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アンクと過ごす日々に慣れるのは案外早かった。そもそもアンクがあまり桃子を困らせるような行動を取らなかったからとも言える。

授業中、ノートにペンを走らせる皆の横で、静かに窓からグラウンドを見下ろしていたり。エロ戦車で杏子に特攻を仕掛けてきた城之内に、桃子が制裁を与えているのを笑いながら見守っていたり。そうかと思えば、ずっと鍵のなかにひっこんでいることもあった。
あとはよく、あの病室にてアンク曰く女子会を開催することも。病室みたいな部屋は、実は桃子の精神の部屋なのだと説明をされたが、そもそも精神の部屋と言われてもよく分からなかった。ただ、夢ではないそうなので寝ていなくとも行けるようであった。行く理由も無いので、アンクに連れていかれるまでは自ら赴いたことは無いのだけども。

ただ一つ気にかかることをあげるとすれば、アンクが度々闇のゲームの気配を感じるわ、と囁くことであった。
闇のゲーム。この単語は今までにアンクを含め、二人の口から聞いたことがある。もう一人とは武藤双六。武藤遊戯の祖父である彼が、あのパズルに纏わる話を聞かせてくれたときに、言っていた言葉。一体、どんなものなのか気にせずにはいられないのはしょうがないようにすら思う。けれど、何故かアンクは詳しく説明をしたがらないような雰囲気であるために、結局闇のゲームは何か分からないまま。

『どうしたの、桃子?今日は杏子が働いてるバーガーショップとやらに行くのでしょう?』

隣でさも当たり前のように、半透明のアンクが浮いている。自動販売機や電柱にぶつかっても、すかっと通り抜けるアンクの光景ももはや日常茶飯事となっていた。

「そうだよ、バーガーワールドっていうの」

『学業もあるのに、凄いわねえ』

「うちの学校、本当はアルバイト禁止なんだけどね。申請して許可貰わない内は。……杏子は許可貰ってないよ」

『あら、ならどうしてわざわざ働いているの?』

「杏子の、一番なりたい将来の夢のためだよ。杏子はね、ダンサーになりたくてさ。卒業後にニューヨークに行くためにお金貯めてるんだ」

アルバイトをしていることは学校側に黙っておかねばならず、さらには放課後に何かと先生や級友に仕事を頼まれがちな杏子のために、桃子は杏子に任された仕事の幾つかを代わりに処理していた。そして杏子に、そのお礼としてハンバーガーを奢ってあげると言われたためにこうしてアンクとともにバーガーワールドへと足を運んでいるのだ。

『ハンバーガーは遊戯も好きなのよね、一緒に行かないの?』

「……アンクは色々なことを知ってるね」

私、貴方とずっと一緒だったのよ。貴方がこのペンダントを手に入れて、身につけ始めたときからね。そう以前に言っていたことを思い出す。
アンクは、桃子の友人関係であったり、それこそ杏子でも知らないような桃子のことなど様々なことを知っていた。

『ずっと、一緒だったから知っているのよ』

そうね、例えばーー。アンクはチェシャ猫のように、口元をにんまりさせて言う。

『桃子が、遊戯のことを好きなこと、とかね?』

即座にかあっと頬が赤く染ったと感じる。効かないのだろうと思いつつ、優雅にぷかぷか浮くアンクを睨む。やはり、アンクはのほほんと笑ってばかりで、反省もなにもないようであったが。はあ、と深い溜息を吐く。

『ため息をする度に、幸せが逃げていってしまうそうよ』

「誰のせいなのよ……」

誰にも話したことのない、バレないように隠し続けていた一つの秘密。幼馴染の武藤遊戯に対して恋心を、幼い頃から桃子は抱いていた。それを自覚したのはだいぶ前のことであったが、遊戯はきっと杏子のことが好き(杏子は気付いていないだろうが)と思っていたのもあり、誰にも知られないように、そっと心に隠し持たせていた恋心。

それを、以前に夢の中でアンクにバレていたことを知り、驚いてしまった。そんな桃子を見たアンクは笑って、

『だって私、貴方とずっと一緒だったのよ。文字通り四六時中。気付かない方が変よ?桃子の隠し方が下手という訳では無いけれど』

プライバシーのプの字もないもの言いに、思い出しては何度目か分からないため息をつく。
どうせアンクは自分以外には見えやしないのだから、桃子の秘密を、アンク以外に新しく知る人はでないだろう。

「あたしのプライバシー、アンクの前だとあっては無いようなもんじゃん……」

『実はペンダントのなかで篭っていたら、外の情報は遮断出来て、私に入ってこなかったりもするのだけど』

「え、そうなの!?」

『でもずっと引きこもってるのは辛いから、嫌!』

「そっか……」

頷くことしかできない。ただ、どうしても知られたくないような事態には篭って貰えるよう要求しようと心に決める。

「着いた、ここがバーガーワールドだよ」

『へぇ、ここが……』

ふんふん興味深そうにハンバーガーモチーフのキャラクターの大きな看板を見上げるアンク。そっとアンクの姿を見れば、胸元にある桃子と同じ鍵のペンダントに、明らかに今の時代には合わない、古代で着られていたような裾の長い白のワンピース。アンクに振り回されてばかりだけど、隙を見て、彼女自身のことについて質問してもいいかもしれない。

踏み入れると、店内に見知った顔を見つける。

「遊戯に城之内じゃない」

「あれ、桃子だ!」

遊戯に手招きされ、そのまま遊戯の隣に座る。既に机に置かれた二つのハンバーガーには、真っ赤なケチャップでデカデカと「ちくったら殺ス」の文字。

「これやったの、杏子だったりする?」

答えはなかったものの、二人の苦笑いで、嗚呼やっぱり杏子かあ……と思ってしまった。

「あの、あたしからのお願いだけど、二人とも杏子のことはちくらないであげて欲しいの」

「夢のため、なんだろ?チクらねーよ」

「うん、杏子のためだもん。学校には内緒にするよ!」

にこやかに二人は頷いてくれたことに、ひとまず安心する。二人(特に城之内)を見た杏子はきっとチクられて退学にでもなってしまうと考えたんじゃないだろうか。それにしたって、このケチャップメッセージはだいぶ衝撃的だけども。

『杏子はさておき……。遊戯とこの、城之内?って子と仲良くなったのね。いいわね、セイシュンって感じだわ』

辿々しく青春青春と言い、うんうん頷きながら楽しげにアンクは浮いている。何が楽しいのやら。でも、確かにそうだと桃子は思う。つい先日までは決して仲良しお友達には見えなかった二人だったのに。知らぬところで何かあったのだろうかもしれない。


「桃子来てたのね!」

「杏子〜!来たよ、制服可愛い。似合ってる!」

緑を中心とした、バーガーワールドの制服。さすが、可愛いよ杏子と親指を立てることを忘れない。

「桃子にもハンバーガー奢るわ、約束だもんね」

「ありがとう、勝手に遊戯たちと同席しちゃったけど、大事だった?」

「大丈夫よ!じゃあ、ハンバーガー持ってくるわね」

そう言って杏子は離れていく。

「桃子は杏子がここでバイトしてるって知ってたの?」

「うん。杏子が頼まれごとされて、バイトに遅れそうだったら代わりに仕事してたりしてたよ」

「そっかあ、でもニューヨークなんてカッコいいよね」

「杏子ってただのでしゃばりだと思ってたけど、ちょっと見直したぜ」

「そうでしょう、そうでしょう。杏子は凄いのよ!」

「なんでお前が自慢げなんだよ」

「桃子は杏子大好きだからねえ」

三人で話しながら、バーガーが来るのを待つ。何気なく入口に目をやると、少しやつれた顔をした、草臥れた服装の男性が丁度入店していた。それに気付いたらしい杏子が早速案内しようと彼の元へと向かう。
しかし、杏子が声をかけたところ、男性は隠し持っていた拳銃を取り出し、杏子の口元を押さえつけ怒鳴り出した。

「騒ぐとこの女、ぶっ殺すぜ!」

思わず桃子たちは席を立つが、杏子を人質にされているが故に、下手に動くことが出来ない。額にある777の数字の並びに、連日報道され、町をざわつかせていた脱走犯であると分かる。

どうしよう。遊戯、城之内らも同じく迂闊に動くことはできない。脱走犯が杏子に向ける拳銃はまさしく本物のそれで。でも。杏子の様子を確かめる。杏子の顔色は、今まで見たことがないほどに青ざめていた。
桃子は、杏子がアルバイトを始める前に杏子と交わした会話を思い出す。校則違反でもあるし、それ以上にスケジュールが厳しくなって、杏子の体調が崩れてしまうことを危惧したが、杏子は笑って、「でも叶えたい、私の一番の夢だから!ブロードウェイじゃなくても、小さな舞台でもいい。私、ダンサーになって踊りたいの」そう答えたのだ。けれど、もし脱走犯の気が変わって、あの拳銃の引き金が引かれたら。何もかもが終わる。桃子の大好きな、大切な双子の片割れが、消えてしまう。

『……桃子?』

事態を静観していたアンクがまず、気付く。ぎゅっと手を握りしめた桃子が、一歩、また一歩と脱走犯と杏子の元へ歩を進めていく。それに気付いた、アンクだけでなく遊戯や城之内の自身を呼ぶ声を無視して。

「なんだ、てめえ!これ以上近付くとこの女を……」

「人質、あたしにして」

怒鳴る脱走犯の台詞を桃子の静かな声が裂く。その場にいる全員が呆気に取られたのか、シン……と騒めきがおさまる。

「人質、あたしにして。あたしのほうが小柄だし、もし人質連れて逃げ出そうって時に楽なんじゃないかしら」

本当は桃子も怖い。この要求が飲み込まれず、逆に脱走犯の男から反感を買い、杏子を殺されでもしたら。でも言わずにはいられない。杏子が目の前で震えているのを見過ごすままには出来ないのだ。

「待って、桃子!」

心配そうに、再び遊戯に名前を呼ばれる。大丈夫だから、と意味を込めて彼の方を向いて笑って頷く。

脱走犯の男は桃子の言葉を聞いた後、少し考え込み、桃子の身体を見下ろし、その通りだとでも考えたのか、彼女の提案を許可した。
彼の合図で、2人はそれぞれ歩きだし、桃子は男の元へ、杏子は遊戯や城之内の近くへ向かっていく。遊戯のように不安のような顔つきでこちらを覗く杏子とアンクにも、安心させるように笑いかける。男の隣に座らせられ、リボンで目元を隠される。

「さあて、これから俺が要求するものをテーブルに運んでこい!そうだな、どいつにするか……。そこの気の弱そうなチビ!お前だ!」

そして男は、店内の全員に床に伏せて、目を閉じるように指示を出す。横でそれを聞くことしか出来ない桃子は、城之内が零した「遊戯」の一言を聞きとった。
先程男が指名した、気弱なチビ。これはきっと、遊戯だ。そう思った瞬間、桃子は立ち上がって叫ぶ。

「遊戯、来ないで!危ないよ!」

「騒ぐな、黙ってろ!」

ガツン、と桃子の頭が強く殴られる。

「いっ……」

「桃子!」

無防備な状態で、至近距離から男の拳を受けたせいか、頭がぐらぐら揺れる感じがする。

『桃子!大丈夫?』

遊戯とアンクの悲鳴になんとか答えようとするが、じくじく痛みを訴え始めた頭を押さえる。
ドン、と机に何か置かれた音。向かいの席に、誰かが座る気配。

「くく……お望みのものを持って来たぜ」

聞き慣れた遊戯のようで、でも、全く別人のような声が耳に届く。声の主は脱獄犯の男にゲームを持ちかけたようだった。痛みで思考を邪魔されながらも、なんとか2人の話を聞き取ろうとするも、上手く聞こえない。途切れ途切れの会話の末に、桃子は腕を引っ張られる。

「桃子、行こうぜ!」

「え、ええ、うん……?」

ファイヤーと叫ぶ声、何かが熱く弾ける音を置いていくかのように、「彼」に腕を引かれたままに歩く。
ある程度歩き進めたところで、目を隠していたリボンを外せば。

「無事でよかったよ、桃子……」

「遊戯……」

目の前にいたのは遊戯、ただ一人。遊戯が、助けてくれたのだろうか。しかしあの朧気な意識の中に聞いた、あの声は確かに遊戯に似ていたけれど、彼とは違うと桃子は思ってしまった。自分でも理由は分からないのに。

「どうしたの?桃子、もしかして殴られたところが痛むの!?」

「まだちょっと痛いけど……違くて……、遊戯、ちょっとごめん」

むぎゅ。遊戯の柔らかな頬をつまみ、ぎゅむぎゅむ弄る。何故そうされているのか分からず、けれど桃子の手を払い除けるのも気が引けたらしく、そのままにさせてくれている遊戯はいつもの遊戯で、桃子はそっと安心した。

そのまま二人は城之内と杏子に迎えられる。桃子は心配させないでよと涙目の杏子からのデコピンを甘んじて受け入れた。杏子への心配故の行動であったけれど、杏子が自分にしてくれた心配も分かってはいたので。


バーガーワールド立てこもり事件の帰り道。双子は並んで歩きながら家に向かっていた。

「そうだわ、桃子。あの脱獄犯から助けてくれた人って、誰か分かるの?」

「うーん。目隠しされていたし、頭も痛くて、あんまり覚えてないんだよね……。遊戯に似てる声だなあとは思ったんだけどさ」

「私も聞こえた感じそう思ったわ。でも、遊戯あんなに自信満々な声じゃないし……」

「ふふ、気になるの?」

「だって、彼がいなかったら桃子も私たちも助からなかったかもしれないんだもの!」

恋する乙女のように(実際そうであるのだが)頬を赤くする杏子をくすくすからかいながら、桃子も得体の知れない「彼」を考えていた。

『やっぱり、闇のゲームの痕跡から分かってはいたけれど……。復活していたのね』

双子を優しく見守りながら、空中を漂っていたアンクの独り言に気付かないまま。



陽光