復讐

6.0 割れる空からの声
茉紘


 覚悟した死は僕に及ばなかった。
 先ほど嗅いだ、焦げた匂いが横を通り過ぎる。僕の体はしっかりとした質量を持った手に抱えられ、横に転がった。
「なんかこんなんばっかだなァ」
「う。う!」
「逃げる、ってよ」
 煤竹は相変わらず煙を放出しながら必死でどこかを指差していた。僕とエクスピアシオンの間にはいり、背中を完全に魔物の方へ向けている。
「……いい」
 今更。逃げるなんてそんなことしなくていい。ここで亞は消えたのだ。僕が何もできなかったから。僕はその責任を取りたい。誰に強要されなくても僕はそうしたい。何もできない僕は生きている意味がない。
「甘えんな」
 攻撃を外したエクスピアシオンは、さらに濃くなった魔力を探知してこちらへと矛先を向けた。すぐ気づいた煤竹が振り返る。僕を守るような大きな背中が目の前に聳えた。アクズミと名乗っていた魔物だけが僕の方を向いていつもよりはるかに厳しい声を出す。
「死ぬのは美徳じゃねェ。お前の命で補える責任なんか一つもねェんだよ」
 煤竹の煙が少しずつ伸びているのに気づいた。あたりを充満させるそれは徐々にエクスピアシオンを捕捉している。薄く伸びる影の瞳が一瞬、赤く燃えた。
「どうせ死ぬなら役に立ってから死ね、って煤竹が」
「うー!うー!」
 違う違う、と首を振る煤竹は見た目の年相応に見えた。一瞬振り返った煤竹と目があって、優しげに微笑んだ。その時自分が驚くほど矮小な人間に思えて消えてしまいそうだった。
 煤竹が出した炎は黒々としていて、銀色に輝くエクスピアシオンをその中に隠してしまった。煤竹の袖が僕の腕を掴む。その中にはまたしっかりとした肉の質感があった。
「う……あー……う?」
 大丈夫? と瞳が訴えていた。視線を外せず、ほんの少し、一度頷く。
 腕を引っ張られたまま煤竹は浮遊を始めた。僕の体もあっさり浮かんでいる。黒い炎に包まれたエクスピアシオンをその場に残し、あっさりと戦線を離脱する。されるがまま、遠く離れていく対照的な炎をじっと見つめていた。



 亞の死を改めて説明すると、煤竹もアクズミも黙ったまま小さな種火を目の前に出現させた。驚いて煤竹を見ると黙ったまままた微は笑んだ。
 忍鬼は従来、任務先で死亡する。と言っても炎に飲み込まれて母の胎内に帰るだけだと伝えられているのだが、それゆえに葬儀という文化がない。それでも仲間との少しの間の別れを惜しむため、きっと誰かが編み出したのだろう。自身の炎のなかにその者の遺品を入れて燃やし、空へ還していく。
「……何もないよ」
「う」
 それでもいい、と言っているかのようだ。諦めて僕も炎を出した。蒼い炎と黒い炎が重なって混じり合い、溶けて空に消えていった。
「う、う」
「……アァ? 言わなきゃなんねぇのか?」
「う!」
「……助けてあげられなくてごめんね、だとよ」
 煤竹の代わりにアクズミが不満そうにぼやいた。見開いた目が乾いて、涙が溜まってくる。ちがう。ちがう。何か言いたいのに今口を開けば嗚咽しか漏れない。ちがう。僕が、僕のせいで。僕が何もできないから。
「……泣くな」
「ちが……っう、うう……っ」
 悔しい。悲しい。やるせない。圧倒的な無力感。喪失感。僕には何もない。何一つ成長しなかった。
「テメェは一人で背負い込みすぎだ。その小せェ体一つで何ができる。一人でやろうとするから失敗する。何百年生きてるか知らねえが、力がねェなら求めるか集めるかくらいしたらどうだァ?」
 言葉が表面を撫でるように通り過ぎていく。頭の中に入っても意味を理解するまでに時間がかかった。
「って煤竹が」
 煤竹は今度こそ否定しなかった。煤竹色の着物に隠れた手らしきものを僕の方へおずおずと差し出すだけで何も言わない。
 逡巡する。手を取るべきか否か。煤竹は忍鬼ではない。死んでいる。僕の仲間ではない。でもそれがなんだというのだろう? この学園にはいろんな種族がいた。種族で差別することなんて一切なかった。どうしてこんなに目の前の生徒を敵視してしまうのか、わからなかった。
 否。
「……ごめん」
 わかっている。
「僕にアンタたちの力は必要ない。やっぱり僕は死体と一緒に動くことはできない」
「テメェ……」
 アクズミが明らかな警戒心をぶつけた。それでいい。
「でもアンタが……煤竹が僕を助けてくれたのは、感謝してる。ありがとう。まだ僕は自分の中で何も整理がついていないから、とりあえず今できることをする」
「できること、だァ?」
「うん。白い竜を殺す」
 立ち上がった。空に浮かぶ浮くしさすら感じられた白い竜に向けて一歩踏み出す。

「だから、全部終わって生きていたらまた会おう」

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