煤竹と名乗る同胞と、それと融合した魔物アクズミの話をあらかた聞いた後、また屋外へと足を早めていた。僕の少し後ろを亞が小走りでついてきている。
「ね、姉さん、あの、煤竹さんも一緒に……」
「どうして?」
思わず声に棘が混じった。亞がビクッと体の動きを強張らせ、僕とのあいだに距離ができる。
「だ、だってあの人も、忍鬼だし……」
「忍鬼? 本気で言ってるの」
振り返って亞を睨む。目を凝らせば、亞の胸あたりに白い炎が見えた。通常の忍鬼であれば、この炎は青色に見える。生まれたときは白、そこから成長するにつれて徐々に青が深まっていく。僕は炎の色が青に変化するまでにかなり時間がかかった方ではあったが、亞はまだほとんど成長していない。
「アンタにはまだ見えないのかな」
「……炎、ですか」
「うん。煤竹のものは、母に似ていた」
僕たちを生み出した母体。母をまとっている炎は黒だった。煤竹の心臓に見えたのは亞とは真逆の真っ黒な炎だ。しかもそれはひどく濁っていて、母のものともまた違う。あれから生は生まれない。
「ずっと昔、アンタが生まれる前、聞いたことがある」
それは僕が、忌々しい僕よりも上の立場の同胞から聞いた話。
「忍鬼が死ぬとき、その体は炎で包まれる。そのもの自身の炎で。体は徐々に焼けていき、最後に残るのは燃え尽きた炭だけ」
「えっと……つまり、どういうことですか」
話のつながりが見えない、と困惑した表情で亞はつぶやいた。
「煤竹もそれに似ているってこと。僕は別に忍鬼が死んだところなんて見たことないけど、煤竹の黒い炎は炭に近い。……亞、掟の二つめ」
「忍鬼、自ら死を望むことなかれ、ですか」
「煤竹は自分を忍鬼と言っていた。誇りは失っていない、と。でもそれは間違ってる。死を望んではならない忍鬼が自ら死に近づこうとするなんて、どう考えてもおかしい。その意味であいつは危険。だから一緒にいない。わかった?」
止めていた足を外側へ向ける。こんなところで話しているよりも、もっともっと倒さなくては。煤竹もそうだけれど、僕はトイ=テン=フェルを許さない。死を軽んじるあいつに、これ以上の死は与えない。死にそうになっている生徒がいるなら全員助ける。無理だとは思わない。僕は僕のできることをする。
「姉さん、その、それだけ、ですか」
「……なに?」
歩を進めない亞がやけに通る声でぼやいた。
「どうして煤竹さんがあの、アクズミという魔物と契約したと思いますか」
「そんなの……あいつが力を欲したからでしょ」
「そ、そうです。だから、僕はわかります。煤竹さんの、気持ちが。姉さんも、わかるはずです。だってここにいる忍鬼は」
「黙れ」
腹の底から響くような声が出た。自分でも出したことのない声だった。どうして自分がそんな声を出したのか、嫌という程わかる。図星だからだ。
亞の言わんとしていることは痛いほど理解していた。ここにいる忍鬼は見捨てられた忍鬼。故郷で使えない、と言葉裏に言われた忍鬼だ。力がないから。母の気まぐれで僕たちには与えられなかったから。
「姉さんは……っ」
何かを言おうとした亞の姿が突如土色に飲まれた。あまりにも突然のことに体が動かない。床を突き破るようにして現れたワームがスローモーションに見えた。さっきのとはもちろん違う個体。なぜ気づかなかった。感情に支配されすぎていた。亞は、無事だろうか。
運良くワームの口が僕の方を向いた。あの子は戦えない。力もない。僕が守るしかない。
「亞! 生きてる!?」
「……だ、大丈夫です」
かすかな声がワームの向こう側から聞こえた。かすかな安堵を覚えながら、ワームを見据える。やるしかない。さっきの戦いでクナイを一本無くしていることに気づいた。……大丈夫、きっと平気。
「姉さん、逃げましょう」
「馬鹿? このくらい、倒せる」
「む、無茶です。強化もいないのに、こんな……!」
亞の顔がワームの横から此方を覗いた。体を地中から出そうと四苦八苦しているワームはまだ襲っては来ない。
「強化がなくても弱体がいる」
僕の言葉の意味を理解した亞が微妙に表情を変えた。
「ぼ、僕はもう、魔力がほとんどありません」
「じゃあここで一緒に死ぬ?」
亞の悩ましげな表情が、ワームの陰に隠れた。ついに動き出したワームめがけて鬼火を投げる。当たったそれはさして効果もなく、ただ土に飲まれた。見た目はただの巨大な虫だが、魔物らしくそれなりに防御力もあるのだろう。今は少しずつ削るしかない。吹き飛ばすだけの魔力も僕には残っていないし、亞の協力は不可欠だろう。
「ちょっと亞!? ぼーっとしてないでさっさと弱体させてくれない!?」
一向にひるむ気配のないワームが亞の様子を僕に見させない。迫ったワームの口を、とっさに抜き取った残りのクナイで防いだ。
「どうして……」
亞の声は、どうしてこういうときはっきり聞こえるんだろう。
「どうして、姉さんはそんなに強いんですか」
「強くなんかない」
「いいえ、いいえ。十分強いです。故郷に厄介払いされたのに……姉さんはそれをわかっているのに、どうしてそこまでして生きようとするのですか」
わかりきった質問をする。僕がここにとどまっている年月をこの子は知らないのだろう。もし、故郷に戻りたければ僕は今すぐにでもここから抜け出せている。去年のうちに卒業して……否、百年以上も留年などしていない。
この子は何も知らないのだろう。故郷のことも世界のことも何も見えていない。だから聞くのだ、なぜ生きるのかと。
「まだアンタにはわからないかもね」
なんとか弾いたワームの体が天井を削った。バラバラと落ちた瓦礫をとっさに避ける。ワームの首がうねり、再度その口を開いた。漆黒の闇が奥に広がっている。
「僕は……故郷に思い入れなどない。自分の種族の誇りはあるけれど、故郷が大事だとは思わない。むしろ、ここに入れてくれた故郷に感謝している」
ワームは亞を狙わない。残り魔力が少ないというのは本当だったのだろう。ワームの餌にはなり得ないと、言われているかのようだ。
「僕は故郷で生きたくない。……ううん、僕はここで生きたい。この僕の居場所を守りたい。僕の生きているこの世界を、守りたいの」
もとより座学は得意だった。故郷でもかなり評価されていたと思う。ただ実技だけが、どうしても僕自身の力だけでは及ばなかった。頭脳よりも力を重んじていた故郷で僕が活躍できないのは当然だ。だから言われるがままにここへ来た。僕の知らない世界が広がっているここでは、やっぱり僕の力は及ばなかった。
それでも。
僕がストレートで五年生まで上がれたのは、ここにいる生徒たちが僕に教えてくれたからだ。色々な戦い方を。戦うときに重んじられる役割を。僕の、できることを。
何もできなかった僕が今ここにいるのは、この場所があったから。いろんな人に出会えたから。だから守りたい。そう思い至るのは至極当然だと、僕は思う。
「もちろん亞、アンタも」
不思議な風が、もしかしたら前から吹いていたのかもしれないけれど、亞の前髪を一瞬かきあげて視線があった。忌み子と呼ばれる理由。鬼火を持たない白い目の個体。それはまるで未だ生まれたての赤子のように、不安と期待にまみれて僕を見つめていた。
次の瞬間、亞が息を吸い込む。口から吐き出された白い息がワームを取り囲んだ。僕の方にも及んだそれをとっさに避け、退避する。ワームの体が徐々に動きを鈍らせていた。それが弱体化させているのだと理解するのは容易い。
ありがとう、と僕はつぶやいたのかもしれない。飛び上がった僕の方を向いてワームが口を開いた。僕は落ちて行く。懐から小型ナイフを取り出して、クナイと共に構えた。服は汚れるかもしれないけどもう今更だ。ここでこいつを仕留められればそれでいい。
「……死んで」
両手で握りしめ、外側を向いた刃物で体を囲みながら牙に当たらぬよう滑り込んだ。周りの景色が失われ、ささやかな光に照らされた土色の肉壁だけが目の前に移る。両腕がワームの体を切り裂いて行く感覚をはっきり感じながら、その胃の中を落ちていった。
「姉さん!」
ワームの体は動くのをやめ、沈黙する。くぐもった亞の声が聞こえてすぐ、僕の頭上は光に照らされた。真っ二つにスライスされたワームの体の片方を亞が持ち上げて覗いていた。
「……よかった」
そう言ったのは、僕と亞のどっちだったのだろう。
忍鬼ワーム討伐終了。