届いた報せ


- L -

「緊急事態だ」
 そのあとの言葉を認識してからは、指先が震えていた。体からごっそり温度を取り除かれたかのように末端が冷え、頭の中がどんどん冷静ではない虚空になる。心臓の速さだけは理解していた。
 周囲のざわめきはもう聞こえない。教師の言葉すらも聞こえない。思い出すのは、あの忌まわしい記憶だけだった。
 まだ壊すというのか。俺の、故郷を。世界を。全てだったものを。セバスチャンは大丈夫だろうか。実家は襲撃をうけているだろうか。今度は濁流のように思考が動いていく。導かれる答えはしかし、たった一つに絞られた。
 準備などとうにできている。必要なのはこの肉体だけ。俺は行かなくてはならない。震える一歩を踏み出すのには、流石に勇気が必要だった。
 あの頃と違うもの。それはきっと、俺に力が得られたことだ。あの時のようにただ見ているだけではないことを、俺は知っている。今は助ける力がある。この手で、俺の魔法で助けられる。だから……やるしかない。
「レイ」
 無音だった世界に突如その言葉は明確に聞こえた。振り返ってそこにいたのはアルミリア。すでに背中には斧が背負われている。いつも通り口元にはマスクをつけ、赤い瞳が二つこちらを覗いていた。
「遺跡でのことを、覚えていますか」
「はぁ?」
 素っ頓狂な声が漏れた。自分でも驚くほどにその声は苛立っていて、アルミリアの表情がほんの少しだけ硬くなるのに気づく。まずい。完全に無意識だった。アルミリアだって人の感情はある。きっと俺の焦りや苛立ちに気づいてしまったのだろう。
「……悪い、で、なんだって?」
「空の民。遺跡の石板にあった文言です。そして穢れを閉じた空の蓋……」
「アルミリア」
 さらに何かをいいかけた彼女を制止する。素直に口をつぐんだ彼女へ、申し訳なさを全力で言葉に込めながら口を開いた。
「悪い。その話は、また向こうで会ってからでどうだ」
「……どうして」
「心配なんだ。故郷だから」
 瞳がほんの少しだけ見開かれた。ふっと細められ、下を向いたアルミリアは頷く。
「引き止めてしまって申し訳ありません。また向こうで会いましょう」
 うやうやしく手をゲートの方向へ差し出した彼女の仕草にそこはかとない皮肉を感じながら足を向けた。今度はすんなりと一歩が出る。彼女には悪いことをした。そう思っていながらも、今は一刻も早くハイリヒンメル へ向かいたかった。

- M -

 まただ。また始まった。またこれだ。
 全体招集が終わったあと、慌てて部屋へ戻った。ベッドの横にかけていた太もものベルトを装着する。カチッと音がして二つのクナイはしっかりと太ももの横に固定された。ジャケットを手に取る。勢いよくはおり、ナイフケースとともにナイフを懐にしまった。手のひらに小さな種火を出現させる。大丈夫、いつも通りの魔力だ。変化はない。けれど。
 あの教師の切羽詰まった声。きっと他の生徒もただで済むとは思っていない。これは、少なくとも今年入ってから一番大きな討伐依頼には違いない。長年ここで過ごしてきたからわかる。
 同室のヒルデはまだ戻ってきていない。おそらくはいかないのだろう。そういうタイプにも見えない。
 机の中から便箋を取り出した。ペンを掴んで走り書きする。伝えなくては。あのバカが暴走しそうなことだから、その肉親である彼にも。いや、きっと彼にも情報は行き着いていると思うけれど。まとまらない脳内で単語の羅列を書いた。届く頃にはもう終わってしまっているだろうか。
 封筒に手紙を押し込み封を閉じた。ヒルデにも置き手紙を残そうかと思ったが、彼女なら察していてくれるはずだ。
 討伐に行く前はどうしても、マツリカを思い出す。あの時部屋でのうのうと過ごしていた自分を呪うとともに。誰も死なせない。もう誰にもあんな思いはさせない。僕はそう決めている。どんなに敵が強くても、どんなに不利な戦いでも僕は……僕は、生きて帰るし全てを守る。
 部屋のドアをパタンと締めた。左手の小指に収まった鈍色の指輪は、その光を強めていた。