小さな女王陛下に御挨拶


泣き疲れたのか、ヴィクトリアは机に突っ伏した侭、頭を撫でる拓也の手を感じて居た。泣かせたマシューは罪悪感に苛まれ、如何したら良いかハロルドに聞いて居た。
「少し遣り方を間違えただけ、違う方法を考え様。自分を責めちゃ駄目だよ。」
「判った。」
無理矢理口角を吊り上げても、人は決して笑わない事を君は一つ学んだね、とマシューを責める事は誰もしなかった。
机に散らばる紙を一枚拓也は手に取り、ヴィクトリアの抱える物を考えた。
矢鱈に強調される赤。最初は血だと思ったが、線の始まりはどれも無造作に描かれた口から始まって居た。塗り潰され良くは見えないが、黄色い線がある。
ブロンド、詰まり此れは血では無く口紅なのかと理解した。
紅茶を並べる為片付けて居るシスターに其れを渡し、其の間拓也は、止める事無くヴィクトリアの頭を撫でて居た。離れた手にヴィクトリアは顔を上げ、拓也を見た。互いの目を映し合い、テーブルを見たヴィクトリアは並ぶ皿から一枚ビスケットを取った。其れを半分に割ると、半分を拓也に渡した。
「呉れるのか?」
ヴィクトリアは頷き、拓也が食べた後自分も食べた。小動物の様にビスケットを食べる姿、見て居たマシューは同じ事をヴィクトリアにした。差し出されたクッキーを凝視し、上目でマシューを警戒した。割れたクッキーから見える黒い粒が気に為るのだ。
「ドライフルーツが入ってる。レーズンだよ。」
「結構美味しいよ。」
ビスケットの中途半端な甘さが残る拓也は紅茶で流し込み、此れが英吉利人には美味い部類に入るのかと、味覚の違いを知った。
「有、難う…」
云ってヴィクトリアは半分のクッキーを取り、又其れを半分、拓也に渡した。
「動物の親子みてぇ…」
食べ粕みたく小さいクッキーの為味は良く判らなかったが、矢鱈喉乾きする食感である。此れを丸々一枚食べたら紅茶が足りなく為る、其れでも豪快に食べ続けるハロルド達を見た。
「子供の頃から思ってたけど、修道会の御菓子って何でこんなに美味しいんだろうね。」
「美味しいだけじゃ御座居ませんのよ、身体に宜しいんですよ。」
「良いね、幾らでも食べられるよ、ヘンリー。」
「今日はもう野菜食べなくて良いかも。やったね。」
御前達の頬は如何為って居るんだ、親戚に栗鼠でも居るのでは無いかと疑う程ハロルドとマシューの頬は膨れて居た。ヴィッキーは美味しく無さそうにぼそぼそと食べている。正直、一欠けらのクッキーも半分だけのビスケットも美味しいとは思えないが、健康を考えて此の味に為って居るのだろう、拓也は何も云わなかった。
ハロルドとマシューのカップに紅茶を入れたシスターは拓也にも薦めたが入って居ると断られ、其れの代わりの様に聞いた。
「此処は、如何です?」
聞かれた拓也はカップに付け掛けて居た唇を離し、ヴィクトリアを見た。
「良い、所ですね。子供の笑い声に溢れ、其れで居て静かで。心が洗われそうです。」
「光栄ですわ。」
ヴィクトリアは何も云わず、俯いた侭口を動かし、そんなヴィクトリアの姿にシスターは溜息を殺した。
声を取り戻せたのだけでも奇跡、其れ以上望んではいけないと思うのだが、ヴィクトリアの事を思うと云わずには居られなかった。
「若し宜しければ、又来て頂けませんでしょうか。」

シスターの言葉に、カップを口に付けた侭ヴィクトリアを見ると、黒い目は拓也を見上げて居た。
「私で良ければ、帰国する迄来ます。」
無言で小さな音を立て食べて居たヴィクトリアだが、一度大きくビスケットの砕ける音を響かせた。
「帰国…?」
帰国の意味が判らないヴィクトリアはマシューを見詰めた。マシューも実際、拓也は日本人なだけで英吉利に住んで居ると考えて居た。然し、帰国と聞いた為、何れは日本に帰る事を知った。此れをヴィクトリアに云って良いものか、ハロルドを見た。見られたハロルドは横目で拓也に確認を取ったが、手を振られた。カップを置いた拓也は、きちんとヴィクトリアに身体を向け、両頬に手を置いた。
「俺は、此処の人間じゃないんだ。半年もしない内に日本に帰る。其れ迄は来て遣れる。」
見上げて居た黒い瞳は揺れ、はち切れんばかりに開いた侭首を振った。
「嫌…」
「頼むよ、我が儘云わないで呉れよ。」
「連れてって。」
ヴィクトリアの言葉に溜息を殺し、其れは出来無いと手を離し、煙草を手にした。
天井に伸びる紫煙を、ヴィクトリアは眺めて居た。
「あのなぁ、人形じゃねぇんだから、嗚呼、じゃあ持って帰りましょう、そうしましょう、って話じゃないんだよ。無断で連れて帰ってみろ。俺は捕まる。」
「会えないの、嫌…」
其の言葉に大人は言葉を無くした。
「ヴィッキー、あのね。ミスターは仕事で来てるんだ。帰国したら俺だって会えなく為る、シスターも皆も。」
拓也と離れたくないのは、何も君だけじゃないんだよ、と云いたい言葉を無理矢理押し込めた。子供のヴィクトリアに大人の事情は判って貰えないが、酷い言葉であるのは確かだった。
会えなく為るとはっきり云われたヴィクトリアはショックを受け、俯いた顔から涙を一つ落とした。
「一緒に、居たいよ…、タクヤ…」
心臓が強く鳴る。
昔、願った。ずっと一緒に居たいと。願ったのに其れは叶わず、一人に為った。
其れを、今、同じ事を此の少女にするのかと、拓也は頭を抱えた。
持って居る煙草から虚しく煙は上がり、灰だけを机に落とすと吸いもしないのに、終わりを迎えた。
「ミスター?」
「半年だ。」
其の言葉にシスターとハロルドは顔を見合わせ、意味を問おうとしたが続けられた言葉に消された。
「半年待ってろ。一旦帰国して手続きを済ませたら…」
煙草を消し、ヴィクトリアに笑い掛けた。
「必ず迎えに来る。」
顔を顰めるシスター。
「あの、ミスター、其れは。」
養子とは、こうして決まる。マシューの時も、運命の糸が簡単に繋がり、固く結ばれた。
長い時間を掛けて人間が理由や思考を固め決めるのでは無く、神が刹那に決める。
拓也の持つ煙草の煙の様に、真直ぐと繋がる。
止める事は、出来ないのだ。
「良い子で待って居られるのなら、日本に御出で。」
新しく、今度はきちんと吸った煙草を揉み消した。
「俺の、子供に為るか?ヴィクトリア。」
優しく笑う拓也の顔に、大きな目から大きな涙粒が落ちた。
「待ってる…。良い子で待ってるよ…」
「だから泣くなって。」
女の涙にゃ、昔から弱いんだ。そう、拓也は笑った。




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