日常編 * カウント開始 *


「ん……いい感じ」

 この世界の一番の舞台である並盛中学校に入学して1か月。
 ゴールデンウィークも過ぎたけど、五月病にならなかった私は正常な朝を迎えた。

「……っと、眼鏡眼鏡」

 忘れそうになった、お母さんと綱吉の言いつけで着けている、分厚い伊達眼鏡をポケットに入れる。
 なぜだか知らないけど、でもまぁ、これなら主要人物と関わる確率は減るかな。

 指輪が付いたネックレスを胸元にさげて服の下に隠し、おしゃぶりを入れた巾着をスカートのポケットに入れる。

「よし……行くか」

 準備ができて、教科書を入れたスクールバッグを持って1階に下りる。
 小用と洗顔を終えたら朝食を作って食べる。食べ終わって洗濯物を干し、眼鏡をかけて家から出る。

 これがいつもの日常。
 この日常が崩れるまで、あと一月半。それまで平穏な日常を謳歌しよう。


 たまには綱吉と登校しようと思って、隣の沢田家に行く。

「おはようございます」
「おはよう祈ちゃん。ツナを迎えに来てくれてありがとう」

 インターホンを鳴らすと沢田奈々さんが出てくる。
 挨拶すれば、奈々さんは子持ちとは思えない若々しい笑顔で迎えてくれた。

「綱吉は起きてますか?」
「それがまだなの。あと5分を三回も繰り返しちゃって」
「起きたよ!」

 2階から慌てた声が聞こえた。
 急いで階段を駆け下りるけど、慌てすぎたせいで足を滑らせ、見事に床とご対面。

 わお、外面から“べしゃっ”て……。

「あははっ、おはよう」
「わ、笑うなよ! ……おはよう」

 思わず笑ってしまった綱吉はガバッと起き上がって恥ずかしそうに挨拶。
 ムスッとした綱吉にクスクスと笑い、台所に行った彼が食パンを持ってくるのを待つ。

「祈ちゃん、今日はウチで食べる?」
「じゃあいただきます。お手伝いするね」

 私を娘のように思っている奈々さんは私を夕食に誘う。
 奈々さんとのコラボは楽しみだと感じていると、綱吉が来た。

「いってきまーす」

 台所に行って食パンを取ってくると、奈々さんに言って家から出た。

 綱吉は変わった。幼い頃の綱吉は弱虫で泣き虫。そんな彼をいつも引っ張っているのが私。
 でも、いつからだろうか。彼は私の前で弱くなることを止めた。逆に強くなった気がする。
 まぁその分、どことなく甘えてくるけど。

 綱吉は食パンを食べながら歩いて、食べ終わると話し出す。

「もっとゴールデンウィーク続けばいいのに……」
「同感。そうしたらゆっくりできるのにね」

 愚痴る綱吉に同感する。
 私としてもゴールデンウィークは貴重だからもっとあってほしい。

「……それより祈。年中長袖で熱くない?」

 今は衣替えの季節。ブレザーを脱ぎ、女子生徒はシャツとスカート、黒いハイソックスとリボンタイに変わる。
 だけど私は半袖じゃなくて長袖。

「熱くない。半袖の方がいい?」
「……や、そうじゃないけど……」

 肌を晒すのが苦手な私をよく知っている綱吉は歯切れ悪く言う。
 私は苦笑して、いつも通り並盛中学校へ向かった。


 ゴールデンウィークが過ぎて、桜の木は青葉が茂っている。
 初夏の風が心地良い日和に学校に行き、1年C組の教室に入る。
 席順通りの場所に座って、今日も読書から始める。

 この学校では、私の印象は『地味子』『ガリ勉』らしい。
 別にそうじゃないのにね。これでも私は不真面目だから。

「原作開始まであと僅か、かぁ……」

 だるい。こなかったらいいのに。
 ちょっと憂鬱になって、ぐでーっ、と机に突っ伏す。

「あーあ。早く終わらないかなぁ」

 原作が終わって、平穏無事な人生が来てほしい。
 綱吉が成長するための波瀾万丈な非日常だけど、できることなら傷ついてほしくない。
 それは我儘だと知っているけど、願わずにいられなかった。


◇  ◇  ◇



 空が茜色に染まるまで担任教師の手伝いをしていた。
 入学して1か月経つか経たないかで、私は学年トップの秀才で優等生の肩書を持った。
 だから教員は何かと頼んでくる。けど、私は何でも屋じゃないから、ちゃんとギブ・アンド・テイクで了解している。
 今回は国語の教師である榊奎(さかき けい)先生のプリント整理をすることで、人気のケーキ屋・並盛堂のバイキングチケットを貰えるのだ。
 これなら京子と一緒に行けるから、頑張って黙々とプリントの整理整頓をした。

「終わったぁー」

 ぐったりと机に突っ伏す。
 名前順に整頓するのは本当に骨が折れる。それを一人でするとなると結構な時間が要る。
 大きく息を吐き出すと、ぽんっと榊先生の手のひらが頭に乗った。

「いつもすまないな。約束のチケットだ。友達と行ってこい」
「あ……ありがとうございます」

 律儀に礼を言うと、「礼を言うのはこっちだ」と苦笑した。

 榊先生は黒髪と青藍の瞳の眉目秀麗な若い先生だ。
 入学した当初からクラスの女子の注目を集め、ファンクラブまでできた。
 クールで真面目、有能な人材で有望株。もし彼と結婚できたら幸せだとか女子は囁いている。
 滅多に笑顔を見せないというより作らない彼がこうして表情を崩すのは信頼だ。
 私は外見で騒がないし、ミーハーじゃない。榊先生曰く、私の隣はなぜか落ち着くらしい。
 嬉しいのかわからない複雑な気分だけど、それくらい信頼されていることは確かだ。

「気をつけて帰るんだぞ」
「はい。失礼しました」

 スクールバッグにチケットを入れ、職員室から出て廊下を歩く。
 ふと、1年A組の教室に誰かが居残っていた。いや、正しくは机に突っ伏して寝ている。
 遠慮なく教室に入って、見慣れた独特な頭を撫でた。

「綱吉、起きて。下校時間だよ」

 よしよし、と撫でていると、ピクッと微動して顔を上げる。

「……祈?」
「おそよ。下校時間だから、そろそろ帰るよ」

 時計を一瞥すると綱吉は急いで起き上がり、鞄に教材を詰め込んだ。
 少し待ってあげて一緒に教室を出る。

「祈は何で居残ってたんだよ」
「先生からプリントの整理整頓を頼まれたの。で、ケーキバイキングのチケットを貰った」
「……相変わらずちゃっかりしてるね」

 綱吉の発言に、私も人のことは言えないな、と苦笑。

「綱吉は補習?」
「う゛……」

 どうやらまた赤点を取ったらしい。
 これは仕方ない。綱吉は普段から勉強しないから。

「うちで勉強会でもやる?」
「……じゃあ、お願いするよ」

 引き受けた、と笑えば、綱吉も笑う。

 他愛ない話をしながら、私達は一番星が光る空の下を歩いた。




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