風紀委員長な彼

 退屈な時間が過ぎていくと昼休みになり、湊は荷物を持つと足早に教室から出た。
 誰かと食事をすることに慣れていないため、誘われる前に退出したのだ。

 賑やかになる廊下。湊はそこを通らず階段を上って屋上に到着した。
 鉄製の扉を開ければ、蝶番の軋む鈍い音が響く。僅かに眉を寄せて屋上に出れば、解放感のある空間が広がった。

 青い空に浮かぶ薄い雲。風によって流れるように漂う白は、心を落ち着かせてくれる。屋上を囲むネットフェンスは雨風によって錆びついているので寄りかかることはできないため、昇降口の日陰に寄りかかるように座った。

「いただきます」

 弁当を開けて手を合わせ、箸を持って食べ始める。
 昨日の夜に作っておいた唐揚げや、今朝のうちに焼いた卵焼きなど、彩りよく盛り付けている。
 湊はまず添えている野菜を食べてから唐揚げを取り、ふりかけをまぶしたおにぎりと食べる。

 一人静かに黙々と食べ進めていると、屋上に誰かが来る気配を感じた。
 鈍い音を立てて扉を開けたのは――

「! ……君が、噂の転入生?」

 学ランを羽織った少年だった。
 ただの少年ではない。言葉に形容するなら、彼は孤高の貴人を表していた。
 形のいい頭に似合う黒髪は短く、それでいて上品に散髪されている。
 鋭いつり目はきつい印象を与えるのではなく、威圧と風格を見せつける材料の一つ。
 長い手足を持つ体格はスマートだが、決して弱そうに見えない程良く引き締まったスリムな体型だ。
 まさに上流階級の人間を超越した空気を纏う孤高の貴人を、湊は知っていた。

 並盛中学風紀委員長――雲雀恭弥。
 年齢と血液型は本人も忘れるほどなので詳しい情報は手に入らなかったが、わかったことは誕生日と、家業が有名な名家であること。
 彼は並盛中学校をこよなく愛している。その母校愛で、並盛中学校の風紀委員長に君臨する。とはいえその風紀委員も威圧を与えるほどの厳つい不良の団体。だが、風紀委員会に属していない不良にはいい薬になっている。

 事前に調べたことを思い出した湊は、胸中で顔をしかめる。

(よりによってこの子と遭遇するなんて……初日なのについてない)


 彼は戦闘狂だということは“知識”でも知っている。
 湊――否、和辻奏は“読者”としてこの世界を観たのだから。

「……噂かどうか知らないけど、転入生はオレです」
「ふぅん」

 興味なさそうに相槌を打つ雲雀を一瞥した湊は弁当を食べ進める。
 最後の卵焼きを口に入れて咀嚼し、お茶と一緒に飲み込むと水筒と弁当箱を片付ける。
 ふと、雲雀がこの場から去っていないことに気づく。ちらっと視線を向ければ、彼はじっと湊を見つめていた。

「その眼、本物?」
「本物です。オッドアイ、初めて見ますか?」

 湊は、雲雀恭弥を真っ直ぐ見据える。
 何気ない会話と視線。それなのに心臓が止まりかけるほど息を呑む。

 今までの人間は雲雀に畏怖し、目を合わせようとしない。それは本能であったり、暴力的な行動が目立つからだったり、理由は様々だ。怖いもの知らずの無法者は別だが。
 なのに、湊は目を逸らさない。容姿以外はどこにでもいる少年に見えるのに……。

「……君、何者?」

 ただ者ではないと、雲雀の琴線に触れた。
 問われた湊は異色の双眸を瞬かせ、きょとんとした。

「何者って……あなたにはどう見えるんですか」

 まさか質問を質問で返されるとは思わなかった。
 雲雀は面倒そうに柳眉を寄せるが、湊は気にせず鞄に弁当箱と水筒を入れる。

「強いて言うなら転入したばかりの中学生、かな。そういえばあなたは何年生ですか?」
「僕はいつでも自分の好きな学年だよ」
「いや、答えになってませんよ」

 意味わかんないし、と苦笑いを浮かべる湊は腰を上げて、ズボンについた埃を払う。

「オレは1年A組の和崎湊。名前は?」

 小首を傾げて訊ねる湊。凛々しい佇まいは綺麗なのに、その仕草はかわいらしさを足した。

「……風紀委員長、雲雀恭弥」
「雲雀さんですね。この瞳は生まれつきですので、そこは目を瞑ってください。では、そろそろ時間だと思いますので失礼させてもらいます」

 丁寧に愛想笑いを貼り付けてお辞儀し、昇降口の扉に手をかける。

 この時、作り物の笑顔を貼り付けていなかったら穏便に戻れただろう。
 雲雀は目を据わらせ、学ランの下に右手を忍ばせ――床を踏みしめて走る。
 僅かな殺気に気づいた湊は、鈍色の武器を振り上げる雲雀を一瞥して軽く驚く。

 空を切る音が、近くで聞こえた。

 顎を狙ったと思われる振り上げられた武器は、取っ手が付いたステンレス製の棒――否、トンファー。何節か分かれているので畳み式なのだと判った。
 一歩下がっただけで一撃を逃れた湊。不意打ちなのだが、ただの気配で避けられた。
 予想外のことに、雲雀は僅かに口端を上げる。

「君、肉食動物だったのかい?」
「は?」

 怪訝な顔をする湊だが、左手にも構えられたトンファーによるフックを紙一重で避ける。最小限の動きで、確実に。
 臆することのない余裕そうな表情と洗礼された体捌きで理解した雲雀は愉しそうに笑う。

「強いなら戦い応えがありそうだ」

 しまった、と湊は胸中で呟く。
 相手は戦闘狂。いつ彼の琴線に触れたのか理解できない湊は顔をしかめ、繰り出される雲雀の攻撃をかわす。

「逃げるばかりじゃつまらない」
「……学生は凶器を持たないのに……」

 避けてばかりも面倒になってきたが、一般人相手に護身用を使うまでもない。
 湊は鞄を昇降口へ放り投げる。やっと戦う気になったと笑みを浮かべた――刹那だった。

「!?」

 湊の顔が間近に迫っていた。まさに音速の壁を蹴ったような速度についていけなかった雲雀は反射でトンファーを振るうが、湊に両方の二の腕を掴まれてしまい、もつれるように押し倒された。
 足技を仕掛けようにも右足が雲雀の右膝を押さえつけているので、暴れることも不可能。
 文字通り、瞬殺。これが本当の殺し合いで、湊が雲雀のような武器を持っていたとすれば、この一瞬で命を摘まれていた。

「オレはこれから授業があるから、これで終いだ」

 絶世と呼ぶべき美貌が目の前にあり、耳に心地良い声が耳朶をくすぐる。
 息をすることができなくなった雲雀に気づかない湊は雲雀の上から退き、鞄を持って屋内へ戻った。

 静かになった屋上。倒された雲雀はゆっくり我を取り戻すと、起き上がる。

「……和崎、湊」

 トンファーをしまいながら呟いた雲雀は、ゾクッと背筋が粟立つのを感じた。
 たった一瞬。その一瞬に感じたことのない戦慄が襲いかかってきた。
 あれは殺気ではない。ただ純粋に駄々をこねる子供をあしらうような何気ないもの。それなのに、どうしてこんなにも肌が粟立つのか。

「……面白い」

 それはきっと、彼が強敵となり得る強者だからだろう。
 口元が愉しそうに歪む。同時に、学校のチャイムが晴れ渡った青空に鳴り響いた。


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bkm