ケロイド
太陽の光が眩しい。前髪が無いのが、こんなに心地好いとは、随分忘れていた。
着物を脱ぎ捨て、最後に姉に会った時の様に新調された洋服を身を纏う。そうして、何時もと同じ様に、何時もの市場に向かった。
「御主人、何時ものを。」
「はいよ。」
背を向けていた在の主人は、身体を向ける為り眉間に皺を寄せた。商売柄、顔を見れば誰だか判る。然し、此奴は誰だろうと首を捻った。何時もの、と云った辺り馴染み客だろうが、主人は思い出せず居た。
此の地域は吹き溜まり場みたく、多様な人種が生活する。同じ欧州圏内であれば大体の人種は判るが、主人に東洋人の違いは判らなかった。時一を認証して居たのは服装と包帯、そして東洋人の医者を連れて歩いて居るからであった。
「済まない、誰だっけ。」
堪らず聞いた主人に、時一は商品から顔を上げた。
「僕ですよ。」
笑い、顔半分を手で隠す。そうして日本語で、今日はと云った。其処で主人は気付いた。
「あ…?嗚呼?坊やか?」
「ええ。御無沙汰しています。二週間も会ってないと忘れちゃいますか?」
「いや、最近来ねぇなぁとは思ってたんだ。先生か?すげぇなぁ…」
顔を近付け、其の技術に息を吐いた。
無理も無い。同じ医者である人間からも、驚きと賛美が上がった位なのだ。野菜と果実を売っているだけの主人にしてみれば、凄い意外の言葉は出ない。
時一も同じだった。宗一の腕か、医学か。どちらが優れているかは、曖昧な処。
宗一は魔術師か何か。
そう思う様にし、自分を納得させた。
「処でさあ。」
袋に野菜を詰め乍ら主人は聞く。
「坊やは何で此処に来たんだ?」
詰め終わった袋と金を交換した。
「何で、と云いますと。」
「いやな、そんな年も行ってねえ内に、国から出るって、すげえ根性だなと思ってな。」
自分とは豪い違い、と笑う主人の言葉に時一は考えた。
何故そんな事を聞くのか。
そんな年と云っても、宗一が初めて此処独逸に来たのも時一と近い年だった。時一と同じ様に、師匠と崇める男と一緒に。
其れは主人も知って居る。十五六年前に現れた、親子の様な日本人。宗一も又今の時一同様、此処で生活をし、主人は其の頃から此の店で主人をして居た。唯宗一は、年依りかなり上に見られて居た。
若しかすると、主人はとんでもない間違いをしているかも知れない。
「僕、幾つに見えます?」
自分の事で全く気付かないが、時一は成長が止まって居る。周りから見れば小学生、此処ではもっと幼く見えた。
質問に主人は顔をくしゃりとし、顎に手を遣り考えた。
「三年生位か?でも末娘より小さいな…」
「三年生って…。結構な年ですよ、僕。」
笑うと、両方の目が同じに閉じた。其れに時一は感動を覚え、主人の事等如何でも良く思えた。
「結構な年?何云ってんだよ…。結構な年って云うのは、俺みたいな年を云うんだよ。」
「御主人、御幾つですか?」
「四十だよ。」
「へえ、御若く見えますね。」
世辞を一つ、主人が答えを出す迄未だ時間が掛かりそうだと、林檎を見て居た時一は一つ手に取り、無言で齧り付いた。
「一言云えよ。」
「早く答えないと、もっと減りますよ。全部食べちゃおうかな。」
「結構な年…?二十代?いやまさかな…」
「二十代は流石に無いです。」
果汁を垂らし乍ら食べ、林檎を齧る音が虚しく響く。主人が考えて居る間にも、林檎は丸い形を無くして行った。
「じゃあ息子と同じ十二歳。六年生。」
「まあまあ近いですね。」
「本当は?」
「十五歳です。来年、高校ですね。学校は行ってませんけど…」
横に並び、品を見ていた婦人の手から荷物が落ちた。嫌な音を立てた処を見ると、卵が入っていたに違いない。主人も動揺し、婦人と暫く見詰め合った。
「おい…、冗談だろう…?」
「正真正銘、十五歳です。」
渡された時一の身分証を見た主人は頭を抱え、無い髪を触った。心做しか、毛が減った。
「神様嘘だろう…」
「一寸あたしにも見せてよ…」
二人揃って身分証を見詰め、偽装だ何だと云ったが、そんな偽装を働き一体何の得があるのか、矢張り正真正銘の十五歳なのかと身分証を返した。
「先生に成長を止められたか…。少年愛って奴か…」
「違いますよ、面白いなあ。」
宗一に多少其の気は見られるが、時一の成長を願う所、誤解であろう。
人事の様に笑い、婦人の落とした荷物を拾った。矢張り読み通り、卵が無惨な姿になっている。指と手に付き、糸引く卵白。厭らしい事を考えてしまい、首を振った。
「卵、割れちゃいましたね。」
しなくとも良い動揺で割れた為、自分の所為だと時一は謝罪したが、婦人は袋を漁ると強く頷いた。
「ほらあんた、割れて無い卵持って行って良いから。景気が良いね、御肉も入ってる。野菜もあげる。一杯食べて、大きくなんな。ね?」
小さいのは食べて居ないから、可哀相に食べられないのだろう、そう勝手に解釈した婦人は時一に袋を渡した。
「林檎も好きなだけ持って行け。な?先生も矢鱈細いし、ピーマン食べろ、ピーマン。」
「そうだよ、ピーマンの肉詰めを食べな。大きく為るよ。…ピーマンで大きく為るの?」
「いや、知らない。薬みたいな味だから、何となく。」
前が見えない程袋を抱えさせられた時一は困惑気味に顔を引き攣らせた。
林檎は好きと云う訳では無く、さっきは偶々、目の前にあり指に触れたから食べただけの事。卵に至っては、嫌いな部類に入る。味と云い臭いと云い、時一の避けたいランク上位だ。ピーマンは宗一が嫌いである。
「大きく為るんだよっ」
「でっかく為れっ」
「はあ…、有難う御座居ます…。重いや…」
其れでも無下に出来ず、笑って受け取ってしまう、嗚呼何と悲しきかな日本人の性。
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