ケロイド


見られているのは慣れている。行き交う人が、見世物を見る様に自分を見る。
美しい漆黒の髪を持つ異国人だから?違う。
此の左半分の顔面が、面白くもあり、奇妙であるから。
異国人の見世物。所詮自分はそんな存在なのだと、袴を揺らす。
「今日も、可愛いな。」
「何を仰る。可愛いもんですか。」
馴染みの市場で、会話を交わす。ほら御覧。見慣れない輩が、こっちを見る。
そんなに日本人が珍しいかと、唾を吐いてやりたい。
「日本人って、皆そんなに小さいのか?」
「さあ。僕は特別小さいんですがね。」
「うちの娘より小さい。」
「此方は発育が宜しい様で何より。嗚呼、後其の果物も頂けますか?」
「はいよ。」
荷物を受け取り、微笑む。御覧。此れだけで、男を虜にする。
買った品を確認し、戻ろうと顔を上げた時、ふっと影が出来た。
大きな男が三人。
不味い。
此処に来て数ヶ月経つが、何度も絡まれた。多分、此れもそう。物珍しい自分は、暇な奴等の格好の餌だ。
「よう、嬢ちゃん。」
女に間違えられるのは、昔から。其れが此処では、知った上で云う。
「御遣いかい?」
掛かる酒臭い息に、顔が歪む。昼間から何をしているんだろう、声を出すのも面倒臭い。
「御覧、在の坊や。又絡まれているよ。」
「嗚呼、可哀相に。然も在の集団…」
「誰か助けなくて良いのか?」
「冗談じゃない。返り討ちに遭うだけだよ。」
全く、自分の安否しか考えないのは、何処でも一緒なのだなと、地面を見据えた。
「聞こえてるか?日本人。」
「喋れねぇんじゃねぇの?」
「可哀相に。」
笑い、腕を掴む。
「止めて下さい…」
「へぇ、可愛い声だな。何て云ってるか判らんけど。」
下品に笑い、掴んだ腕を強く引く。不味い事になった。今迄は金品を渡すだけで済んだが、今回はそうもいきそうに無い。
「離せ…」
喚けば喚く程楽しそうに笑う男達。独逸語で罵れれば何れ程良かったか。然し自分には其れが出来ない。教えて貰っていないから。母国の言葉で何と云おうが、相手には通じず、笑いの種にされるだけ。何故こんな目に遭わなければ為らないのか。助けを求め、浮かんだ顔は、恋人ではなく、姉の顔だった。
「姉上…」
呟きと共に、涙が流れた。其れでは、男達の楽しさが増すだけだと判って居るのに、勝手に涙が流れた。
「泣き顔もそそるな。」
「何、今から嫌って程見れるだろう。」
「其れもそうだな。」
云ってる言葉は判るのに、返せない。何故彼は、罵る言葉の一つや二つ教えてくれなかったのだろう。
「此の糞野郎…」
声を振り絞り言った英語。驚いた事に、此れは通じた様で、男達の動きが止まる。
「御前、今何て云った…?」
腕を掴んでいた男の顔の歪みと比例し力が入る。
「糞野郎…?」
そうか、英語だったら通じるのかと、口元が歪む。だから、云ってやった。
「もう一度云ってやろうか…。此の変態野郎…」
男の顔に血の気が上るのが判る。顔が高揚しているのは、何も酒の所為ではない。好きにされるのなら、こっちも云う迄。
「好きにするのは勝手だ。でもな、僕だって黙ってない。事の最中、ずっと罵ってやるからな。」
「…良い心掛けだな。」
矢先、宙を浮く身体。抱えられ、荷物の様に肩に担がれた。
此れは、屈辱だった。
「此の野郎っ、荷物みたいに運ぶなっ」
「黙ってねぇと舌噛むぜ。噛んだら、罵れねぇだろ。」
「離せっ変態っ」
「はいはい、御口チャックな。」
湿った手で口を塞がれ、此れ以上喚く事が出来なくなった。流暢に話す英語。其れに通じた。若しかすると、此の男達は。
「亜米利加か。」
止まる足。
「良く判ったな。」
落胆した。そうか、だから誰も助けてはくれなかったのか。誰も手出ししなかったのは、札付きの輩ではなく、国が違うから。
外国人同士の喧嘩に加勢してくれるそんな人間、何処に居ようか。
「だったら尚更御断りだ、野蛮人。」
「差別か?独逸人は良くて亜米利加人は駄目。抜かせジャップ。」
「御前に云われたくない。」
嫌に静かだった。
最初の方は騒いでいた市場の人間も、通行人も、今は唯見ていた。何だか其処だけ、世界から切り離された様に、写真の様な世界だった。
男は深く息を吐き、肩から下ろした。
「面白い事、思い付いた。」
俯いた顔を顎を掴み無理矢理上げ、向けさせる。
「御前、何か生意気だな。」
「そんなの知る…………」
云い掛けて、言葉が無くなった。不適合に笑う男の手が包帯に伸び、簡単に剥がされた。
曝け出される醜いケロイド痕。男達は一瞬言葉を無くし、そうして、鼻で笑った。
「御前、其れ、自分でやったのか?」
「な訳ねぇよな。やられたか?目迄潰れて。俺達より、此れをやった日本人の方が野蛮人じゃないか。」
「俺さ、こんな日本の妖怪見た事あるぞ。御岩さん、とか何とか云う奴。」
嘲る声に力が抜ける。
散々笑われてきたが、此処迄の仕打ちはされた事が無かった。日本でも、顔を顰め、まあ御可哀相にと哀れむだけ。此処でも、そう変わらなかったが、此れじゃあ本当の見世物ではないか。
気に食わないなら、其れで良い。でも、こんな大衆の前で。
怒りで震えたが、罵る事も喚く事も出来ない程、ショックが強かった。
「もう、良いだろう…?こいつは未だ子供なんだ。子供にこんな惨い事して、あんた等平気なのかっ?」
先程会話を交わした主人が、身体を抱き締め、庇ってくれた。でも、もう遅い気がした。
男達の怒りも、自分の苦痛も、上がる所迄来た。後は下がるのを待つだけ。
「邪魔すんのか…?」
「邪魔とか、そんな話じゃないだろう?人として最低だって云ってるんだ。」
「ふぅん。其れで?」
耳迄裂けて居るのでは無いかと思う程不気味に口角を上げ、主人の胸倉を掴み腕を振り上げた。
自分だけなら未だしも、他に被害が及ぶのだけは避けたかった。駄目だと目を瞑ったが、男の腕も空気も、時が止まった様に、しんとした。
雲の様にふんわりとした白い物が視界を過ぎり、時一の前に塞がった。
男の振り上げた腕を掴み、切り取られた絵の様な全く動かない空間で、紫煙と白衣は不釣り合いに揺れて居た。
「落ち着け、酔っ払い。」
「宗一さん…」
「御待たせ。助けに来たで。」
訛り、笑う宗一に安堵の涙が零れた。
宗一は笑った顔を男に向け、無表情を見せた。
「其の手を離すか、腕が折れるか。どっちが良い。」
力を込め、少し乾いた音を出す。
「早く云えよ。折って良いのか。」
暢気な声とは逆に痛さで顔を歪める男。
「何だよ、御前…」
「知りたい?」
更に力を込め、腕を捻り上げてゆく。男の身体は反転し、そして見えた白衣に笑った。
「医者か…」
「そう見える?」
「なら何だよっ」
煙草を吐き捨て、風が舞った。そうして、白衣が揺らいだ。
「カミカゼ。知ってるか?脳足りん。」
「はあ?」
訳が判らないと、苦痛で顔を歪ませ、主人の胸倉から手を離した。其れを見、宗一も腕を離した。
「俺の連れに、散々な事してくれたな。」
俯き、男の首根っこを掴み地面に叩き付けた。神風、と云った其の侭の速さに息を呑む大衆。
「此の野郎…」
呆然と見ていた男達が宗一に襲い掛かるが、汗を見せ、動きを止めた。宗一の手に光る、小さな医療用具。
「近付くなよ。此奴の延髄がやられるか、自分達の首から血を噴出すかしてやるからな。」
「何で、メス何て持ってんだよ…」
「護身用。何かと物騒だからな。」
「御前の方が物騒だよ…」
たじろぎ、後退してゆく二人の男。そうして、罪の擦り付けを始めた。
「俺が、云い出したんじゃない。其奴が、今あんたが押さえ込んでる…」
「裏切りやがったな…?」
「俺達は関係ないっ」
「其奴は好きにして良いから…。軍に売るなり、好きにしてくれ。」
「好きに、して良いのか?」
宗一の言葉に、男達は大きく頷いた。
「嗚呼、好きにして良い。だから、頼むよ。見逃して…」
蒼白し頼む男達に鼻で笑い、仲間に売られた男の顔を覗いた。
「駄目だな。顔が好みじゃない。」
云って、二人を見る。
「そうだな、御前。其処の髪の長い方。」
「俺…?」
「そう御前。」
指名された男は挙動不審に助けを周りに求めたが、仲間の男でさえ目を合わせ無かった。口角を上げ、メスを回し乍ら近付いた宗一は、縛ってある所から男の髪を切り落とした。
地面に落ちた金糸に、眉を上げた。
「へえ、綺麗な髪だな。高く売れるよ。」
「は、はは…そうか…。其れは良かった…。いや、本当に…」
云って逃げ様とした三人だが、一人の男が前に立ち塞がり、其の威圧感と見えた軍服に座り込んだ。
「独逸、兵…」
御機嫌よう、と笑顔を向けられたが、とても笑える状況ではない。唯々、男達は引き攣って居た。
「勘弁してくれ…。本当…謝るから…」
謝り乍らも男達は罪を擦り合い、もう良い、と放たれた宗一の静かだが恐怖を覚える言葉に黙った。露にされた時一の顔を裂いた白衣で隠し、肌の色を見た。そうして、三人の肌の色とを見比べた。
「…御前。」
「え?」
「そう、御前。」
少し黄色を帯びた、日本人に近い肌の色を持つ、時一の包帯を取った在の男に宗一は向いた。
「御前が、包帯取ったんだろう?」
「いや…」
違うと首を振ろうとしたが、他の二人が激しく頷いた。
「顔は好みじゃないけど、まあ、良いか。ハンス。」
男の首を再度掴み、無理矢理立ち上がらせた。
「此奴、貰って行くけど、良いか?」
ハンス、と呼ばれた彼は男達から目を離し、頷いた。
「ソウイツの好きな様にすれば良い。俺は此奴等を連れて行く。ざっと調べたが、御前等身分証は何処だ?」
ぞっと、背中に悪寒が走る。
男達が異邦人であるのは誰の目に見ても判り、身分証を携帯して居ないと云う事は、不法入国と見做され処罰対象である。
不法入国となれば偵察者と位置され投獄、其れなりの処罰が下る。
「勘弁してくれ…」
独逸軍の処罰が如何なる物か、知る三人は泣き喚き、然し宗一とハンスは笑った。
「そう云って、喚いたトキイツを見世物にしたのは、御前達だろう?」
笑顔でハンスは云い、
「さあ、今度は御前達が見世物になる番だよ。連行しろ。」
と、地面に縋り付く二人をハンスの部下が三人掛かりで引き摺り、車に乗せた。
止めてくれ、降ろしてくれ、国に帰してくれと、二人は喚いたが、一人の兵士に頭を殴られ静かになった。
「後でな。御機嫌よう、御二人さん。」
敬礼をし、後部席の二人を狭いと云う理由で蹴飛ばし、車を走らせた。
檻に入れられた兎の様に怯え、殴らないでと、頭を抱える仲間の姿。呆け、取り残された男の首に、宗一の指が這った。
「生きて…帰れると思うなよ?」
耳元で響く其の声に、男は力を抜かした。
独逸は恐ろしい場所だと繰り返す男の姿を喉の奥で笑った宗一は時一に向いた。
「帰ろうか。」
優しい声。
「ええ。御心配、御掛けしました。」
「全くやで、ほんに。」
やれやれと時一をおぶり、力の抜けた男を蹴飛ばし、歩く様云う。手に触れる何か。
「買ったもん、忘れんなよ。」
笑う主人。
「嗚呼、済みません。有難う御座います。其れに、先程は。」
「何、気にすんな。見てらんなかったんだよ。」
子供は大事にしなきゃな、と主人は笑う。
「本当、済みませんねぇ。殴られませんでした?此の豚に。」
云って、又男を蹴飛ばした。
「はは。大丈夫だよ。先生が助けてくれたから。」
「其れは良かった。ほら、さっさと歩け、豚。」
尻を蹴り、さっさと歩く様促す。
「あの…俺、どうなるんだ?」
其の言葉に宗一は不気味な程嬉しそうな顔をした。
「其れは帰ってからの御楽しみだ。車に乗れ。」
「其れでは御主人。又。」
「嗚呼。」
笑顔で見送ったもの、男の行く末が心配な主人。
「先生、結構酷いからなぁ…」
「ま、此れで、此処も平和って事で。」
「何よりだな。」
止まっていた時間が動き出した様に、人が動く。始めから、何事も無かった様に。




*prev|1/6|next#
T-ss