闇の中に潜む者

 初夏が過ぎ、日本ほどではないが暑さが目立ってきた、イタリア某所。
 時刻は夜。朝のような青空に浮かぶ薄い雲とは違う、厚みのある鈍色の雲。
 今日は綺麗な満月が浮かんでいるというのに、暗雲によって遮られてしまっている。

 強い風が吹き、厚い雲が少しずつ泳ぐように漂う。
 数分後にようやく隙間ができて、ようやく月光が街に降り注ぐ。
 柔らかな月明かりのおかげで黒々とした街が少しでも鮮やかになる。
 この時間帯は大人も子供も寝静まっている頃なので、家々の明かりはついていない。

 だからだろうか。一カ所だけ照らされる広い路地裏の異変に気づかないのは。

 路地裏には武装した集団がいた。
 全員、軽装だが強度の高い最新式の防具を一式身に纏い、これまた消音器サプレッサーが付いた最新式の拳銃やライフル、マシンガンなどを装備していた。

 そう、過去形。

 彼らは社会においてグレーゾーンの域で活動する、いわゆる裏社会の人間だ。しかも、軍人以上の実力を持つ百戦錬磨の手練れプロ
 そんな彼らは、路地裏に棄てられたゴミのように転がっていた。
 寝ているように地面に倒れている者、壁に寄りかかって口をだらしなく開けている者。彼らは総じてただでは済まされない怪我を負っていた。
 骨は折れ、骨格が変わり、錆びのような臭いを放つ血を流している。
 だが、彼らは生きていた。辛うじて命を繋いでいる。このまま朝を迎えて昼を過ぎても、命に別状がない程度の怪我だ。

 月光が路地裏を照らす範囲を広げる。
 全体を淡い光で染め上げた中に、一人だけ無傷な人間が姿を現す。

 髪は首を隠すほどの長さの黒。隙間から覗く肌は月明かりを頼りに見ても白い。
 6月だと言うのに長袖の黒いロングコートとスラックスを纏っているため、体躯までははっきりと判らない。
 ただし細身で、パッと見れば中学生ぐらいの少年と認識できる。それでも顔に装着している黒いゴーグルで顔の全体が隠れてしまっていた。顔の部位でわかるのは、さくらんぼ色の瑞々しい唇だけ。
 彼は携帯電話を耳に当てて何かを話していた。

「――依頼人の領地に侵略を企む敵対集団の制圧、無事に完了しました」

 よく通る若い少年の声はとても澄んでいた。
 甘く感じるテノールの声は、淡々と要件を口にする。

「報酬は事前にお伝えした口座にお振込みください。またのご利用をお待ちしております」

 滑らかに、それでいて機械的に言い終わると通話を切り、ふぅ、と深く息を吐く。
 胸の奥がじくじくと痛む。それは他者を傷つけるということを苦手とするからだ。

 なぜこんなアンダーグラウンドの仕事をしているのかは、一人で生きるためだった。
 信じられる者以外の人間と関わることを嫌う彼は、後ろ盾もないフリーの万事屋よろずや。『万事屋』とは、文字通り商売人ができる範囲で何でも引き受ける、いわゆる『何でも屋』だ。
 彼はここ数年で、裏社会に名を震撼させた万事屋『神遊かみあそび』のデウス。

 神遊とは日本の神楽という皇室との関連が深い神社で神を祀るために奏する歌舞のこと別称。他にも御神楽とも呼ばれる。民間の神社の祭儀の歌舞は里神楽という。

 彼は誰かに仕事を見られることを嫌うが、致し方がない場合は相方を組む時がある。その際に戦いを見たものは、口々に言う。

 まるで神が戯れているかのようだ。

 ――と。
 あの時はゴーグルをつけていなかったため、恐ろしいほどの美貌を見られてしまい、そう言われるようになった。今では一人だけで仕事を行い、尚且つ顔を隠しているため、ほとんど聞くことは無くなったが。
 そして、『デウス』という名は偽名だ。異名をもじり、ラテン語の『神』と名乗ることにした。
 他にも偽名はあるが、本名は身内以外に使われないので、デウスが本名だと思う者も数多くいる。そして、それを知る者は片手で数えるほどしかいない。

 デウスは硝煙の臭いがする空間から出て、夜の街を歩く。

 ――♪〜


 不意に聞こえた受信の音。オルゴールに設定しているため、気持ちが落ち着く音色だ。
 メールを開けば、思わぬ客からの申し出があった。

「……ボンゴレか」

 無意識に柳眉を寄せるデウス。

 明日の夕方、依頼を申し込むついでに食事に誘いたい。

 ――申し出の内容をまとめるとこうだった。
 デウスは誰かと食事に出かけることを苦手とする。だが、仕事となれば別だ。依頼人クライアントの機嫌を損なうようなことはできない。
 仕方ないので、その申し込みを受けることにした。


<<< >>>
2/4


bkm