懐郷の地へ帰還

 6月半ばの昼間の日差しは本格的な夏より柔らかい。
 少年は空港の入口付近で読書していた。
 旅行用の黒いキャリーバッグには最低限の荷物、別の革製の鞄には本が数冊入っている。
 分厚い本を片手に持って読む姿は様になり、空港へ入る者は自然と目を向けてしまう。

 ふと、少年は本を閉じて顔を上げる。
 近くに黒塗りの車が止まると、中から金色の短髪の男が出てきた。
 スーツを着こなす彼は、少年の知識と記憶にある人物だった。

「久しぶりだな、デウス」
「お久しぶりです、沢田様」

 沢田家光。若獅子と謳われる、ボンゴレ門外顧問CEDEFのボス。
 機械的な敬語を使えば、家光は苦笑した。

「敬語はいらないって言ったよな? それと、家光だ」

 まだ駆け出しの万事屋だった少年は、何度か家光と仕事を組んだことがある。
 一度目の仕事で実力を見せつけ、二度目の仕事で信頼を得た。以来、彼を名前で呼ぶことになったのだが……。

「今回の依頼はあなた様のご子息様の護衛。その親であるあなた様に敬語を使うのは当然のこと」

 柔らかな物腰で丁寧に断るが、表情に営業スマイルは貼り付けていない。
 そこから信頼である証を感じ取れるのだが、家光は頑として納得しない。

「その依頼対象が言うんだ。だからその気色悪い敬語はやめろ」
「……わかった」

 仕方ないといったふうに溜息混じりで承諾した。
 気を良くした家光は少年の肩を叩く。本当なら頭を撫でたいのだが、彼はそれを嫌うので諦めている。

「それと、これからは和崎湊と呼んでくれ」
「それも偽名か?」
「ああ。向こうは日本だからな」

 少年――湊は本を鞄に入れて、荷物を持つ。

「それで、いつ頃に出発するんだ」
「そう急かすな。オレは日本まで送ることになっているが、並盛町までは知らないだろ」
「大丈夫だ。並盛町はオレの故郷だからな」

 さらりと本当のことを言えば、家光は目を見開く。

「……それは初耳だな。住む宛てはあるのか?」
「大丈夫だ。じゃあ、行くとしよう」
「あ、ああ……」

 動揺からぎこちなく頷いた家光は、湊を連れて空港へ入った。


◇  ◇  ◇



 ジェット機の中は快適だが、日本までの約8時間は暇だ。その間は読書かカードゲームに興じ、湊は快勝、家光は惨敗した。

「くっそ〜。相変わらず強いなあ、湊」
「ポーカーやブラックジャックは得意だからな」
「神経衰弱もだろ。いきなり五組も引き当てるなんて神業じゃねーか」

 口唇を尖らせる家光にクスクスと笑う湊。
 ふと、窓の外を見た。

「そろそろ到着か」
「ゲームしてると時間さえあっという間だな。今度こそは本名を聞き出してやる!」
「程々に頑張れ」

 面白がる湊の無邪気な笑顔に見惚れかける家光。
 やっぱり女の子に見えると失礼なことを思っていると、ジェット機は滑降し始めた。
 衝撃も感じることなく着陸したジェット機から降りた湊は、空港で家光と別れようとした。

「じゃ、せがれをよろしく頼む」
「ああ」

 短い言葉を交わして別れ、湊はタクシー乗り場へ向かった。


 夜7時33分。並盛町の商店街へ到着した湊は運転手に金を払い、商店街へ入った。
 そして、ある路地裏に足を踏み入れた。
 他の路地裏より広い通路を歩き、進んでいくうちに広い空間に出る。その正面にはこぢんまりとした店があり、看板には『科学屋シーク』と書かれていた。
 閉店の看板が掛けられているが、その前で湊は電話をかける。

「着いたよ。今店の前」

 通話が途切れ、数分で開いたシャッター。そこから現れたのは、耳を隠すほどの黒髪に鋭利な紅い眼の青年。

「久しぶり」

 ニコリと笑って挨拶すれば、青年――荒沢焔あらさわ ほむらは無表情を和らげた。

「久しぶりだな、奏」

 湊ではない、奏と呼んだ焔。懐かしさから込み上げるものを感じた湊は、呟いた。

「『声、解除』」

 途端に湊の声が、ソプラノともアルトともとれる声に変わった。まるで春の木漏れ日のような、空の彼方まで澄んだ声だ。
 最後に髪をくしゃくしゃと掻き乱し、するりと黒いそれを外す。今までの髪は作り物のウィッグだった。だが、それは目の前にいる彼が普通の髪と変わらない質で作り上げたため、今まで誰も気づかなかった。
 ウィッグを外した瞬間、流れ落ちたのは一つにまとめた黒髪。首の後ろでまとめた紐を解けば、サラサラと艶やかな髪が波打つように揺れる。
 腰下まで伸びた黒髪を見て、焔は頬を緩める。

「お帰り、奏」
「ただいま、焔」

 伏せた目を開き、焔に向けて柔和に微笑んだ、少女。

 和辻奏。それが少女の本名。彼女は少年と偽った少女だったのだ。

「ミケーレとオレから誕生日プレゼントがある」
「あ……そういえば……」

 今日は6月13日。ちょうど奏の誕生日だ。
 忘れかけていた奏は思い出すと同時に、覚えてくれた昔からの友人に喜んだ。

「並盛堂のケーキもある。早く入って食べるぞ」
「うん。ありがとう」

 笑顔で礼を言えば、焔は穏やかに微笑んで頷いた。

 そして二人は建物の中へと消えていった。


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