ケロイド
鏡に映った自分の姿に、時一は息を飲んだ。鏡に触れる指は震え、鏡と交互に顔を触った。
「顔だ…。僕の…、顔だ…。ずっと…、僕…の…」
前と何ら変わりない自分の顔に、涙が流れた。醜いケロイドの痕も無く、そうして、白く潰れても居ない、黒い目。
「僕の、僕の……」
「義眼、入れといた。見えへけど、ええやろ?」
「ええ。ええ…、願っても無い…」
両目が揃う事、二度と無いと思って居た。なのに鏡に映るのはきちんと両目揃う顔で、ケロイドが消えた以上に嬉しく、涙が止まらなかった。
「有難う、御座居ます…。信じられない…」
泣きじゃくる時一を宥め、一度抱き締めるときちんと両目が見える様に顔を上げた。
「もっと、見せて。嗚呼、時一や。うちの、大事な、時一。ほんに可愛いらしい顔して…」
云って、宗一の目から涙が零れた。
「御免な。辛かったやろう?ほんに、堪忍な。」
何度も頬にキスをし、愛しさを溢れさせた。
髪を上げられ、思い出した時一は鋏を触り、宗一に向けた。
「如何ぞ、切って下さいな。」
「嗚呼、切ろうな。」
隠す様にしていた前髪、其れを一気に切り落とした。
久し振りに感じる風。然し、感じ過ぎたかも知れない。鏡に映る顔が引き攣る。
「失礼ですが…、もっと綺麗に切って貰えませんか…」
「堪忍…」
苦戦していると、後ろから笑う声が聞こえた。
「器用何だか違うんだか…」
壁に凭れ、呆れ乍らも楽しそうに笑うハンス。時一の顔を見ると一層顔を緩ませた。
「嗚呼、本当に可愛いな。」
「感心は良い、手伝って呉れないか…?馬鹿と鋏は使い様、って云ってな…」
「鉗子は使える癖にな…」
一度手紙を渡した時、中の便箋毎切った事を思い出したハンスは近付き、宗一から鋏を受け取った。
「髪ってのは、こうやって切るんだよ。」
青醒める時一の頭を数回叩き、器用な手付きで髪を整え切ってゆく。其の過程に二人は感心の息を吐いた。
「御上手ですね。」
「妹の切ってたからな。」
「嗚呼、此処にもシスコンが居たか。」
全く兄と云うのは、自分も含め妹に弱いなと歎いた。然し宗一が云う其れは自分の事では無い。
「此処にも、って。他にも居るのか?」
「此処。」
勿論、時一の事である。
「トキイツ、妹が居るのか?可愛いだろうな…」
時一ですらこんなに可愛い、妹と為れば一層可愛いに違いないと鼻の下を伸ばした。
「いや、時一は姉上。」
「嗚呼成程。其の姉君も、トキイツ同様見目麗しいのだろうな。」
「ええ、麗しいです。僕の自慢の姉です。」
「其れは其れは、一度御会いしてみたいものだな。」
日本に行く予定は無いが、と笑う。
「嗚呼、駄目。時恵には嫉妬深い伴侶が居るから。破廉恥な目で見様ものなら、其の顎の割れ目を愛刀で脳天迄伸ばして呉れるぞ。」
「武人か…、怖いな…」
其処でハンスの手が止まった。
「日本でも、恋人の親族は名前で呼び合うのか?」
「え?」
時一の目が動く。
「いや、君達は恋人だろう?其れは判るんだ。でも、トキイツの姉って事は、ソウイツから見れば他人だろう?日本人は云うだろう、“シタシキナカニモレイギアリ”。敬称も無く云ったから、不思議に思っただけだ。」
宗一の顔が曇る。
此処では恋人と云って居るが、兄弟の事は伏せて居る。似ていない顔だから誰も気付かない。なのに、何時もの癖で云ってしまった。
言い訳し様か、もうはっきりと自分達は異母兄弟で近親相姦だと暴露するか、宗一は悩んだ。
然し云った後は?
自分は構わないが、時一が侮蔑されるのは我慢出来無い。こんな関係に持ち込んだのは自分、自分と恋等し無ければ女と恋をして居たに違いない…、心の何処かで宗一はそんな風に考えて居た。
唯でさえ軽蔑される同性同士、其れが近親相姦と為れば、答えは明白だった。
無言の宗一に気付いた時一はハンスが気付く前にと、大袈裟に一言出した。
「姉が…。そう、姉が、時恵と呼んで良いと、宗一さんに云って。」
「そ、そう…」
「嗚呼、成程。其れでか。」
納得したハンスは数回頷き、宗一の顔色が戻ったのを確認した。
「良し、此れで良いだろう。」
仕上げに数回髪を乱し、鋏を置いた。
整えられた髪形に時一は満足し、ハンスに向いた。
「Danke schon.」
「Bitte schon.御礼は食事で良いよ。」
「ハンス…?」
「嘘。全く御前の伴侶も嫉妬深いな。」
笑い、露わに為った時一の顔を撫でた。
「奇麗だな、本当に。ソウイツの腕には頭が上がらないよ。」
鏡に映る顔。
長い呪縛からやっと開放された。其れが、酷く嬉しかった。
鈍い光を放つ義眼、鏡越しに触れた。
〔
*prev|4/6|
next#〕
T-ss