初めての学校へ

 朝日がこぢんまりとした店を照らす。
 八畳ほどの一室に住ませてもらっている奏は並盛中学校の制服を着た。
 夏ということで半袖を着る者が多いのだが、奏は華奢な体を隠すために黒いタンクトップの上に長袖のカッターシャツを着用する。その下にズボンを履き、シンプルなベルトをつける。
 服装はきっちり整えると部屋から出て、洗面所で歯磨きと顔を洗ってから台所で朝食を作る。奏は一人暮らしだったため、料理は得意だ。
 焼き魚と味噌汁、漬物といった和食を完成させる頃に焔が入ってきた。

「あ、おはよう」
「おはよう。今日も早いな」

 仕事前だというのに、きっちり仕事服を着ている焔。
 彼は科学者であるため、白いシャツに黒いスラックス、その上に特殊な製法で作った黒い白衣を身に纏っていた。

「今日は和食か」
「あ、嫌だった?」
「大丈夫。好きなメニューだ」

 少し不安になったが、焔はすぐに答えて安心させる。
 ほっとした奏は茶碗に白米を装ってテーブルに並べる。
 手を合わせて日本独特の作法で食べ始めると、焔は魚の身をほぐしながら問いかける。

「今日から転入だが、大丈夫か?」
「……はっきり言って緊張するよ。でもまぁ、依頼だし」

 依頼を完遂させるためなら初めての学校生活も耐えてみせる。
 今まで他人と付き合うことは仕事だけだったため、同年代の子供と学校に行くなんて考えたことがなかった。それでも護衛の依頼なら学校に潜入するのが一番だと判断したため、ボンゴレファミリーの支援を受けることを申し出た。
 自分で入学費を払うのもいいのだが、今回の長期護衛の依頼はボンゴレ側に負担してもらおうと思ったのだ。この判断が吉と出るか凶と出るかは判りきっているので諦めている。

「あまり無理をするなよ。じゃないとミケーレもオレも心配する」
「ありがとう。程々に頑張るよ」

 心配そうな焔の表情に嬉しくなった奏は笑った。その笑顔に安心した焔はほぐした魚を口に入れる。程良く焼けた魚の香ばしさに、奏の料理の腕が上がったことがわかった。

「――ごちそうさま」

 少食の奏はすぐに食べ終わり、弁当を持って部屋に戻る。
 一つに束ねた髪をウィッグに隠し、鞄に護身用の武器と上履き、文庫本を入れて――

「いってきます!」
「いってらっしゃい」

 『科学屋シーク』から出発した。


 奏は異能の言霊で声を和崎湊に変えて、通学路を颯爽と歩く。その姿に、通学している学生から通勤しているサラリーマンでさえ見惚れてしまう。
 彼らの視線に気づかないまま、湊は並盛中学校の正門に到着した。

 校舎は鉄筋コンクリート造りの4階建て。正面玄関の遥か上にアナログ時計が埋め込まれている。右側に運動場と体育館、左側に野球部などが使うグラウンドがある。
 これが普通の学校なのだと思うと、どことなく気が抜ける。

 湊は正面玄関から来客用の昇降口から上履きに履き替えて上がる。そのまま職員室に入れば、教員達の視線を一気に浴びる。
 慣れないことに顔をしかめそうになったが耐えて、口を開く。

「今日から転入する和崎湊です」

 穏やかなテノールの声で言えば、ぼんやりと見とれていた教員達は我に返り、担任教師と思われる男性が教材を持って近づいてきた。

「はじめまして、和崎君。君のクラスはA組だが、何か質問はあるかな?」
「いえ、大丈夫です」
「そうか。これが教材だ。じゃあ、案内するよ」

 教材を受け取った湊は鞄に入れて、教師の後に続いて職員室から出た。
 そろそろ朝のホームルームが始まるので、タイミングとしてはちょうど良かった。

 1年生の階へ行き、1‐Aとあるプレートが突き出た教室に入出すると、しん、と賑やかだった室内は静まり返る。
 教師が黒板に湊の名前を白いチョークで書き終わると、生徒側に向き直る。

「海外に留学していた和崎湊君だ。何か言うことはあるか?」

 何も言うことはないのだが、それでは第一印象が悪くなる。
 湊としては悪い印象で近寄り難くしたいのだが、ここは穏便に護衛を務めるためにも愛想は必要不可欠だ。

「……はじめまして、紹介に預かった和崎湊です。これから1年、よろしくお願いします」

 礼儀正しく挨拶して、最後に柔和に微笑んでみせる。
 見惚れていた生徒達はさらに頬を染め、息を呑む者から「かっこいい……」と呟く者が多数続出した。
 この瞬間からファンクラブの結成が決定されたということは、湊は知らないことだった。

「和崎君の席は窓際の一番後ろだ」
「はい」

 返事してその席に向かって座る。その洗礼された動作だけで異性から同性まで見とれた。
 湊は殺気などの悪意のある視線には慣れているが、好奇からの視線には慣れていないので、向けられる視線に理解できなかった。
 ホームルームが終わると、湊は1限目に必要な教科書と筆記用具を取り出す。

「あの……和崎君」

 不意に隣の女子生徒に声をかけられる。
 驚いて隣を見れば、女子生徒から男子生徒が一気に押し寄せてきた。
 これが質問攻めなのか。それに気づくと気が遠くなりかけた。

「海外ってどこの国にいたの?」
「イギリスとかフランスとか……イタリアにも行ったことがある」
「へえ! じゃあ和崎って英語ペラペラなんだな」
「英語だけじゃなくて、他の国の言葉も、日用会話ぐらいなら」

 答えられることには答え、答えられないことははぐらかすようにスルーする。
 そうしていくうちに授業の時間がきて、質問はここで終わった。
 質問攻めが終わってほっとした湊は疲労感から目が遠くなる。

(意外ときついな……)

 遠い目で魂が出かけたが教師の授業が始まり、新品の教科書とノートを開く。
 文字の読み書きなら幼い頃にミケーレという友人から教え込まれたため、不便ではない。
 シャーペンを使って綺麗な字を書き続け、質問を受ければ答え、淡々と時間を過ごしていく。
 湊にとって学業は必要ないことだったが、これも依頼。頑張るしかない。
 割り切っている湊は、今できることをするために黙々とノートに書き取っていった。


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bkm