない感情

日照くん(@4673kanata)

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