依頼人の申し出
翌日の17時。指定されたレストランの付近に一人の少年がいた。 夏だと言うのに長袖の白いシャツにストライプ柄の焦げ茶色のベスト、黒いジーンズ、その上に砂色のコートを着ていた。
程良い長さの黒髪から覗く肌は白く、誰もが羨むほどきめ細やかで潤いがある。 筋の通った小さな鼻に、さくらんぼ色の唇は瑞々しく花弁のように柔らかそうだ。
そして一番目を引く、長い睫毛に縁取られた異色の双眸。
右眼は、南国の夕暮れ時の空を切り取ったような瑠璃色。 左眼は、アメジストよりも美しい、混じり気のない紫色。 ガラス玉のように澄んだ色を秘めている美しい瞳は、人工物ではない天然のもの。
パッと見れば男と取れるが、じっくりと見れば女とも見て取れる美貌の持ち主だった。 彼の足元には革製の黒い鞄があり、左手にカバーをつけた文庫本を持っていた。 人の邪魔にならないよう石垣に腰を下ろして優雅に足を組み、背筋を伸ばして読書に夢中になる。その姿はまさに芸術的な絵画を見ているような錯覚を持たせた。 道を通る者のほとんどが振り向き、つい立ち止まってしまうほどの独特な空気を持っている。それは老若男女関係ない。
「……来たか」
不意に呟かれた一言で、パタンと片手で本を閉じる。 黒い鞄に入れて立ち上がると、ちょうどレストランの前に黒塗りの高級車が停まった。 運転手が後部座席のドアを開けば、そこからステッキを持った老人が出てきた。 高齢ともとれる年を取った男は、白い髪と髭を持つ。それでも背筋はしっかり伸び、足腰も弱そうには見えない。 見るからに上質なスーツを身に纏っている彼は、少年に気づいて笑いかける。
「久しぶりだね、デウス君」 「お久しぶりです、\世」
少年――デウスは非公式の会食であるため、彼の肩書きを伏せて呼んだ。 だが、老人はそれに対して不満を持つ。
「できることなら名前で呼んでほしいのじゃが……」 「……わかりました、ティモさん」
相手は世界最高峰のマフィア、ボンゴレファミリー9代目ボス、ティモッテオ。 普通なら名前で呼ぶなど恐れ多いのだが、初対面の時から孫を見るような目で見られている。なぜかデウスを気にかけ、気軽に呼び合うことを望んでいる。 腹に一物を置く彼などに気を許すつもりはないデウスは渋々と愛称で呼ぶことにした。
「待たせてすまなかったね。中に入って食事にしよう。ここの料理は本当にうまいんじゃ。君もきっと気に入る」 「それは楽しみです」
上辺だけの笑みの上に柔らかな感情を載せる。 器用な表情を作るデウスは、ティモッテオに続いてレストランに入った。
イタリアンクラシックの雰囲気に包まれたレストランのVIP室で最高級の料理を勧められ、デウスは優雅な所作でナイフとフォークを操り、舌鼓を打つ。 食後のデザートであり口直しである果実のシャーベットを口にし、紅茶を飲む。
「ごちそうさまでした」 「相変わらず綺麗に食べるね」 「おいしいですから。この店、気に入りました」
心からの笑みを載せて言えば、ティモッテオは満足そうに頷いてコーヒーを口にした。
「――さて。そろそろ仕事の話をしよう」
紅茶を飲み干したデウスは、柔らかな雰囲気を消して依頼人を見据える。 知性を秘めた眼差しで、私事と仕事とのスイッチを切り替えたのだと理解できた。
「日本にいるボンゴレ10代目候補の護衛を頼みたい」 「……期間は」 「彼の家庭教師が任務を終えるまで」
よどみなく申し出たティモッテオに、デウスは目を僅かに細める。
「オレが引き受ける護衛期間は最長1ヶ月と、以前に申したはずですが?」
丁寧だが暗に断るという意を見せる。
デウスは不確かな期間の護衛は引き受けない。依頼の護衛期間はあらかじめ決めていなければ引き受けることはできない。それは依頼人が組織に勧誘、もしくは引き入れる可能性があるからだ。 情をかけて引き入れようとした組織は数知れず。それでもデウスは鉄壁の信条で撥ね除けている。ティモッテオまでそのようなことをするなら、これまでの縁を切るだろう。
「護衛期間が不安定なのは承知のこと。そこで月末に通常価格の2倍の報酬を振り込むことを約束しよう。不穏な暗殺者の排除をしてくれた月は3倍に。もちろん、接触してほしいとは言わない。ただ見守ってくれるだけでもありがたい」
それは暗に自然と接触してくれることを望んでいるようにも取れる。 裏を読んだデウスは小さな吐息をつく。
「家庭教師は晴のアルコバレーノ、殺し屋リボーンで間違いないでしょうか」 「!」
疑問形ではない辺り、下調べはついているようだ。 予想外だったティモッテオは軽く驚くが……。
「ボンゴレ10代目候補の三人の有力者は、抗争や陰謀で死亡。残るはボンゴレT世の直系である日本人、沢田綱吉」 「!?」
今度こそ息を呑むほど驚愕の色を表情に出す。 感情をわかりやすく表に出すとはマフィアのボスとしては未熟と思われるだろう。だが、相手はまだ年端も行かない子供。そんな彼に、一部以外の組織にも秘匿にしていたことを赤裸々に公言され、激しく動揺してもおかしくない。
「家族構成は三人。母、沢田奈々は一般人。父、沢田家光はボンゴレNo.2であり、若獅子と謳われるボンゴレ門外顧問CEDEFのボス。家族には石油関係の仕事だと偽っている。沢田綱吉は、彼がマフィアと関係があることを知らない。そもそもボンゴレファミリーの存在自体知るわけがない」
話すにつれ、デウスの視線は険を帯びる。
「何も知らない一般人をボスに据えようとするとはあなたらしくない。いや、ボンゴレファミリーという組織の在り方を壊してもらいたいからこそ、一般人である彼を襲名させたいのですか」 「……なぜ、それを……」
口の中が渇く。自分より遥かに若い彼に図星まで指摘されるなんて初めてだ。
「全てを彼に押し付け、彼の心を壊すことも視野に入れないなんて、無責任にも程があるとは思わないのですか」
明かさずに怒りも含めて投げかければ、ティモッテオは瞠目した。
一度だけ、彼の候補者に会ったことがある。純粋で穢れを知らない、優しい心の持ち主だった。 そんな彼の心を壊すなんて、考えたこともなかった。 ――いや、その残酷さを見ないようにしていただけなのかもしれない。
突きつけられた現実に、鈍器で殴られたような衝撃を受けた。
息を詰めて硬直したティモッテオに、デウスは小さな息を吐いた。
「沈黙は金、雄弁は銀とは、まさにこのことですね」 「……デウス君の言う通りじゃ。わしは彼を利用しようとした。……いや、利用しようとしている。彼に恨まれても仕方がないほど。じゃが、それでも今の肥大した組織をどうにかしたい。無益な争いを失くしたいのじゃ」 「ご自分の力でなさらないのですか。失礼ですがお歳だとしても、あなたの超直感はまだ冴えているはずです」
組織内でも秘匿になっている超直感まで知っているとは予想外。 ティモッテオは力無く首を横に振る。それは疲労が溜まった社会人のする仕草に似ていた。
「年老いて硬くなったわしの頭では柔軟な行動ができんのじゃよ。わしができることは導くことだけ。それが無責任だということは重々承知。だからこそ、君の力を借りたい」
膝に握り拳を乗せて、深々と頭を下げるティモッテオ。 老人に、しかも権力者に頭を下げられることは初めてで動揺する。 しかし、それも一瞬。すぐに冷静さを戻したデウスは心の痛みを無視して口を開く。
「お断りします」
はっきりと、拒絶した。 信じられる者に頼れないことは痛いが、これも仕方ないと割り切るしかない。 沈痛な面持ちで顔を上げたティモッテオ。だが、すぐに目を見開く。
「報酬に、彼と同じ学校に通うよう支援してくだされば、話は別ですが」
穏やかな微笑みで、色よい返事をした。 思わぬ条件に、そして何より心からの微笑みに、息をすることを忘れかけた。
「……それは……」 「オレからは接触しません。しかし、彼からの接触はある程度受け入れましょう。けれど、オレはボンゴレファミリーに入りません。何があっても、フリーでいることは変わらない。それでいいですね?」 「……ありがとう」
彼の良心に付け込むような形にもなってしまい、心苦しさもある。 それでも彼に頼って間違いはなかったと、心から安堵した。
「住む場所もこちらで手配しよう」 「いえ、それは大丈夫です。ここだけの話ですが、オレの母国は日本で、故郷は並盛町ですから。ある程度のことは自分でできます」
ニコリと笑ったデウスは年相応の子供に見え、無邪気な少女とも見えた。 少年に対してそれは失礼な表現だが、女性と疑っても仕方ないほどの美貌なのだから。 心臓が止まりそうになったティモッテオは我に返ると、驚きとともにこの運命に感謝した。
「本当にありがとう。転入の件は全面的に協力しよう。リボーンが彼と会うその日にしても構わんか? 日本へは専属のジェット機を使ってくれ。出発は朝の10時でいいかな?」 「では、その手筈で。それと、日本での名は和崎湊。連絡の際はそちらの名前でお願いします」 「それは君の本名かな?」 「さて、どうでしょう」
楽しげにはぐらかしたデウスは封筒から代金を取り出そうとする。しかし、ティモッテオはそれを制した。
「この会食はわしから申し出たことじゃ。わしが払おう」 「……ありがとうございます。では、オレはこれで」
丁寧に頭を下げ、デウスはレストランのVIP室から出た。 見送ったティモッテオは小さな息を吐くほど安堵する。そして、少しの罪悪感を抱く。
「君を利用することを許しておくれ、湊君」
誰もいない空間で、ぽつりと懺悔した。
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3/4
bkm
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