孤独少女の転機
深く沈んだ意識の中で、濃密な赤がちらつく。
初めて嗅ぐ鉄臭さと硝煙の香り。
脳が麻痺して吐き気を催すほど濃厚で、意識が混濁しそうになる。
伸ばされる大きな手。逃げようとしても捕まって、暴れると撃たれそうになる。
その恐怖から、彼女は――。
「――ッ!」
身の毛のよだつほど、おぞましい夢を見た。
気持ち悪くなるほど汗が出て、前髪が額にへばりつく。
浅くなる息を深く吐き出して整え、埃臭い地面から立ち上がる。
「……行くか」
今日も生き抜くために、彼女は歩き続ける。
彼女の名前は和辻奏。
彼女には秘密がある。
それは言葉を発するだけでも影響を及ぼす特殊な異能を秘めていること。
一つ目は言霊。言葉の霊威を操る能力。
二つ目は守護霊。自分の守護霊である動物を操り、力に変換する能力。
三つ目は神冥 。冥加 と呼ばれる神仏の加護の強化版。
この能力は霊的なものだ。それが複雑に混ざり合って、複合能力として形成された。
初めて知った時は、ただただ衝撃的だった。
転生を自覚してすぐ他人には視認できない守護霊が体から出てきたのだ。
異能をいろいろと試して理解してから、奏は異能に名付けをした。
異能に名を付ける。それは自身の異能を安定させ、引き出す儀式的な呪 。適切な名を付ければ、異能の潜在的能力を最大限に引き出せる。失敗すれば安定さえしなくなる。名付けられるのは本人のみ。本人の直感によって名付ける。
当時、その知識がなかったにもかかわらず、奏は名付けに成功した。おかげで異能は安定し、力を最大限に引き出すことができるようになった。
奏はこの異能を『神威 』と名付けた。
アイヌ語でカムイは「神」のことを言う。そして、それはアイヌ民族が信仰している「狼」のことを指している。そして、神の威光と掛け合わせたのだ。
仰々しい能力名だが、これが妙に合い、名付けにも成功した。
覚えて1年が経ち、その間にどういうことか裏社会の人間に知られた。
そして、家族を失った。
悲観する暇などなかった。それは目の前にある現実と、彼女の中身が原因している。
奏はオカルトや都市伝説にあるものとは違う、異世界転生を体験している。
前世に愛読していた少年漫画『家庭教師ヒットマンREBORN!』の世界だ。
自覚したのは数週間前の謎の高熱のせい。あれは奏自身でもよくわかっていない。
自覚してからは大変だった。異能を具えていることが発覚し、親にも隠さないといけなかった。
そして、どういう訳か、奏を知った裏社会の人間に全てを奪われた。(あぁ……ランキングのフゥ太に目を付けられないといいけど……)
いろんな悩みをたくさん抱えて生きるのは大変だが、生き抜くために頑張ろうと決めた。◇ ◇ ◇
狙われ始めて一週間近く。今は正月で、冷たい空気のせいで肌が痛い。
当てもなくフラフラしていると、不穏な空気を感じ取った。
銃撃音や鈍器で殴る鈍い音。近寄ってはいけないけど、なぜか放っておけない。
気配を消して顔を覗かせると、何人もの男をロッドや銃で倒す青年がいた。
銃刀法違反がある日本で銃を使う男達と青年を見て、裏の人間かと思った。
この世界には普通にマフィアがいるから、きっとそうだ。
「!」
背後から警棒を持った男が青年の後頭部を殴る。
青年は思わず片膝をつく。それを好機に銃口を向ける男達。
「ラズリ」
見ていられなくなった奏は、一体の守護霊を呼び出す。
その守護霊は、オオルリと呼ばれる小鳥だった。
奏の守護霊は特殊だ。一体につき多彩な能力と特性を具えている。
ラズリ単体の能力は防御と偵察、憑依させて使える特性は千里眼・超感覚・透過。
今回はラズリ単体の防御能力を展開し、青年を護るよう念を込めた。
一斉に撃つ男達。連なる銃声が止むと、身を固めている青年が無傷だということに気づく。
「なっ、何だ!?」
当然、驚く男達。
青年も生きていることに驚いて、辺りを見回す。
「弱い者いじめなんて、最低にも程がある」
怒りを抱いて、低い声が出る。
たったそれだけで肩を震わせて奏を見る男達に苛烈な怒りを覚えた。
「お前達は――私が倒す」
今日だけは、人間に対して許せないと……青年を助けたいと思った。
「『夢魔 』」
ラズリが護る青年以外に言霊をかける。
途端、男達は絶叫をあげた。目の焦点が合わないくらい、何かに恐怖したような顔で叫ぶ。
喉が涸れるほどの断末魔がしぼんでくると、男達は次々と倒れていった。
白目を剥く者。泡を吹く者。排尿する者。彼らは総じて気絶した。
一瞬の出来事だった。目の前で起きた出来事を呑み込めない青年は困惑している。
唯一理解している奏は青年に近づく。足音で我に返った青年は歪む視界を無理矢理はっきりさせ、懐に忍ばせた銃を抜いて奏に向ける。
警戒している。気づいた奏は立ち止まり、声をかけた。
「大丈夫?」
先程の怒りを持った声ではない、優しい声音。
この状況で平然としていられる幼女に動揺した青年は、気を抜かないように問いかける。
「……君は……何者ですか」
冷静に疑問を口にする。普通の子供では答えられないだろう殺気を込めて。
初めて殺気を受ける奏は、首筋に痛みを感じた。これが殺気なのだと気づく頃には、ラズリが傍に戻っていた。
ラズリのおかげで殺気は緩和されたが、初めてのことなので心臓が痛いほど鳴り、筋肉が強張る。それでも深呼吸して殺気を振り払い、眦 を下げて微笑んだ。
「化け物だよ」
青年は瞠目した。
今にも泣き出しそうな顔なのに、芯のある声でハッキリと自分を罵った幼女。
儚くて脆い存在だと認識させられて、張り詰めた神経が緩み、銃を下げた。
安心した奏はポケットから白いハンカチを取り出し、青年の額から流れる血を拭う。そして、右手を翳した。
「『痛みを還り、治癒と為せ』」
唱えれば温かな光が灯り、傷口に浸透する。ものの数秒で青年の怪我は無くなった。
「なに……したんですか……?」
「治癒。私は複数の異能を持っているから、その一つの言霊で治したの」
戸惑う青年に答えると目を見開いた。
普通ならありえないことだが、見るからに幼い子供が流暢に話しているのだから信憑性 はある。
奏はハンカチを折りたたんでしまい、改めて青年を見る。
中性的な顔立ちは男性寄りが、服装によって女性にも見えそうだ。髪はプラチナブロンドで、耳を隠すほどのストレート。瞳は神秘的な銀色で、星のように綺麗。
まさに外国人と言っていい風貌の持ち主は、とても美しかった。
「……君の、名前は?」
戸惑いながら奏に問いかける青年。
どうして名を訊くのかわからなかった奏は小首を傾げて答えた。
「和辻奏」
「奏さん。このご恩は忘れません」
何のフラグだ、これは。それが奏の心情だった。
「私は化け物だよ? 私のせいで家族は……死んだ」
その一言を口にするだけでも勇気がいる。それくらい心の傷は深かった。
でも、彼は――
「……どこが化け物ですか? 僕からみれば、君は人間です」
彼は、心がまっすぐだ。奏のような捻くれ者ではなくて、とても優しい。
青年の言葉が嬉しくて、「ありがとう」と泣きそうな顔で笑った。
その儚い笑顔に胸の奥が締め付けられた青年は、そっと奏の頬に触れる。
「奏さん、君を引き取ります」
「っ……え!?」
思わぬ言葉に目を丸くして顔を上げる。
青年は優しい表情だが、目はとても真剣だった。
「で、でも……」
「大丈夫。君を理解してくれる人がこの町にいます。僕もしばらくこの町に留まりますから」
どうしてそこまで言ってくれるのだろう。
わからなくて戸惑う奏に、青年は眦を下げて笑った。
「君は恩人です。今度は君を護らせてください」
遠慮はなしですよ?と付け足した青年は楽しそうだった。
初めてだった。そんな優しい言葉をかけられたのは。
温かな言葉が胸の内に染み渡って、感情が溢れて涙が流れた。
「……あ……りが、とう……」
涙を流しながらぎこちなく礼を言うと、青年が指先で拭いてくれた。
とても温かくて、すごく嬉しかった。
こうして奏は青年――ミケーレ・リウッツィに引き取られるのだった。
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