日常編 * 日常が軋む音 *


 梅雨の時期になり、じめじめと湿気た空気が続いていた。
 それでも雨は6月の前半だけで終わり、今では快晴が続いている。
 中途半端な空気は鬱陶しいけど、雨が降るよりはマシだ。
 けれど午前中の空気はカラッとしているので気持ちいい。
 そんなよく晴れた日のことだった。

 コンコン、とガラス戸から音が聞こえた。
 夕日が射し込むベランダの方を見れば、もう一人の幼馴染がいた。

「アルド?」

 アルド・ダンブロージョ。5年前から私の護衛をしているボンゴレファミリーの一員。
 彼の家は我が家の隣。こぢんまりとした一軒家だ。
 偶然にも私の家のベランダと彼の家のベランダは近い位置にあるから、時々こうして家に来る。

 ガラス戸を開ければ、アルドは難しい顔で告げた。

「晴のアルコバレーノが来るって報せが来た」

 ……マジっすか。
 そういえば来週の月曜日は18日。原作が始まる日だ。

「祈の幼馴染の家庭教師になるそうだから、しばらく会わない方がいい」
「……わかった」

 会えなくなるのは不満だけど、仕方ないと割り切らないと。今はまだ巻き込まれたくないからね。
 綱吉には悪いけど、私は傍観者でいさせてもらうよ。


◇  ◇  ◇



 今日は6月18日。とうとう原作の日が来た。
 これから綱吉は苦難に立ち向かうスタートを切る日だ。
 今日から綱吉の家に行けなくなるのが残念だけど、我慢しないと。

 放課後になって、私はいつも通り夕飯の買い出しに行った。
 スーパーで主婦達とタイムセールで戦って、カレーに使う牛筋をゲット。
 上機嫌で家路を歩いていると、前方から声がかかる。

「あっ、祈ちゃん!」

 このかわいらしいソプラノの声は、友達の笹川京子だ。
 顔を上げると、京子の隣には勘違い野郎である持田。
 ただ委員会が同じだということだけで恋人気分を味わっている馬鹿だ。

「買い物?」
「うん。京子は?」
「委員会で必要なものを揃えるの」

 あぁ、やっぱり持田は眼中無しだ。

「なんの、これしき」

 その時だった。痛そうな音と気合を入れた声が聞こえたのは。
 驚いて見上げると人影が降ってきた。その子は持田を押し退けるように着地して、私達に向く。

「おっ、偶然発見!!」

 その人物は、綱吉だった。
 パンツ一丁で額に橙色の炎を灯していることから、死ぬ気モードであることがわかる。
 初めて見るけど、頭熱くないのかな?

「オレとつき合ってください!」

 ……あれ?

「キャアアアア」
「京子! てんめぇ! ふざけてんじゃねーぞ! ヘンタイ野郎!」

 勘違い野郎が綱吉を殴り飛ばして、悲鳴を上げて逃げた京子を追う。

 ……何で名指しじゃないの? しかも私と京子に向かってだと、どちらに告白したのかわからないんだけど。

 死ぬ気モードが解けた綱吉は青ざめて頭を抱える。
 可哀想なので、午後の体育に使った体操服を鞄から取り出した。

「綱吉」
「! 祈!?」

 驚きのあまり固まる綱吉。
 赤面したり青ざめたりで忙しない彼に体操服を渡す。

「はい、これ」
「えっ」
「風邪ひいたら大変でしょう?」
「あ゙あ゙あ゙!!」

 自分の格好に気づいた綱吉は叫ぶ。
 苦笑して押し付ければ、綱吉はぎこちなく「ありがとう」と言う。

「京子のこと、応援するからね」
「え゙!?」

 綱吉は引き攣った声を上げたけど、私は無視してその場から去った。
 だってあの赤ん坊がいるんだもん。逃げるが吉。


 そんな私は、原作のズレを無視した。これが私の運命を変えるなんて知らずに。


◇  ◇  ◇



 朝早くから1年生達がうるさく騒いでいる。
 これは、あれだ。勘違い野郎が、綱吉が京子に告白したことを言いふらしたからだ。

 ……あんの勘違い野郎。射て殺したろうか。
 A組が騒がしくなる。おそらく綱吉が来たのだろう。

「なあ、オレ達も行こーぜ」
「あたしもー!」

 C組の子達も全員出ていく。この野次馬どもめ……。
 私は溜息をついて、逡巡したけど行くことを選んだ。

「祈ちゃん!!」

 教室から出てきた京子が抱きついてきた。

 え、ちょ、みんなに見られてるんだけど!!
 でも、混乱気味の京子を見ると放っておけない。

「あの……あのね……っ」
「落ち着いて。ほら、深呼吸」

 頭を撫でて深呼吸を促す。すると、京子の親友である黒川花が話した。

「うちのクラスの沢田が京子に告白してね、『京子を泣かせた奴は許さん』って持田センパイが成敗するってさ」
「泣いてない! それに持田センパイとは委員会が同じだけで……」
「……勘違い野郎が綱吉を成敗?」

 思わず低い声が出る。
 薄ら笑いが浮かぶ私に、京子はきょとんとする。

「京子だけじゃ飽き足らず、綱吉にまで手を上げようと……? ふっ……うふふっ……馬鹿にも程がある……」

 いい度胸じゃない、持田剣介。

 黒い笑みを浮かべる私に黒川花は引き攣るが、京子は不思議そうな顔をする。

「祈ちゃん?」
「大丈夫。私も了平もいる。何があっても心配する必要はないよ」

 ぽんっと京子の頭に手を乗せて、ニコリと笑う。

「京子を傷つける奴は、私達が全部潰してあげるから」

 友達を守れない奴は友達じゃない。友達のためなら、私は剣にも盾にもなってやる。
 不敵に笑ってみせると、京子は泣き顔から明るい笑顔に変わった。

「やっぱり祈ちゃんはかっこいいね」
「ありがとう。じゃあ、行こうか」
 うん!と笑顔で頷く京子と一緒に道場へ行く。
 京子が入ったところを見計らって、勘違い野郎こと持田は芝居がかった台詞を言う。

「きやがったな変態ストーカーめ!! おまえのようなこの世のクズは神が見逃そうが、この持田が許さん!! 成敗してやる!!」

 どっちが変態ストーカーだよ。ていうかクズはお前だ馬鹿野郎。
 胸中で罵っていると、持田は青ざめて震える綱吉に無理難題を告げた。

「貴様は剣道初心者。そこで10分間に一本でもオレからとれば貴様の勝ち! できなければオレの勝ちとする! 商品はもちろん、笹川京子だ!!!」

 うわー……ゲス顔だ。
 目に見えた勝負なのに、野次馬は綱吉がボコボコにされるのを見に来ている。

 ……うわぁ、気分が悪くなってきた。
 トイレ逃走(エスケープ)しちゃった綱吉に、持田は不戦勝ということに高笑いしているけど、そう上手くいくかな。
 あの晴のアルコバレーノがついた綱吉を前にすればゴミも同然だ。

「ぅぉおぉおっ」

 その時、廊下側から雄叫びが聞こえた。

 あ、来た。

「いざ! 勝負!!!」

 昨日と同じ姿と形相で入ってきた。つまり、今の綱吉の格好はパンツ一丁だ。
 まだ見るのは二回だけど、迫力あるなぁ。
 野次馬は非難の声を上げ、ヘンタイとか言っているけど……海水浴の時って男子は海パンだよね? さして変わらないのに。

 そんな何気ないことを思っていると、綱吉は竹刀も防具も持たずに暴走車のように突っ走る。

「ぶっ、ギャハハハ、裸で向かってくるとはブァカの極みだな!!!」

 吹き出して高笑いする持田は気持ち悪かった。下衆顔って嫌だなぁ。

「手かげんするとでも思ったか!! 散れ!! カスが!!」

 カスはお前だ馬鹿野郎。

 振り上げられた竹刀を勢いよく下ろした持田。
 もろに顔面に叩き込まれた綱吉は気合で押し返し――

「だあ!!」

 渾身の頭突きを持田の頭に入れた。
 竹刀越しだから竹刀が無残に壊れ、持田は白目を剥いて倒れる。
 そして、綱吉は持田に馬乗りになって手刀を掲げ――

「うおおぉっ」
「ぎゃっ」

 ベリ、とありえない音を立てた。
 よく見ると、綱吉の手には持田の前髪がごっそりと……。

「100本!!! とったーーっ」

 要は頓智だ。何を取るか言っていないし、髪なら何本でも取れる。
 ていうかあれ、百本以上あるよね……?

 綱吉は前髪を審判に突き出すが、持田の息がかかった審判は赤旗を上げない。

「ちっくしょ〜っ、うおおおおっ」

 ブチッ、ブチッ、と持田の髪をすべて引っこ抜く綱吉。

 うっわぁ、容赦ないなぁ〜。

 私は引き攣って苦笑いをこぼす。
 頭皮ってデリケートだし、あんなに抜かれると痛みで失神すると思う。

 案の定、持田は泡を吹いて白目を剥いて気絶した。

「全部本」
「赤!」

 次は我が身と感じた審判は青ざめて赤旗を上げた。
 瞬間、野次馬達はわっと歓声を上げて綱吉へ駆け寄った。
 蟻みたいで気持ち悪いなぁ、とひねくれたことを思ったけど、仕方ないよね。
 野次馬達は綱吉を褒め称えて、京子も無邪気に綱吉を褒める。そして綱吉はその笑顔に赤面した。

 ……やっぱり京子のことが好きなんだなぁ。

「……あれ?」
 なんか、胸の奥がズキッとした。


 心の中で何かが芽生えた気がしたけど、私はその名を知らなかった。




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